行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

なんで電車が来ると駅の階段で走り出すのだろう・・・

2016-07-17 23:31:36 | 日記
新聞社を離れた最大の変化の一つは締め切り時間から解放されたことである。それまでは常に夕刊、朝刊の締め切り時間が心の片隅から内臓全体に巣くっていて、何かニュースに接するたび「締め切りに間に合うか?」と条件反射的に時間を確認するのが習い性となっていた。心置きなく酔えるのは夜中の締め切り後だった。携帯もパソコンもない1980年代までは、締め切りに間に合わせるため、とにかく電話を確保することが事件現場における最重要課題だった。

時間の呪縛から解かれたせいか、気になるのが、駅の階段を上がっていて列車出発のメロディーが鳴ると、ものすごい勢いで駆け出す人がいることだ。以前は日本でも気付かなかったし、中国でもあまり見かけない光景である。数分すれば次の列車が来るのだが、それに乗り遅れたら親の死に目にも会えないと言わんばかりのスピードだ。第一、転んだら自分がケガするし、人にぶつかれば相手を傷つける。ドアに挟まれれば出発時間に影響が出かねない。理性的に考えれば、そこまでのリスクを冒して飛び込むメリットはない。これもまた感覚が優先する条件反射だ。エサがなくとも鈴の音によだれを流す「パブロフの犬」と同じである。

時間というものを考える。人生は限られた時間を生きている。速度は人生の密度を高めのだろうか。時間短縮は効率の面からプラス評価をされても、短縮されなかったゆるやかな時間の効用は捨てても惜しくないのか。時間に支配され、時間の奴隷となった人生に、真の幸福はないだろう。遅刻を勧めているのではなく、時間を点でとらえず、流れを楽しむ生き方もあってよいのではないかと思う。人生はわずかな時間の積み重ねなのだから。時間にルーズな人間はとかく白い目で見られるが、そういう人間に限ってどこか可愛げがある例も多く見てきた。

アメリカの文化人類学者、エドワード・T・ホールの『Beyond Culture』(邦訳『文化を超えて』)に「Pタイム (polychronic time= 多元的時間)」と「Mタイム(monochronic time=単一的時間)」という概念が示されている。人間や文化によって時間のとらえ方が異なる。Mタイム型は、時間軸が連続した一直線で、同時に二つ以上のことを処理するのに向いていないが、物事を順序通りに進め、予定や時間を厳守するタイプ。有能な官僚になるだろう。一方、Pタイム型は、 時間軸が二つ以上あり、複数のことを同時に行い、時間にはルーズだが人間関係を重視するタイプである。どこか抜けているが友達には恵まれている。要するに、時間をとるか人間関係をとるかによる違いだ。

日本人にはどうも前者Pタイプが多いように感じる。いろいろな集まりやイベントで、日本人には「仕事が入っているので」という言い訳が多い。「仕事」はあらゆることに優先する菊の紋所だが、中国人はほとんどそういう言い方をしない。仕事は理由にならないと考えている。友人関係の方が大事だからだ。断る場合でも、家族、あるいは親友とどうにも変えられない先約があるケースで、その理由をあたかも無実の証明のように強調する。

私は1986年、北京で語学留学をしたが、路地裏で道を尋ね、日本からの留学生だとわかると、近所の人や通行人が寄って来て即席の日本語教室が始まるほどだった。高度経済成長に入る前で、人々の生活のテンポはゆっくりとしていた。列車の遅延は日常茶飯だったが、みなが全く意に介さず、この地だけ別の時間が流れているような錯覚を覚えた。

1992年、王府井にマクドナルドができ話題となった。このころから急成長のエンジンが入る。みるみる豊かになったが、時間の流れは速まった。道を尋ねても、忙しそうに去っていく。地下鉄やバスが縦横無尽に走り、メディアが定刻通りの報道で時間の観念を植え付け、徐々に人間が時間に振り回されるのである。倒れた老人を助けようと手を貸したら、逆に「倒された」と訴えられる事件まで起きる、ぎすぎすした社会になってしまった。

