昨日、Mちゃんと話していた時、ふと自分の考えが凝り固まっていたのでは?と思うことがありました。ちょっと議論っぽくなったのですが、よくよく考えてみるとあえて議論してくれたMちゃんによって、気づかされた自分がなんとももどかしく思えたり。
人に言われないと気付かないのか?と思ってみたり、仕事していない期間が増えると世間ずれしそうだなとか、(会う人が少なかったり特定のある一握りの人としか話さないことによって)ひとりよがりになったり、考えがより一層凝り固まってしまわないかな?なんて不安が襲ってきます。
謙虚でいたいと思いつつ、自分の意志とは別に意外とそうでなくなっているのかな?とか。
やはりいろんな人といろんな話をしたり、趣味を持つこと等、自分を客観的に見る機会って本当に大事だなと思った今日の午後。
蛙はぬるま湯にいると熱していっても気持ちよく感じて逃げずにそのまま死んでしまうそうですが、熱湯だと熱くて鍋から飛び出すという話をとある番組で聞きました。あやうくぬるま湯の例になっている自分を想像すると怖い。
自分を律することが大事と分かっていても、いつもいつも良い方法、良いタイミングで律することができているかというとそうでもないので、友人や家族の意見に素直に耳を貸すことの大事さ、また、私を思うからこそ苦いことも言ってくれるのだなと実感した次第です。
当たり前の感覚の怖さ、覚えておかなくちゃと思いました。
人に言われないと気付かないのか?と思ってみたり、仕事していない期間が増えると世間ずれしそうだなとか、(会う人が少なかったり特定のある一握りの人としか話さないことによって)ひとりよがりになったり、考えがより一層凝り固まってしまわないかな?なんて不安が襲ってきます。
謙虚でいたいと思いつつ、自分の意志とは別に意外とそうでなくなっているのかな?とか。
やはりいろんな人といろんな話をしたり、趣味を持つこと等、自分を客観的に見る機会って本当に大事だなと思った今日の午後。
蛙はぬるま湯にいると熱していっても気持ちよく感じて逃げずにそのまま死んでしまうそうですが、熱湯だと熱くて鍋から飛び出すという話をとある番組で聞きました。あやうくぬるま湯の例になっている自分を想像すると怖い。
自分を律することが大事と分かっていても、いつもいつも良い方法、良いタイミングで律することができているかというとそうでもないので、友人や家族の意見に素直に耳を貸すことの大事さ、また、私を思うからこそ苦いことも言ってくれるのだなと実感した次第です。
当たり前の感覚の怖さ、覚えておかなくちゃと思いました。