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あの戦争好きの化け物が日本人のルーツなのか?(@_@)?

2024-07-06 12:41:20 | 古代史
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#東アジアの新石器文化の図を今回の記事に合わせて改訂しました。よろしければどうぞ(#^.^#)

#いつもよく調べられているので、とても参考になる方の動画です。天皇家の起源が三星堆遺跡に見られるという説のYouTube動画が目に入ったので、直ぐに見てみました。なんとあの、鉄でも何でも食べる貪欲で獰猛な戦争好きの化け物で、シナ人の祖先と推理した蚩尤(しゆう)が日本人の祖先だったというので、腰を抜かしました。慌てて、下のようなコメントをしました。よろしければ、またお付き合いください(;^ω^)



興味ある話題をありがとうございます。とても勉強になります。
長江上流で約3500年前の三星堆遺跡の四川文化を担った羌(チャン)族はYーDNAを調べると縄文人と同系統のチベット族のD系統です。後漢書記載の「羌の源流が三苗」ですが、苗(ミャオ)族はO2(シナ人系)と分かっていますので別の系統です。紀元前2500年から紀元前1750年頃に四川盆地で宝墩文化(ほうとんぶんか)を担っていた人々はシナ人系で、三星堆遺跡のチベット族に影響を及ぼしたと知られていますので、宝墩文化の担い手が苗族の源流だったのかも知れません。



ご説明にあった中国(なかつくに)三皇五帝神話の地皇にあてられる、人々に医療と農耕の術を教えた神農は天皇伏羲・泰(人)皇女媧の後に登場する神です。神農炎帝の末裔で戦好きの化け物の蚩尤(しゆう)は五帝の最初の黄帝に反乱を起こした神で、三苗の始祖と言われています。蚩尤は『史記』「封禅書」の八神のうちの「兵主神」に相当します。こういうことですから、神農はO2(シナ人系)だと考えています(詳細は「中国神話は日本人の神話だった?」参照)。

日本の天皇家は「倭人は太伯の後」という魏略を信じると周王朝と同族の姫氏で夏王朝を建てた禹の末裔となります。禹は伏羲・女媧の末裔とされていますから、福岡市吉武高木遺跡で発見された日本最初の王墓は太伯・虞仲の末裔の呉王の一族と考えられる天御中主のものと推理しています。つまり、新唐書・宋史王年代紀によれば倭の奴国の初代王です。初代天皇ですが、筑紫日向宮にいた奴国王の第二十三代王彦瀲尊(記紀のウガヤフキアエズ)の四男の神武天皇(イワレヒコ)が大和橿原宮に遷ったとされています(注)。

したがって天皇家はO1a(原始夏人系)となります。実は天皇の祖神と考えられるニギハヤヒ大王(第十九代王天照大神尊、先代旧事本紀天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊)が天皇伏羲の末裔である証拠が倉敷市楯築遺跡で発見されています(詳細は(詳細は「天皇のルーツは人類の始祖神なのだ!」「中国の本家は日本だった?!」参照)参照)。

しかし、約五千年という長い年月の中で不遇の時代もありましたから、血統が途絶えて、別の名家から養子を迎えて存続されるなど、血筋が置き換わった可能性もあります。重要なのは何千年という 途轍もない年月を生き抜いた皇統の男系男子に伝わる伝統文化を天皇陛下が継承していることなのです。

豊岡市出石神社の祭神天日槍(あめのひぼこ、古事記は「天之日矛」)は新羅王子とされますので新羅第四代脱解王のモデルとされたスサノヲ(第十八代王で宮廷楽師師升らの反乱で殺されて倭国を奪われた最後の奴国王)のことだと思います。別名新羅明神であることが京丹後市奈具神社末社で祀られていることから分かり、鍛冶や鉄製武器と関わる人物であるのでスサノヲの子孫で出雲・丹後王国の三代(八束命・日高彦・大国主高野御子)が兵主神とされて祀られていると考えられます(詳細は「【葦嶽山の秘密】多婆那国は丹波の奴国!の巻」参照)。長文、失礼しました(;^ω^)

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紀元前3200年に興った長江文明のひとつ良渚文化(りょうしょぶんか)が紀元前2200年頃突然消えました。洪水伝承があり、生き残った伏羲と女媧の二人が人類を創ったという伝説です。その末裔の禹が黄河中流域で夏王朝を建て、その末裔の古公亶父(ここうたんぽ)が、周初代武王の曾祖父です。長男の太伯(たいはく)と次男の虞仲(ぐちゅう)が長江下流域で呉を興し、倭人の王となりました。紀元前473年に呉王夫差が越に敗れて自害しました。呉王族の一部が半島南部に逃れ、紀元前4世紀初頭に福岡市吉武高木遺跡に降り立った天御中主です。天皇陛下の先祖です(^_-)-☆


王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆
10世紀に東大寺の僧が入宋して、日本神話を正す日本の王年代紀を献上したので、「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」として日本の国号が正式に認知されました。藤原不比等が作った高天原は北部九州の倭国のことだったとシナ人が認めたからなのですよ(#^.^#)


(注)107年に後漢安帝に朝貢した倭国王帥升は奴国宮廷司祭の師升のことですので、十八代王スサノヲを殺して倭国を奪ったと推理しています(詳細は「倭王帥升(すいしょう)は何者だ?」参照)。反乱を逃れたスサノヲの弟ニギハヤヒと王子イタケルらはイザナミの実家のムナカタ族に助けられます。ニギハヤヒは吉備を平定して奴国を再興したので、十九代王天照大神尊とされます(詳細は「【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?」参照)。イタケルとその子孫(八束命・日高彦・大国主高野御子)はスサノヲが活躍した豊岡市気比から丹後半島に王国を築き、大国主高野御子が列島のほとんどを支配します。

ニギハヤヒの子孫が纏向遺跡に都を移し、大国主を討って日本を建国します。ただし、大国主の祟りが強く、狗奴国王卑弥弓呼(記紀の崇神天皇)がヤマトの祭祀王として大国主の子を纏向遺跡に呼び寄せます。これが初代応神天皇です。日本書紀はその史実を隠すために、高天原神話を創ります。最高神を女神アマテラスとしてイタケルを天忍穂耳尊とします。そしてイタケルの子孫の三代の王を日向三代ニニギ、山幸彦、ウガヤフキアエズとします。それに合わせて、宋史 王年代紀では二十代王正哉吾勝速日天押穂耳尊、 二十一代王天彥尊、二十二代王炎尊、二十三代王彥瀲尊としています。大国主高野御子の系譜を図に示します(詳細は以下の記事参照)。


国引き神話は史実だった?(その1)(その5)西谷墳墓群の被葬者は?
消された出雲・丹後王国の謎!(その1)八束命の話
消された出雲・丹後王国の謎!(その2)日高彦の話


最後まで読んでいただき、感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)

初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!

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