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すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

古墳人が現代日本人に近いの?( ゚Д゚)

2022-03-07 23:18:02 | 古代史
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昨年9月、金沢大学の研究者のチームが、「日本列島の遺跡から出土した縄文人・弥生人・古墳時代人のパレオゲノミクス(※)解析を行い,現代における日本人集団のゲノムが3つの祖先集団で構成されていることを世界で初めて明らかにしました。」本研究では「日本列島の遺跡出土人骨から新たに12個体(縄文人9個体・古墳人3個体)のゲノムデータの取得に成功し」「その結果,縄文人の祖先集団はおおよそ20,000~15,000年前に大陸の基層集団から分かれ,初期集団は1,000人程度の小さな集団サイズを維持していたことが分かりました。そして,弥生時代には北東アジアに起源をもつ集団が,古墳時代には東アジアの集団がそれぞれ日本列島に渡ってきたことが明らかとなりました。本研究では,自然人類学においてこれまで主流であった『日本人の二重構造モデル』をさらに発展させた,『日本人の三重構造モデル』を新たに提唱しました。」という研究成果を発表されました。
※古い生物遺体から生物の全遺伝情報を抽出し,比較解析する研究領域,研究手法のこと。パレオゲノミクスによって,遺跡から検出された被葬者間の血縁関係や親族関係について直接的なデータに基づいて評価が可能である。


2021年9月21日 金沢大学 > 研究トピック > パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造 )

二重構造モデルに関しては、昨年12月に以下のような記事がありました。
日本人の起源めぐる「二重構造」説、ゲノム研究で検証
文化往来 2021年12月15日 5:00 日経新聞

日本人の起源を示す「二重構造モデル」は東南アジア系の縄文人に北方アジア系の渡来人が混血し日本人が形成されたとする。東京大学名誉教授、国際日本文化研究センター(日文研)名誉教授の埴原和郎(1927~2004年)がこの仮説を発表して30年。ゲノム(遺伝情報)解析を通じて日本列島(ヤポネシア)の人々の起源を探る「ヤポネシアゲノム」プロジェクトと日文研は11月下旬、二重構造モデルを問い直すシンポジウムを開いた。遺伝情報を担うDNAの分析は1990年代後半から急速に進展したが、そこでも二重構造モデルは支持されているという。ただ、北海道など地域の特性や弥生時代以降の長期的な渡来に目を向けるべきだ、などと課題を指摘する声も出た。

ヤポネシアゲノムを率いる国立遺伝学研究所教授の斎藤成也氏は二重構造モデルを「妥当」とする一方で「(弥生人を2つに分ける)『内なる二重構造モデル』を私は提唱する」と述べた。古代人骨のDNA分析を多数手がけた国立科学博物館館長の篠田謙一氏は「二重構造モデルは日本列島の成立を統一的に説明する。ただし、北海道に関してはオホーツク文化圏など周辺の遺伝的影響を受けている」などと語った。

弥生時代から古墳時代までの渡来人は最大で100万人以上に上るという説も埴原は発表した。「30年前は弥生時代は紀元前5~4世紀に始まると考えられていたが、近年は紀元前10~8世紀まで遡るという研究者が主流。それに伴い、日本列島に人が渡った大陸側の事情も変わってきた」と国立歴史民俗博物館(歴博)教授の藤尾慎一郎氏は指摘する。もっとも、「渡来100万人説」に関しては、パネル討論で歴博名誉教授の春成秀爾氏が「九州北部の遺跡の出土状況を見ると考えにくい」と反論した。いずれにしても二重構造モデルをめぐって様々な議論が交わされるのは、この仮説が刺激的であるからに他ならない。
(中野稔)

ということで、上の図に示された金沢大学の研究チームの成果は、弥生時代になって北東アジアをルーツとする人が縄文人と混血し、さらに古墳時代になって東アジアをルーツとする人と混血が進み、ほぼ古墳時代までで現代の本州の日本人が形成されたということのようです。

旧石器人、縄文人、弥生人、古墳人、・・・現代日本人というような時代ごとに、日本列島に住んだ人々を区別して呼んでいるわけですが、時代間の日本列島の住人を比較する場合には意味があると思われますが、例えば、縄文人と弥生人という区別は、弥生時代に縄文人はいなかったという誤解を生むことになるかも知れないので、使い方は注意が必要ですね。

それで、刮目天はすでにY染色体DNA解析の結果と弥生から古墳初頭の考古学などの成果に基づく日本建国過程の仮説から日本と周辺の国々の民族の父系のルーツを調べています。(2022.3.8 赤字追加)


(左クリックで拡大)

縄文時代晩期(紀元前11世紀ころ)には半島にすでに縄文人がいましたし、揚子江河口付近(江南)の倭人が半島南部に訪れていた痕跡もありますから、このころにはすでに縄文人と江南の倭人が混血した可能性があります。

