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古代史ランキング
丁度調査していた大元神(おおもとがみ)に関係するいいブログがあったので記事にしました。(^_-)-☆
陰陽石・佐用の神・米神山経石ストーンサークルなど
2021年02月07日 18:42 民族学伝承ひろいあげ辞典
あら、こんなところにも!(^_-)-☆
ご立派な佐用の神は佐田の神サルタヒコのことでしょう!
わざと「田」に似た「用」という文字を使ったの賀茂大神(*^。^*)
西馬城地域協議会だより 第12号 平成28年4月
佐田京石と米神山は、佐太大神サルタヒコと大国主狗古智卑狗(兵庫県豊岡市久々比神社の祭神久々遅命=スサノヲの子イタケルの子孫久々遅彦)とが同体ですから、久々遅彦が内戦に勝利した後に倭国を支配し、最初に倭国の都と定めた場所の中心地=祭祀場址だと推理しました。豊葦原の瑞穂の国が安心院町佐田地区でしょう。久々遅彦は山陰・丹波地方から北陸までの日本海沿岸部を支配圏としていたのですが、卑弥呼の倭国(九州・四国・中国西部)を加えて列島の大部分を版図にしたので、後世「大国主」と呼ばれました。
佐田地区探訪マップ(大国主ゆかりの神社・史跡が見られます)
すでに道祖神の正体の記事で述べましたが、こしき石(いわ)は大国主サルタヒコのシンボルです。若い妃をもらった精力絶倫の老人ですから。大国主狗古智卑狗が13歳で女王(姫巫女)にした台与のことです。大国主は多分60歳前後でしたから、サルタヒコの鼻が長くなっているわけです。数年後に生まれたオオタタネコ(ホムダワケ応神天皇でヤマトの初代祭祀王)の本当の父親です。だからペアのアメノウズメの台与は神功皇后のモデルです。いつも側に寄り添っていた武内宿禰が狗古智卑狗をモデルにした白髪の老人、白髭大神(新羅明神)です。佐田神社の祭神も武内宿禰になっています。まだまだ同体神はいますが大国主ほど数多くの名前を持つ神様は世界中探してもいませんよ。ヤマトに国譲りさせたので朝廷が最も畏れる神です。後ろめたい真相を隠して誤魔化すためなのですよ(*´Д`)
卑弥呼も安心院町三柱山の三女(さんみょう)神社が宮室でしょう。縄文海人ムナカタ族の姫巫女で、もとは不弥(うみ)国(宗像市付近)出身でしたが、二世紀末の倭国大乱で倭国に近い海岸部は物騒でしたので、野麻(やま)国(和妙抄の野麻郡、安心院町に比定されています)に疎開しました。女王(院)の御心を安んじたというのが安心院の地名の由来でしょう!高貴な御台(みだい)様が居たヤマ国というのが邪馬台国の意味でした。
「日本書紀」は誤魔化すためにいくつも伝承を書いていますが、比売大神(宗像三女神)が降臨した葦原中つ国の宇佐嶋は安心院町三柱山で間違いないですよ(^_-)-☆。
宇佐神宮が御許山大元神社を奥宮としたのは比売大神(宗像女神卑弥呼)の本当の降臨地、つまり卑弥呼の邪馬台国の場所を隠すためのカモフラージュと考えられます。もともと大元神社で大元神大国主=佐田大神を祀っていたのを藤原氏が強権で比売大神にすり替えたのではないでしょうか(^_-)-☆。
【関連記事】
大国主の豊葦原の瑞穂の国はここだった?(*^^)v
道祖神もやっぱり(^_-)-
狗古智卑狗という人物?(^_-)-☆<お勧め記事>ヤマトを造成した三輪山の神だ!「魏志倭人伝」では狗奴国の官で王よりも先に紹介された実力者でした。大国主でしょう(^_-)-☆
タイトルの佐用の神については、播磨国風土記に書かれた兵庫県佐用郡佐用町の伊和大神は大国主のことですから、やはりわざと佐田郷にしなかったのだと思います。サルタヒコと大国主が同体であることがばれそうになったからかな?(´ω`*)
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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ご立派な佐用の神は佐田の神サルタヒコのことでしょう!