マクドナルドは今、中国のあらゆる都市で見られる。アメリカの社会学者、ジョージ・リッツァは『The McDonaldization of Society』1993(邦訳『マクドナルド化する社会』)で、速度を強調する社会を「マクドナルド化」と呼んだ。具体的には、ドライブスルーの受け渡しに象徴される「効率性」、商品の分量や作業の効率などがすべて量で示される「計算可能性」、メニューやサービスがどこでも同じ「予測可能性」、店内ルールの「制御」、調理済み食べ物の販売、受け渡しを合理化したこの四つが概念が特徴である。経済効率を最大化するため時間が最も重視される。

私も高校生時代、新宿歌舞伎町のマックでひたすらポテトを揚げ続けた経験があるので、時間の厳格な管理についてはよくわかる。タイマーで時間が管理され、一定時間を過ぎたものは廃棄される。

こうした技術体系は従業員を管理し、職務を単純化し、最終的には人々を機械に置き換えていく非人間的なシステムだ。私の職場では全員がスマイルのバッジをつけ、店長が「スマイル」と声をかけるのだが、妙に白々しい感じがした。人間性を取り戻す工夫だったのだろうか。個人主義の中国人にはなじまないような気もするが、リッツァは『The McDonaldization Thesis』1998(邦訳『マクドナルド化の世界――そのテーマは何か?』)で以下のように興味深い指摘をしている。

「マクドナルド化を擁護するもうひとつの議論は、これは地元の文化に脅威を与えないというものである。たとえば、中国にマクドナルド化システムが上陸することによって、その文化が急激に変化を強いられたようには思えない。さらに、中国はこのシステムを中国文化に適用して、文化をより地域的なものとするだろう。中国は、間違いなく、自らの文化の痕跡をとどめたマクドナルド化システムを生み出すだろう」

さてどうだろうか。上海のディズニーランドもこうした視点から観察してみると面白いかもしれない。

メディアを語った芥川龍之介の『侏儒の言葉』⑤完

2016-07-17 10:50:34 | 日記
理性によって支えられる主体的な「輿論(よろん)」と感情に流される妄信的な「世論(せろん)」の区別はすでに触れた。想起すべきはギュスターヴ・ル・ボンの「群衆(群集)=crowd」と、それに対し理性の自覚を持った集団として、ガブリエル・タルドが描いた「公衆=public」の存在である。「輿論」は「公衆」によって形成され、「民衆」は「世論」に流される。芥川龍之介『侏儒の言葉』は、これら二グループの概念を区別していないが、理性への希望を捨てていない。最後にすがるようにたどりついたのが「中庸」である。

「自由意志と宿命と」のタイトルで以下のように述べる。

「とにかく宿命を信ずれば、罪悪なるものの存在しないために懲罰という意味も失われるから、罪人に対する我々の態度は寛大になるのに相違ない。同時にまた自由意志を信ずれば責任の観念を生ずるために、良心の麻痺を免れるから、我々自身に対する我々の態度は厳粛になるのに相違ない。ではいずれに従おうとするのか?わたしは恬然(てんぜん)と答えたい。半ばは自由意志を信じ、半ばは宿命を信ずべきである。あるいは半ばは自由意志を疑い、半ばは宿命を疑うべきである」

「自由意志と宿命とに関らず、神と悪魔、美と醜、勇敢と怯懦、理性と信仰、--その他あらゆる天秤の両端にはこういう態度をとるべきである。古人はこの態度を中庸と呼んだ。中庸とは英語のgood senseである。わたしの信ずるところによれば、グッドセンスを待たない限り、いかなる幸福も得ることは出来ない」

中庸=good senseは「公衆」が有する「公論」と置き換えてもよいだろう。社会学者の清水幾太郎が
「群集を支配するのは感情であり、公衆を動かすものは知性である。群衆の行動は常に一つの極端から他の極端に移るが、公衆は中庸を守る」(『流言蜚語』)
と言っていることと符合する。芥川のメディア論は、ここにおいて理性の高みに達した。軍靴がのさばり始めた不穏な時代の空気の中、いかにして独立した思考を保ち、精神の権威を打ち立てようかと悩んだ末にたどり着いた境地である。

