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すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

古代史の正しい理解は倭の奴国から(;^ω^)

2024-07-12 20:40:04 | 古代史
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#早速チョンボ!動画の情報がありませんでした。ゴメンナサイ(;^ω^)

#とても内容のあるいい動画を見つけましたのでぜひご覧ください。いつものように補足的にコメントしましたので、よろしければお付き合いください(#^.^#)

【古代考察】なぜ後進地域だった奈良盆地が西日本の中心になったのか【畿内説】 〈前編〉
ニュー速・日本史@YouTube


とても深い内容で勉強になる動画をありがとうございます。
当時の出土品で最も重要なものは青銅鏡ではなく玉璧の破片です。これは周代の子爵の王標なのです。奴国王が呉王族だった証拠なのです。三雲南墳丘墓や朝倉市峯遺跡からも破片が出土していますので、奴国王族だったと推理できます。奴国王の初代三代は吉武高木遺跡の王墓に葬られています。



宋史 王年代紀 初代王天御中主、二代目王天村雲尊、三代目天八重雲尊とその王妃や王族たちの墓です。天村雲尊の墓から三種の神器が出土しています。四代目天聞彌尊(あめのににぎのみこと)が祖父から三種の神器を受け取り、周辺を平定して奴国の領域を広げたのです。天孫降臨神話のもとになった史実です。

奴国の王宮が春日市須玖岡本遺跡に遷り、比恵・那珂遺跡群に列島最大の交易センターを作り、奴国は隆盛になりました。シルクロードの東端の倭国の珍しい産品を求めてやって来る楽浪郡などの華僑に交易の権益を確保してもらうために後漢光武帝が奴国王に金印を与えたのです。第16代沫名杵尊の時です。その子伊弉諾尊と玉類を作って交易していた日本海沿岸の縄文海人ムナカタ族との婚姻によって、倭国の重要な輸出産品を奴国が抑え、ますます隆盛になっていきます。しかし、そこで落とし穴があったのです。十八代王スサノヲはムナカタ族と鉄の産地の半島南東部や玉の生産地丹後半島に出かけて、奴国の王宮を留守にすることが多く、たまに帰還したら奴国の伝統的な宮廷祭祀を任せていた師升らに、縄文式のバカでかい銅鐸を導入しろと命じたので、師升らは反乱を企ててスサノヲが戻ってきたところを捕らえて、倭国王になりすますために金印の在りかを白状させるためにスサノヲを拷問したようです。古事記にその様子があります。しかし、スサノヲの部下がいち早く金印を持ちだし逃亡の途中で志賀島に埋めたので、結局スサノヲは殺されます。



弟ニギハヤヒと王子イタケルらが出雲に逃亡します。

ニギハヤヒは裏切り者の吉備の勢力を討ち、奴国を再興しますので、第十九代天照大神尊とされ楯築王墓に葬られます。楯築神社のご神体が亀石と呼ばれる弧帯文石ですが人の顔があります。人面蛇体は中国(なかつくに)三皇五帝神話の筆頭天皇伏羲と同じなのですから伏羲の末裔だという物証なのです。天皇のルーツを発見しました(;^ω^)



イタケルの子孫は出雲と丹後半島で鉄のネットワークを作り旧奴国(狗奴国勢)に供給して強勢になります。出雲・丹後王国(八束命・日高彦・大国主高野御子、魏志倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗は王の襲名、豊岡市久久比神社祭神、記紀の武内宿禰、日向三代神話のモデル)です。



一方師升の倭国は半島の混乱で交易が廃れ衰退しますので、八束命と日高彦が倭国大乱で活躍しますが、日高彦が戦死して、王を喪ったムナカタ族の赤坂比古が倭国王難升米に懐柔されて狗奴国を裏切り、卑弥呼を外交上女王に立てて狗奴国と対立します。
鉄の供給を阻まれた狗奴国王卑弥弓呼(ニギハヤヒ大王の子孫)は吉備から纏向に王都を遷し、旧奴国勢力を集めて倭国追討軍を送ります。


ここから先に経緯がありますが、かいつまんで言うと卑弥呼の死後に大国主が外交上13歳の台与を女王に立て、魏を後ろ盾にして狗奴国と対立し、列島主要部を手に入れますので、後世大国主と呼ばれます。

そして狗奴国王は大国主を討って日本を統一しますが、大国主の神託によって大国主と台与の子をヤマトの祭祀王にします。初代応神天皇としてヤマト王権が成立するのが三世紀末です。台与と大国主の鎮魂のために箸墓と桜井茶臼山で立派な前方後円墳を築造し両親の鎮魂祭祀をします。

ざっとこのよう経緯で日本が建国されたと突き止めました。詳細は「刮目天の古代史」をご参照ください。お邪魔しました(;^ω^)

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ここに順序だてて謎の多い日本の古代史の推理結果を説明していますので是非ご覧ください。

王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆
10世紀に東大寺の僧が入宋して、日本神話を正す日本の王年代紀を献上したので、「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」として日本の国号が正式に認知されました。藤原不比等が作った高天原は北部九州の倭国のことだったとシナ人が認めたからなのですよ(#^.^#)






最後まで読んでいただき、感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)

初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!

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