宇摩説解釈2(*全体的・合理的解釈)
昨日も言った様に、この部分の現代訳はさくねんのblogで書いているので、重複しても仕方が無いので、今年はこの部分の通しの現代訳は書かないので、昨年の所を参照されたい。
第一回講座、卑弥呼の謎を解く(45) 古事記36
http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/53926/
出雲へ、
前回に言及しなかったり、簡略であったものを、今回は書き加えようと思っている。
出雲神話現解釈1(116回、史学解釈採録)
(*は、宇摩説の視点と、思考、意見の追加)
故、所を避追(やらはえ)て、出雲国之肥(ひ)の河上、名は鳥髪(とりかみ)の地に降りたまひき。
*先に、鳥髪の地に降ったとある。つまり、この鳥髪=鳥神より連絡があったと言うことである。したがって、上流に住む神の問題である事は、判っていたと思われる。
*ただ、以下に残る話は芝居として演じられた物(古事記は神楽などに残る古代を収集、編纂した)、だから、見物者に面白く(または説明)したものを、書き残したと思う。
*宇摩説では、最初に始まる、「イザナ・イザナミ」の物語も、芝居として解いてある。ここも、もちろん同じである。この話は国民的人気があったもので、全国に神楽が残るし、現在でも上演されることが多い。
*水戸黄門の話のように、旅の途中で目に付いた悪代官(オロチ=愚・血、筋)を、たまたま退治した話ではない。スサノオの人気の継承が黄門であり、「日本人はお上任せで、其の内何とかなる」、という思考の元である。
*つまり、日本人の「お上任せ」は、遠く、卑弥呼(天照大神)の時代に、各地の連絡を受けて、スサノオのオロチ退治のように、対処した事に始まっていると言うことだ。
此時、箸が、従其の河より流れ下りき。ここに、須佐之男の命、河上に人有りと以為(おもほして、尋ね覔(もと)めて、上り往きたまへば、老父(おきな)と老女(おみな)二人り在りて、童女をとめ)を中に置きて泣けり。
ここに、「汝は誰ゾ」と問ひ賜ひき。故、其の老父答へ言(まを)さく、「僕は国つ神、大山津見神之子ゾ。僕の名は、足名椎(あしなづち)と言う。妻の名は、手名椎(てなづち)と言う。女(むすめ)の名は、櫛名田(くしなだ)比売と、言う」と、もおしき。
*大山津見神については、国津神と断っているが、大山津見神の子は、各地に居る。現在、史学では、余り重要視してないが、大変に大きな力を持っていたことが、各地に居る子供達で判る。隠された神の一人と言えるだろう。
*子供達が多い上に、「大山」の地名も多いし、「三島」の地名や神社も各地にある。これだけ多い痕跡を残す神なのに、史学では、本当の姿が判らない。宇摩説では、イザナギの一人だろうと、先に書いた。
*今後も出てくるので、大山津見神の資料を集めて、宇摩説や、宇摩説の推定を加えると、確定的になろうと、私は思う。大山津見神だけが、何度でても、「国津神」と断るのも、異常なのである。
ここで、半分だが、以後は、「オロチ退治」の実行に移るので、其の前段階で、区切りとする。
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