拙著『「反日」中国の真実』(講談社現代新書2013)で中庸に言及したことがある。中庸は中国の春秋戦国時代に生まれた思想だ。極端な言説がはびこる乱世にあって、「単純な『足して二で割る』ではなく、両極端を超越し、さらなる高みにたどり着こうと模索するのが孔子の孫、子思が残した『中庸』の核心である。価値観が多様化し、混沌とする現代にあって、二分法の極論は容易に大衆の心理をつかみがちだが、それは極めて危険な現象だ」(同著)と解説し、小林秀雄の評論『中庸』(1952年)を引いた。以下の言葉だ。

「過不及のない、変らぬ精神の尺度を、人は持たなければならない、という様な事を孔子は言っているのではない。いつも過不及があり、いつも変っている現実に即して、自在に誤たず判断する精神の活動を言っているのだ。そういう生活の智慧は君子の特権ではない。誠意と努力とさえあれば、誰にでも一様に開かれている道だ。ただ、この智慧の深さだけが問題なのである。君子の中庸は、事に臨み、変に応じて、命中するが、そういう判断の自在を得ることは難しく、小人の浅薄な中庸は、一見自由に見えて、実は無定見に過ぎない事が多い。考えに自己の内的動機を欠いているがために、かえって自由に考えている様な恰好にも見える」

また同拙著では、魯迅のよき理解者であった内山完造が『花甲録』で、ソ連社会主義一辺倒に偏る毛沢東を評した言葉も引用した。

「毛沢東主席は一辺倒と云うことを言われた。そして中庸的存在の不可能を強調された。それは不上不下や不冷不熱の中庸的存在は今日の世界では許されないのだろうが、しかし、だからと言うて一辺倒することはそれもまた危険なことである。なぜならそれは賭博だからである」

『中庸』(金谷治訳注)の冒頭には、「天の命ずるのを性という。性に従うのを道という。道を修めるのを教という」の一節がある。重要なのは人間の本姓に懐疑的立場を取りながらなお、理性、価値あるものへの希望を失っていないことである。時空を超え、知識人が一致した境地を切り開いてきたことに感嘆する。官僚主義が社会の隅々にまではびこり、個人がますます部品として隷属化し無能力化させらている現代だからこそ、『侏儒の言葉』を読み返す意味があるのだ。芥川龍之介のメディア論もここでいったんは擱筆の時を迎える。

(完)

メディアを語った芥川龍之介の『侏儒の言葉』④

2016-07-17 09:12:50 | 日記
芥川龍之介『侏儒の言葉』は、人をだます言葉のトリックも見逃してはいない。「倹約尚武」という成語ぐらい無意味を極めているものはない、との警句を発している。「尚武=勝負」という固定された読み方に含まれた既成概念を疑い、「尚武=国際的な奢侈」と読み替える。そこから、「尚武」の名のもとに「列強は軍備のために大金を費やしているではないか?」との独立した思考が働き、「尚武放蕩」への書き換えを求める批判精神が生まれる。メディアにおいて、言葉が雌雄を決する決定的な価値を有することを教えてくれる。

時代はしばしば新奇なものに対し、「危険思想」のレッテルを貼る。芥川に言わせれば、「民衆は穏健なる保守主義者である」からだ。制度、思想、芸術、宗教、--何ものも民衆に愛されるためには前時代の古色を帯びなければならず、前衛的なプロレタリア芸術がいくら「民衆芸術」を名乗っても、民衆になかなか愛されないのも故なきわけではない。だから『侏儒の言葉』は「危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である」と定義しないわけにはいかない。

簡潔で、明瞭で、伝統的な観念に根差した言葉ほど、民衆を欺くのに適している。昨今、「改憲」という言葉がメディアに上らない日はないほど多用されている。だが賛否いずれの側に立つにしても、その具体的な内容が文脈に即して語られることはない。先日の参院選にしても、メディアは「改憲勢力」「三分の二」という簡潔、明瞭、伝統の三原則にのっとった問題設定で国民を欺いた。

だが、『侏儒の言葉』は返す刀でだまされる民衆の側にも批判の刃を向ける。

「誰も自由を求めぬものはない。が、それは外見だけである。実は誰も肚の底では少しも自由を求めていない。その証拠には人命を奪うことに少しも躊躇しない無頼漢さえ、金甌無欠(侵略を受ける隙のないほど堅固なこと)の国家のために某某を殺したと言っているではないか?しかし自由とは我々の行為に何の拘束もないことであり、すなわち神だの道徳だのあるいはまた社会的習慣だのと連帯責任を負うことを潔しとしないものである」

