刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

【邪馬台国問題】短里がダメな理由!(;一_一)

2022-04-09 10:05:41 | 古代史
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箸墓古墳 卑弥呼の墓? 古代史最大のミステリー、邪馬台国候補地の前方後円墳を検証する
2021/07/17 考古学チャンネル@YouTube


刮目天一
@takashi umeda さん 大和説の方も残念ながら古田先生も魏志倭人伝がなぜ書かれたのかということに気付いていません。だから、予め自分が想定した場所になるように邪馬台国への行程記事を解釈しているので、正解にはたどり着けないのですよ。詳しくは拙ブログ「魏志倭人伝の真実?」をご参照ください(*^▽^*)

takashi umeda
​ @刮目天一 様
「魏志倭人伝の真実?」拝見しました。
魏志倭人伝の里程が短里であることは、谷本茂氏が『周髀算径』の研究で科学的に証明されています。
貴殿は「科学的な探求」をこころがけておられるようですので、ブログの里程に関する記述を全て見直して戴けたら幸いです。
※図の星印の位置に女王国があるべきだ!
というのが「魏志倭人伝」(2018.11.15 作成)


刮目天一
​ @takashi umeda さん 早速拙ブログを参照頂き感謝します。谷本氏の原論文は読んでいませんが、周髀算径で紹介された一寸千里法は知っています。

魏志倭人伝でそれが使われたと科学的に証明されたのならば、邪馬台国までの行程と邪馬台国の位置はとっくに確定していないとダメでしょう。

当然ですが、帯方郡から狗邪韓国・対馬国・壱岐国・末盧国・伊都国・奴国・不弥国・投馬国・邪馬台国までの各区間の里数と実際の距離はそれぞれの国でどの場所を選択するかで異なります。しかし、考古学の知識から奴国までは分かっていますので、そこまでを見て、各区間で1里当たりの距離を計算すると、かなり誤差があります。例えば、伊都国(三雲)・奴国(須玖)間の18キロが百里という記述は、一里180mですから、1里77mの短里が使われていないのは明らかですね。

その先については場所も確定していませんので、これすら計算できていません。
こういう結果を科学的に証明したというのでしょうか?
1里77mの短里制が魏志倭人伝で使われたなどと信じるのは科学的でしょうか?

さらに、中国のどの時代も御存じのとおり、大体1里約450mが使われています(300歩が1里、1歩は左右の足を1回ずつ出して歩く距離)。三国志で洛陽と遼東の間1740キロは四千里(魏の一里434m)と正しく書かれてます!そこから先の帯方郡から倭国まで何故、長里を止めて短里が使われなければならないのか、その理由をどう説明しますか?

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この記事は面倒なので、下の図でご理解いただければ、無理に読む必要はありませんよ(^_-)-☆

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