株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

やさしい古事記講座(109) 石屋戸隠れ7 古事記原文と現解釈、準備

2008-02-26 00:01:20 | 古代史、卑弥呼、神輿太鼓、倭人伝

  前回までに、天照大神の石屋戸(いわと)隠れと、道具の製作を解いてきた。史学の表面上の解釈に加えて、平野開拓と通信網の整備用の道具つくりという、新しい宇摩説の視点も説明した。

 そして、コメントの、「常世長鳴鳥」について、詳細な検討をした所、宇摩説の補足が一つ増えた。この解明は、107で行った宇摩説の解釈の抜けた部分に、ぴったりと入り込んで整合する事実を紹介した。

 このように、宇摩説は基礎的解明から、判ったことが全体とも一致して、多くの新しい解明が生まれます。そして、後の記述でも整合する。こうして、宇摩説は、多くの一致による補足によって、ますます、その解明の構築が充実、強化される。

 宇摩説の解明で、常世の長鳴鳥を集めて鳴かせたのが、天照大神の現れる前でなく、鉄器や鏡を作る前にある理由も説明した。それは、各地の連絡委員を集めて、各地の状況を聞いたと解いて、次の文に一致している。

 さて、今日は、戴冠式の準備の部分である。時間のかかる道具などの製作が終わり、いよいよ決行の日が近付いたのである。ここでも、史学が無視するが、前後からおかしいと思える記述がある。後で書くことにする。

 ここも具体的だから、表面的解釈は史学の説明でよいだろう。しかし、残された記録は表面上だけではない。残された記録に、史実の何が残されているのであろう。

  古事記原文

召天児屋命、布刀玉命而、
内抜天香山之真男(まお)鹿之肩抜而、
取天香山之天之波波迦(ははか)而、
令占合真迦那波(まかなは)而、

 天香山之五百津真賢木矣、根許士爾許士而(ねこじにこじて)、
於上枝、取著八尺勾玉之五百津之御須麻流(みすまる)之玉
於中枝、取繋八尺鏡、於下枝、取垂白丹寸手、青丹寸手而、

  現在の解釈

 天児屋(あまのこやね)命、布刀玉(ふとだま)命を召して、
天の香山(かぐやま)の鹿の肩を、内抜きに抜きて、
天の香山の天の波波迦(ははか)を取りて、
占合(うらな)ひ真迦那波(まかなは)しめて、

 天の香山の五百津真賢木(いほつまさかき)を、根許士爾許士(ねこじにこじ)て、
上枝(ほつえ)に、八尺(やさか)の勾玉の五百津(いほつ)の御須麻流(みすまる)之玉を取り著け、
中枝(なかつえ)に、八尺鏡(やたのかがみ)を取り繫(か)け、
下枝(しづえ)に、白丹寸手(しろにぎて)、(あお)丹寸手に、取り垂(し)でて、

  現在の語義

肩を内抜(かたをうつぬき) 肩の骨を丸抜きにして。
天之波波迦(ははか) ウワミズザクラの古名(岩波古語辞典)。
真迦那波(まかなは)しめて 神意をおしはからせて。
五百津真賢木(いほつまさかき) 枝葉の茂った常緑樹。
根許士爾許士而(ねこじにこじて) 根のまま掘り取って。
八尺鏡(やたのかがみ) 日本書紀に「八咫鏡」とある。大きな鏡の意か。
白丹寸手、青丹寸手 木綿(ユウ)と、麻。


 文末は、ここも、「而(に)」になっていて、ズット続いているのですが、宇摩説では、これらの準備は当日したのではなく、数日前に行ったものと判断します。したがって、今日の部分は、準備の状況を書いた部分にまでとして、と当日の行動と分けます。

 今日の部分で、二つに分けた前の最後に、「まかなはしめて(神意をオシはかららせて)」とあります。この段階で何を占ったのか?考えてみてください。

 なお、奈良の香具山に、鹿が居たのかどうかは不明ですが、四国山脈には、今も居ます。この事から、宇摩郡の加賀山(翠波峰)には、鹿が居た事は間違いないでしょう。

 これで、イワト隠れの準備が整います。この部分の宇摩説の解釈が住むと、次の段階は、有名なイワト開きの当日の行動になります。宇摩説ではどうなるのでしょう。

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