株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

宇摩説早判り(22)  宇摩説の基礎と太鼓台(オロチ)

2008-03-30 00:07:42 | 宇摩説早判り(概要)

   「やさしい古事記講座」で、古事記の「オロチの形状は、太鼓台の一部を記述して、怪物のように書いている」と、詳細に説明した。この辺で、もう一度、宇摩説の基本、基礎を復習して、太鼓台との関係を書き加えることにする。

 宇摩説は高天原(邪馬台国)の北四国説である。と言っても、勝手に想像して創作した物ではない。基本は古事記の「宇摩志阿斯加備比古遅(ウマシアシカビヒコヂ)神」他、の記述から解いている。



 上の写真も含めて、niftyのココログ、「建国と今」に、今日、三島太鼓台集合のアルバムを作っておきました。気になる人は参照してください。
http://kabu9uma9.cocolog-nifty.com/

  宇摩説の基本解明

 宇摩説の基本は、古事記・日本書紀にある「高天原」が、弥生時代の日本の北四国に存在した。天皇家は、この高天原から、九州に天下り(天降り、海下り)した後、当時の同様の国々を武力制圧(神武天皇の東征)して、日本の再統一したとする。

 大きな権力者の居た九州と近畿圏の最後の決戦では、高天原(天照大神)の仲裁(剣や案内人)で、近畿圏の大物が折れて手打ちをして、神武天皇は大和に侵攻できる。その条件は、「近畿の大物の娘を嫁とし、その子に後を継がせる」だった。

  古事記で生れた宇摩説

 宇摩説では、「古事記・倭人伝を中心にして、天照大神(=卑弥呼)の弥生時代を解いています」。だから、古事記を書きながら、お雛様など現在に残る習慣や行事、思考が弥生時代に発生した事を、幾つも例を挙げながら説明しました。

 今は、「オロチが太鼓台だ」という解明を、古事記と現在の太鼓台(神輿太鼓)の写真を載せながら説明した。オロチの形状は、太鼓台の部分を取り上げて書いたものだから、怪獣を思わせるのです。

 オロチが太鼓台と判るのは、全国でも宇摩郡、及び、東西の二郡です。これ以外の地域では変化が大きくて、オロチに結ぶ付く証明は困難です。したがって、北四国の中央部以外で、創始を弥生時代と言うのは、その人の研究ではありません。

 特に、宇摩郡の中央に当たる、三島太鼓台と、其の伝承を知らないと、創始は判りません。つまり、三島の伝承と其の形態から、卑弥呼の創始といえるのです。私の知る各地の創始はほとんど不明ですが、有っての古くて平安時代です。

 太鼓台の名称は各地で色々に呼ばれます。権力者の規制逃れで起こったと考えます。規制の「太鼓台ではない」等と、言ったものでしょう。このような痕跡が、「チョウサ」、「ダンジリ」などと幾つも残ります。

 太鼓台は奈良県から、長崎県までの西日本に分布しますが、全部の地域ではなく、途中の地域が途切れて存在します。これは、後の権力者による制限があって、変化した地域と、言い逃れて残した地域に分かれたと思われます。

  宇摩説の立場(視点)

 現在の戦後史学や考古学では、東大を中心に、「天皇家は朝鮮半島から渡って来た」というのが、主流である。これを、私に言わせると、「共産主義思想に侵された狂った解釈」となる。

 宇摩説では、元々、日本にあった各地の権力者の話し合いで、当時の弥生文化の中心地(宇摩郡)に「高天原」が生まれて、この時に「日本が建国した」とする。したがって、宇摩説は古事記の冒頭が、建国神話なのである。

 この高天原は商社国家であった。日本は海に囲まれて、縄文時代から、海外の物産(沖縄など)が東北地方まで分布している。石器なども広範囲な出土がある。つまり、世界の古代文化が川によって発展したように、日本は海で発展していたのだ。

 さて、近畿や九州の権力者も集まって、この貿易国を日本の中心(指導者)にした高天原を作り、天津国、天国とも呼ばれていた。高天原の広い交流は多くの知識を収集できた。これを、各地に知らせることも、重要な役目となった。

 このために、日本の統治は「知る、知らす」であった。

  日本の稲作の神

 古事記には稲作の神はあるのですが、事績を伝えません。だから、「瑞穂の国」などといいながら、史学では稲作については無視しています。

 宇摩説では、弥生初期(縄文末期?)に伝わった稲作を各地の日当りの良い山に実験的に広げた神として、古事記の最初の方にある神、宇摩志阿斯可備比古遅神(うましあしかびひこぢ)の指導)を紹介しました。
 鉄器の無い当初は平野が原生林であり、平野部の田は不可能だった。

 次には、猿田比古神の山中や、丘(葦原中国の貢献者)の稲作であす。この神は全国の祭り行列の船頭をします。また、「道開きの神」とも言われます。稲作を全国の山腹や、丘に普及させた神でしょう。(この神はまだ出てこないので、未解説)

 時代が下って鉄器が入り、平野部の原生林を切り倒すことが出来るようになった頃の開拓者、スサノオの活躍で、平野に広がり始めた。ここまでは、「やさしい古事記講座」で、古事記の解釈を進めてきた。

 高天原の稲作指導は、この三神に代表される。つまり、この三人(と言っても、複数の可能性がある)の活躍で、日本は瑞穂の国になったのだ。

 そして、この政府とも言える支配国、高天原は、天国・天津国・高天原と呼ばれるように、「天=海=山」を統治する国であった。つまり、国々の過不足や、不足品の充当などに使う船(海)と、各地で指導した山に天下っていた神である。

  現在解釈と宇摩説

 現在の古事記冒頭解釈では、宇宙とか、地球とか、混沌の時代、などと、約しているが、本当は日本の国土の経済・政治的混乱状況を言ったものである。このように、現実的に見直せば、古事記は大変貴重な歴史資料であることが判る。

 ただ、古事記は社員(朝廷)が書いた社長伝(天皇伝)の様な物なので、本居宣長の「其のままが歴史」を継承する史学のように、記録通り、全て受け入れることは出来ない。現在的視点で読み直す必要があるのだ。

 この古事記の現代的な読み直しが、「宇摩説」である。初めての試作だから、現在解いている宇摩説が全て正しいと主張する気は無い。中には外れもあろう。が、「宇摩説の全てが、高天原は北四国、宇摩郡で一致する」のである。

 例えば、幾つかの不良な証明があっても、古事記の合理的、科学的、現実的な視点で、基本から解き直した、「高天原(邪馬台国)は北四国」の解明は狂わないだろう。これを認めることから、すばらしい日本の新しい古代史が判ってくる。

 古事記で解いた宇摩説の証明の一つに、新しく追加したのが、西日本に分布する布団山車、太鼓台である。「やさしい古事記講座(116~)」で、記述と解明写真を加えて詳細に、書いた理由でもある。

======================= 
   相場師ブログランキング  人気ブログランキング【ブログの殿堂】ありがとうございます
二つの「ポチ」が、大きな励みになっています



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。