「自由」という言葉の持つまやかしがえぐり取られる。「自由は山巓(さんてん=山頂)の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない」ほど峻厳なものであり、「まことに自由を眺めることは直ちに神々の顔を見ることである」ほど厳粛なものでなければならない。だが使われている言葉はどうか。

「自由主義、自由恋愛、自由貿易、--どの「自由」も生憎(あいにく)杯の中に多量の水を混じている。しかも大抵はたまり水を」

言葉が乱用され、ゆがめられ、雑多なものを含み過ぎた。透き通った簡潔さ、明瞭さの中に濁った異物が混じりこんでいる。自由には逃れることのできない自己責任を伴う。山頂の過酷な空気に耐え、神に対するような強い信仰を持つ覚悟があって初めて語ることを許される。氾濫する耳障りの良い言葉がどれだけ民衆の感覚を麻痺させ、目を曇らせていることか。冷めた目を持ち得ないものは、規律に従属する機会の部品としての兵士でしかない。『侏儒の言葉』は「兵卒」を次のように語る。

「理想的兵卒はいやしくも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に批判を加えぬことである。すなわち理想的兵卒はまず理性を失わなければならない」

「理想的兵卒はいやしくも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負わぬことである。すなわち理想的兵卒はまず無責任を好まなければならぬ」

理性を捨て、無責任に堕した人間は、自由を語る勇気と覚悟を捨てた奴隷なのだ。「自由」という言葉が人の感覚を麻痺させる毒は、これであますところなく言い表されている。

(続く)

メディアを語った芥川龍之介の『侏儒の言葉』③

2016-07-17 07:39:30 | 日記
芥川龍之介『侏儒の言葉』は、公衆が先入観に侵され、感情に支配され、本能的な悪辣さに惑わされ、メディアに従属してることへのシニカルな批評に満ちている。メディアが人間のかかわるあらゆる領域を満たしている現代とは異なり、世論形成や表明の場が集会や新聞に限定されていた時代、理性の場として期待されていた総合雑誌において語られた言葉である。メディアとしての言葉が力を持っていた。わずかな数行に肺腑を衝く言葉がある。大正デモクラシーの華と言うべきか。

大量発行部数によって世論を席巻してきた新聞への批判には遠慮がない。「武器」と題する一文は正義と武器を語っている。

「正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理屈をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。古来『正義の敵』という名は砲弾のように投げ交わされた。しかし修辞につりこまれなければ、どちらがほんとうの『正義の敵』だか、滅多に判然したためしはない」

その「正義の敵」を決めるのが新聞だというわけだ。日本人労働者は米国で排日土地法や移民制限法によって排斥されたが、一方、日本の中国人労働者は千住から退去を命ぜられた。米国を「正義の敵」と攻撃するのならば、正義に反している日本は二重基準を持っていることになる。だが、「日本は新聞紙の伝える通り、--いや、日本は二千年来、常に『正義の味方』である。正義はまだ日本の利害と一度も矛盾はしなかったらしい」と手厳しい。

メディアが語る「正義」の名のもとに何が行われてきた。芥川の舌鋒は鋭い。

「蛍の幼虫は蝸牛(かたつむり)を食う時に全然蝸牛を殺してはしまわぬ。いつも新らしい肉を食う為に蝸牛を麻痺させてしまうだけである。我日本帝国を始め、列強の支那に対する態度は畢竟(ひっきょう)この蝸牛に対する蛍の態度と選ぶ所はない」

ご都合主義の「正義」を振りかざすことへの批判は、領土問題や歴史問題が起きるたび大衆に迎合する現代の日本メディアに対しても当てはまる。かつてと違うのは、現代の『侏儒の言葉』が聞かれないことである。今の総合雑誌にそれを期待することは、水中に火を求め、木に縁りて魚を求めるようなものだ。言葉が心臓を震わす力を失って久しい。