紀元前10世紀に北部九州で倭人の水田稲作技術が導入されています。紀元前473年に滅亡した呉の王族が半島南部を経由して弥生中期初頭(紀元前4世紀)には福岡市吉武・高木遺跡に居住していたと突き止めました。そして弥生中期の中ごろに徐福の約3千人のシナ人(O2)の一行が北部九州に来て、青銅器を北部九州で製造できるようになったと考えています。中期後葉(紀元前2世紀)にはシナ人の商人(華僑)が伊都国三雲遺跡番上地区に居住していました。つまり、江南系倭人(O-47z)と縄文系倭人(D-M55)とシナ人(O2)とが混血して弥生人となっていたとわかります。

ということは、二重構造モデルの弥生人が北東アジアをルーツとする人と縄文人が混血して形成されたという説は考古学の成果などと矛盾します。江南系倭人とシナ人は中国大陸からですから、東アジアの人々と縄文系倭人との混血が弥生時代には起っているということです。ちなみに、北方アジア人(C2)をルーツとする現代日本人男性は3%程度です。

さらに三重構造モデルの古墳時代になって東アジアの人々と混血して現代の本州日本人が形成されたという説も納得できません。古墳時代は3世紀後半から7世紀ごろまでを言いますので、今回の古墳人のデータがいつごろなのか、幅が広すぎてよくわかりませんが、すでに弥生時代には東アジアの人々(江南系倭人と華僑)と混血していると考えられます。金沢大学の研究で使用した古墳人のデータはわずか3個体ですし、縄文人が9個体とありますから弥生人のデータはなかったということです。もう少し、データを貯めてからでないと正確な議論はできないと思いますね。

また、ミトコンドリアDNAの解析から現代日本人の母系のルーツは以下のとおり分かっています。



M7aは列島に固有の縄文人の男性(D-M55)の祖と共に北東アジアで発生したハプロタイプの可能性がありますから、M7aとD4が北東アジア系ですかね。B4系統は縄文時代にはすでに列島にいて、台湾、フィリピン、太平洋島嶼を中心に分布しています。N9は東アジアから北東アジア系でしょう。残りのハプロタイプF1は東アジアで発生したものと考えられます(注)。

ですから、図1の縄文祖先、東北アジア先祖、東アジア先祖の割合は父系と母系の遺伝子によって起こっていますので、金沢大学の研究成果が正しいとしたら、素人考えかもしれませんが、混血を繰り返すたびに元の父系の遺伝子が母親の遺伝子に完全に置き換わった結果と解釈することができるのでしょうか?詳しい方にお聞きしたいと思います。いずれにしても、もっとデータを増やしてもらって、Y染色体やミトコンドリアのDNA解析結果と整合性がある必要がありますから、今後の研究に期待したいですね(#^.^#)(2022.3.8 赤字追加)



(注)日本列島にみられるmtDNA
「D4 (3010, 8414, 14668) :北東アジアでよくみられ、日本人、琉球人、朝鮮人、モンゴル人などでは最も高頻度で観察されるタイプであり、とりわけ日本人及び琉球人に於いてその頻度が高い。」ハプログループD (mtDNA)

Wiki「ハプログループM7a (mtDNA)」によると「約4万年以上前に誕生したアジア最大の母系グループ[1]である「M」型から分岐したM7より分岐したグループで、約2万5000年前に「スンダランド」で誕生し北上して日本列島に到達した系統にあたる[2]とする見方がある一方で、シベリア南部 - 極東あたりで発生したとする見方もある[3]。」

また、Wiki「ハプログループF(mtDNA)」によれば、「日本列島では、沖縄・宮崎をはじめ各府県にも分布し、北海道にも多少その痕跡が見られることから、縄文時代には既に南方諸島から北上したことがうかがえ、現在、日本人の約5.4%がこのハプログループFに属している[18][19][20]。」

ハプログループN9は、N9a、N9b、Yの3つの下位系統に分かれる。このうちYはアイヌを含むオホーツク海沿岸に多い(詳細はハプログループY (mtDNA)を参照)。ハプログループN9aは東アジア、東南アジア、中央アジアに広くみられるが、とくに中国南部や台湾先住民に比較的多く見出される[2]。一方のN9bは朝鮮半島や沿海州の先住民にもわずかに見られるが、基本的には日本にその分布が限られている[3]。Wiki「DNAハプログループN9 (mtDNA)」より)。

ハプログループB (mtDNA)の型の祖系の「R11'B」は、ヨーロッパの白人の母系などと祖を同じくする「N」型から分岐した系統にあたる[2]。ハプログループBは、約4~5万年前にアジアで分岐し、東南アジアやポリネシアなどといった南方に広まった代表的なグループである[3]。
縄文時代には既にこのB系統が日本列島にいたことが縄文人骨の解析などから明らかとなっており、現在では、特に東京と宮崎で多く検出される[9]。日本人に占める割合はB4(9.1%)、B5(4.3%)である[10]。



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