わざと「田」に似た「用」という文字を使ったの賀茂大神(*^。^*)
西馬城地域協議会だより 第12号 平成28年4月
佐田京石と米神山は、佐太大神サルタヒコと大国主狗古智卑狗(兵庫県豊岡市久々比神社の祭神久々遅命=スサノヲの子イタケルの子孫久々遅彦)とが同体ですから、久々遅彦が内戦に勝利した後に倭国を支配し、最初に倭国の都と定めた場所の中心地=祭祀場址だと推理しました。豊葦原の瑞穂の国が安心院町佐田地区でしょう。久々遅彦は山陰・丹波地方から北陸までの日本海沿岸部を支配圏としていたのですが、卑弥呼の倭国(九州・四国・中国西部)を加えて列島の大部分を版図にしたので、後世「大国主」と呼ばれました。
佐田地区探訪マップ(大国主ゆかりの神社・史跡が見られます)
すでに道祖神の正体の記事で述べましたが、こしき石(いわ)は大国主サルタヒコのシンボルです。若い妃をもらった精力絶倫の老人ですから。大国主狗古智卑狗が13歳で女王(姫巫女)にした台与のことです。大国主は多分60歳前後でしたから、サルタヒコの鼻が長くなっているわけです。数年後に生まれたオオタタネコ(ホムダワケ応神天皇でヤマトの初代祭祀王)の本当の父親です。だからペアのアメノウズメの台与は神功皇后のモデルです。いつも側に寄り添っていた武内宿禰が狗古智卑狗をモデルにした白髪の老人、白髭大神(新羅明神)です。佐田神社の祭神も武内宿禰になっています。まだまだ同体神はいますが大国主ほど数多くの名前を持つ神様は世界中探してもいませんよ。ヤマトに国譲りさせたので朝廷が最も畏れる神です。後ろめたい真相を隠して誤魔化すためなのですよ(*´Д`)
卑弥呼も安心院町三柱山の三女(さんみょう)神社が宮室でしょう。縄文海人ムナカタ族の姫巫女で、もとは不弥(うみ)国(宗像市付近)出身でしたが、二世紀末の倭国大乱で倭国に近い海岸部は物騒でしたので、野麻(やま)国(和妙抄の野麻郡、安心院町に比定されています)に疎開しました。女王(院)の御心を安んじたというのが安心院の地名の由来でしょう!高貴な御台(みだい)様が居たヤマ国というのが邪馬台国の意味でした。
「日本書紀」は誤魔化すためにいくつも伝承を書いていますが、比売大神(宗像三女神)が降臨した葦原中つ国の宇佐嶋は安心院町三柱山で間違いないですよ(^_-)-☆。
宇佐神宮が御許山大元神社を奥宮としたのは比売大神(宗像女神卑弥呼)の本当の降臨地、つまり卑弥呼の邪馬台国の場所を隠すためのカモフラージュと考えられます。もともと大元神社で大元神大国主=佐田大神を祀っていたのを藤原氏が強権で比売大神にすり替えたのではないでしょうか(^_-)-☆。
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狗古智卑狗という人物?(^_-)-☆<お勧め記事>ヤマトを造成した三輪山の神だ!「魏志倭人伝」では狗奴国の官で王よりも先に紹介された実力者でした。大国主でしょう(^_-)-☆
タイトルの佐用の神については、播磨国風土記に書かれた兵庫県佐用郡佐用町の伊和大神は大国主のことですから、やはりわざと佐田郷にしなかったのだと思います。サルタヒコと大国主が同体であることがばれそうになったからかな?(´ω`*)
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賢人以上です。
旧友のお父様も役員になって研究されていたとのこと。
石がどうのこうのと言っていたそうです。
存命でこのブログ記事を拝読できたら
どんなに喜ぶことでしょう。また金曜日にzoomで会えるので
報告しておきます。研究資料があるといいのですが。
ありがとうございました☘️
安心院はもうわたしのふるさとのような気がしてきています。今、ネットで資料を見ていたら西馬城地区の方も地域振興で頑張っているようです。静岡に居て現地の情報が手に入りますから有り難いことこの上ないです。早速佐用の神の記事を貼付しました(^_-)-☆
やっぱり、地元の方は、みなさん何かがあると肌で感じておられるようで、大国主たちの霊力はすごいなと改めて感じています。地元のいい情報がいただけたらうれしいです。どうぞよろしくお願い致しますね( ^)o(^ )