正義の概念もあいまいな社会は、芥川の目にどう映っていたか。政治の天才たちは、「民衆を愚にすることを治国の大道に数えていた」古人にならい、「民衆の意志を彼自身の意志とする」のではなく、「彼自身の意志を民衆の意志とすること」「少なくとも民衆の意志であるかのように信ぜしめること」に精力を注いできた。に政治的天才は俳優的天才となり、発言は帝王の言葉というよりも名優の言葉にふさわしくなる。こうして生まれる共和制の嘘は、「我々の利益」の代わに「天下の利益」を置き換えることだという。

では公衆はいかに目覚めればよいのか。次回、核心の言葉をもって芥川龍之介のメディア論は締めくくろうと思う。

メディアを語った芥川龍之介の『侏儒の言葉』②

2016-07-17 00:20:57 | 日記
1923~25年にかけ『文藝春秋』に連載された芥川龍之介『侏儒の言葉』には、「世論(輿論)」に関する鋭い分析がある。

「輿論は常に私刑であり、私刑はまた常に娯楽である。たとひピストルを用うる代わりに新聞の記事を用いたとしても」
「輿論の存在に価する理由はただ輿論を蹂躙する興味を与えることばかりである」

当時、「輿論(よろん)」と「世論(せろん)」は区別して使われることが多かった。「輿論」は「五箇条の御誓文」の第一条「広く会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」に想定された、議論によって認められた尊重すべき公論であり、世論とは「軍人勅諭」の「世論に惑わず、政治に拘わらず、ただ一途に己か本分の忠節を守り」に象徴されるように、情緒的で暴走を阻止すべき雰囲気(空気)だった。戦後、当用漢字表公布によって「輿」の字が新聞で使えなくなったため、苦肉の策として「世論」と書いて「よろん」と読む慣行が生まれた(佐藤卓己『輿論と世論』)

芥川はその区別に拘泥せず、感情に流されやすい「公衆」「民衆」の意見としてとらえられている。「太陽の下に新しきことなし」という高みに立った視点を持つことができず、クレオパトラの高い鼻の美を盲信する非理性的な人間の姿である。先入観にとらわれ、善悪ではなく、好悪によって判断する大衆の様を、ラジオやテレビが登場する以前につかみ取ったのは慧眼である。

芥川は、「公衆は醜聞を愛するものである」と言う。公衆は「紛々たる事実の知識」を愛し、「彼らの最も知りたいのは愛とは何かということではない。キリストトは私生児かどうかということである」と容赦なく切り捨てる。「紛々たる事実」は、新聞が政論を戦わせていた明治初期の大新聞から、商業ジャーナリズムの小新聞としてニュースを伝える商品と化した実態を抉っている。インテリの傲慢ささえ感じさせる言説だが、芥川にとっては、現代的ではなく歴史的、特殊ではなく普遍的な事実なのであった。

「古人は民衆を愚にすることを治国の大道に数えていた。ちょうどまだこの上にも愚にすることの出来るように。--あるいはまたどうかすれば賢にでもすることの出来るように」

だが、古今東西の歴史を凝視し、社会、個人を透視してきた作家の目はここで止まらない。ではなぜ公衆は著名人の醜聞を醜聞を愛するのだとうか?芥川はまずフランスの小説家、グルモンの言葉を引いている。

「隠れたる自己の醜聞も当たり前のように見せてくれるから」

そのうえで「グルモンの答えは当たっている。が、必ずしもそればかりではない」と続ける。

「醜聞さえ起こし得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼らの怯懦(きょうだ)を弁解する好個(こうこ)の武器を見出すのである。同時にまた実際には存しない彼らの優越を樹立する、好個の台石を見出すのである」

私はあの才女ほど美しくはないが、彼女よりも貞淑だ。私はあの有名作家ほど才能はないが、世間にはより通じている。おそらく人々はこうして自分を納得させることで、自分が同じように醜いものを持っている現実から目をそらし、羨望のゆがんだ裏返しとして、イメージした優越感に浸る。芥川の言わんとしたことはこういうことだ。公衆はこうして安心した後、「豚のように幸福に熟睡」するのである。

救いのない現実を寸鉄の言葉で放り投げながら、芥川は理性への信頼を失っていない。次の言葉にそれがよく表れている。

「民衆の愚を発見するのは必ずしも誇るに足ることではない。が、我々自身もまた民衆であることを発見するのはともかくも誇るに足ることである」

『侏儒の言葉』のメディア論はまだ続く。