行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

痛みをどう受け止めるか、について考えた

2017-07-28 13:29:52 | 日記
左足首の関節に捻挫のような鈍い痛みがあったので整形外科に行ったが、炎症止めで痛みは薄れたものの、腫れが足の甲にまで広がった。内科に診てもらうと痛風だと告げられた。かねてより尿酸値も高いので、とうとう来たかと最後通告を受け止めた。実は同じ病院で3年前、同じ部位に眠れないほどの激痛が走り、休日の救急医にかかったことがある。その際は虫に刺され菌が入ったと診断され、点滴を受けて瞬時に治った。あの時こそおそらく最初の痛風発作だとの疑いが濃厚となり、自らの不養生を反省した。

痛みに対して、人の対処には二通りがある。一つは過剰に教訓をくみ取る「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」、もう一つは教訓を残さない「喉元過ぎれば熱さ忘れる」。酒飲みの立場からすれば、激痛に懲りて断酒するか、苦痛を忘れて元通り宴会を繰り返すか、ということだ。今は尿酸値を下げる特効薬があるから、教訓さえも意味が薄れている。科学の進歩に人間の思考が取り残されると、精神の働きは大幅に弱っていく。

「羹に懲りて膾を吹く」は、憂国の詩人、屈原の思想を伝える『楚辞』九章を出典とする。屈原は楚の王族の家系に生まれ、強国の秦に対抗する策を国王に説くが聞き入れられず、絶望の末、入水自殺する。信念を曲げなかった愛国者として語り継がれている。出典の個所は以下の通りだ。

「羹に懲りて膾を吹く なんぞこの志を変ぜざるや」

夢の中で神が現れ、孤立する屈原にこう語り掛ける。「世の中の人は、熱いものを食べて舌をやけどしたら、生ものを食べるときでさえ臆病になって冷やすというじゃないか。どうしてお前さんは、いつまでも懲りないで志を曲げないでいるのか」。屈原は、世の中の人がみな酔っていても、一人だけは真理と正義を求め、覚めていていようとする。みなが濁っていたとしても、それに染まることをよしとしない。

だとすれば、「羹に懲りて膾を吹く」は俗人の処世術であり、屈原にとっては唾棄すべき生き方となる。『楚辞』はむしろ、後者に重きを置いたのであって、後世に残ったのが俗人の処世訓だけであるのは皮肉なものだ。屈原の孤独な絶望が一層、時代を越え、悲壮感をもって迫ってくる。痛みから逃げず、石のようにそれを抱え込む。喉元を過ぎても、なお熱さを抱き続ける。劉暁波氏にも通じる生き方ではないかと思う。

「羹に懲りて膾を吹く」は、現代においては無責任、事なかれ主義、内向き思考と置き換えてもよい。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」は場当たり、ご都合主義、思考停止だ。世の中の不祥事はたいていこの二つが根源にある。

稲田防衛相が辞任を表明した。責任を負わされるだけの役人は、無作為こそ最善の処世術だと学ぶだろう。こうして事なかれ主義はますます蔓延していく。政治家は、熱しやすく冷めやすい世論を利用し、その場をしのぐ自己都合しか考えていないので、同じ過ちは繰り返される。いずれにしても、最も大事な論点、真理と正義は打ち捨てられる。「羹に懲りて膾を吹く なんぞこの志を変ぜざるや」と言わしめるだけの人物は出ないものだろうか。痛みを抱え込んだ人物に、人々は共感を寄せられないものだろうか。

前川氏はもしかしたら、その一人であるかも知れない。だとすると、孤独な正義の目を摘み、真実の探求から目をそらせようとした読売新聞の報道は、メディアが負うべき自由と責任を自ら否定する、新聞史上に残る汚点である。だがこの期に及んでもなお、二つの処世術によって痛みをやり過ごそうというのであろうか。ただ特効薬がないことだけは間違いない。







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