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とてもいい動画を見逃していました。コメントしましたので、お付き合いください(*^▽^*)
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おおお、いい動画をありがとうございます。今頃気付いて、すんません( ^)o(^ )
宇佐説が正解ですよ。安心院町三柱山に卑弥呼の径百余歩(直径約150m)の墓も見つかっています。日本全国を観てもこの規模の円墳はほとんど無いですよ(@_@)
しかも奴婢を百人ほど殺したと思われる「血野」という地名が墓の横にありますし、日食が理由で霊力が衰えたことで殺されたことを示す地名「ヒカケ(日欠)」が墓の遥拝所にありましたよ!(「卑弥呼の墓は見つかってるよ(^◇^)」参照)
日本書紀に書かれた伝承では「豊葦原の中つ国の宇佐嶋に天降りした三女神」としていますが、宇佐神宮の主祭神比売大神が三女神のことです。おっしゃるとおり、卑弥呼のことでした。多分4世紀ころから、原八幡神として半島南部から渡来した倭人の秦氏の支族の辛嶋氏が稲積山で祀ってましたが(稲積六神社)、藤原不比等が日本建国の史実が藤原氏にとって不都合なので、卑弥呼を隠すために8世紀に八幡大神として最初は大国主を今の宇佐神宮に遷しました。そして大国主の妃の台与を神功皇后として祀りました。応神天皇が八幡大神になるのはさらに後でした。
実は、卑弥呼の後に内戦に勝利した大国主狗古智卑狗と台与が宇佐にやって来て妻垣神社奥宮の一柱騰宮という磐座で卑弥呼を改葬したと推理しています。記紀では神武天皇の母タマヨリヒメの墓所で、ウサツヒコ・ウサツヒメが神武天皇一行を歓待した場所としていますが、デタラメです。二人は大国主と台与のことです。藤原氏の遠祖天種子命がウサツヒメを娶ったことにしていますから笑わせます。神武東征は日本建国の史実を藤原氏に都合のよい話にするために創作された神話ですよ。大国主の国譲り神話もタケミカズチを藤原氏の遠祖として鹿島神宮や春日大社で祀っています。不比等の目的が分かるとどんどん謎が解けてきますよ(^_-)-☆
さらに佐田地区に大国主が祭祀場にした立派なストーンサークル佐田京石があり、佐田神社を王宮にしたようです。横を流れる佐田川の葦の根元で褐鉄鉱が採れたようです。その頃の技術が伝承されたのだと思いますが、江戸時代には反射炉が作られてます。安心院盆地は葦が群生したところですが、これを切り払って水田にした「豊葦原の瑞穂の国」というのが安心院町佐田地区だったのですよ(^_-)-☆
ここで驚く発見をしました。佐田京石は米神山の麓にありますが、中腹には柱状節理した棒状の石が数基置かれていることを知りました。何とその方向が全部南西を向いていたのです。その方向に弥生後期後半の菊池川沿いの集落方保田東原遺跡とうてな遺跡があります。それらを見下ろす高台には古い方墳の茶臼塚古墳があり大日如来の石祠が置かれています。これが倭国大乱で活躍した先代狗古智卑狗の墓だったと分かりました。米神山の石柱は大国主の祖霊のエネルギを導くアンテナだったのです。詳しくは「【刮目天の古代史】謎を解く!」を参照してください。失礼しました(^_-)-☆
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【謹賀新年】狗古智卑狗の霊ライン?(@_@)
信じるか信じないかはアナタ次第です( ^)o(^ )
御許山の佐用の神の正体は?(^_-)-☆
最後までお付き合い、ありがとうございます。
通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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日本書紀に書かれた伝承では「豊葦原の中つ国の宇佐嶋に天降りした三女神」としていますが、宇佐神宮の主祭神比売大神が三女神のことです。おっしゃるとおり、卑弥呼のことでした。多分4世紀ころから、原八幡神として半島南部から渡来した倭人の秦氏の支族の辛嶋氏が稲積山で祀ってましたが(稲積六神社)、藤原不比等が日本建国の史実が藤原氏にとって不都合なので、卑弥呼を隠すために8世紀に八幡大神として最初は大国主を今の宇佐神宮に遷しました。そして大国主の妃の台与を神功皇后として祀りました。応神天皇が八幡大神になるのはさらに後でした。
実は、卑弥呼の後に内戦に勝利した大国主狗古智卑狗と台与が宇佐にやって来て妻垣神社奥宮の一柱騰宮という磐座で卑弥呼を改葬したと推理しています。記紀では神武天皇の母タマヨリヒメの墓所で、ウサツヒコ・ウサツヒメが神武天皇一行を歓待した場所としていますが、デタラメです。二人は大国主と台与のことです。藤原氏の遠祖天種子命がウサツヒメを娶ったことにしていますから笑わせます。神武東征は日本建国の史実を藤原氏に都合のよい話にするために創作された神話ですよ。大国主の国譲り神話もタケミカズチを藤原氏の遠祖として鹿島神宮や春日大社で祀っています。不比等の目的が分かるとどんどん謎が解けてきますよ(^_-)-☆
さらに佐田地区に大国主が祭祀場にした立派なストーンサークル佐田京石があり、佐田神社を王宮にしたようです。横を流れる佐田川の葦の根元で褐鉄鉱が採れたようです。その頃の技術が伝承されたのだと思いますが、江戸時代には反射炉が作られてます。安心院盆地は葦が群生したところですが、これを切り払って水田にした「豊葦原の瑞穂の国」というのが安心院町佐田地区だったのですよ(^_-)-☆
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