行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

雨上がりに見つけた大きな蝸牛(ウォー・ニュウ)はカタツムリではない。

2016-11-25 18:52:12 | 日記
自分が見聞きした事象からニュースバリューを引き出し、そのニュースを通じて自分の人生観や社会認識、世界観を掘り下げていくことができないかと考えた。メディアが伝えるニュースの分析、読者を想定した取材実習、こうした授業に慣れた学生たちは、知らず知らずのうちに型にはまったニュース観、取材テーマの選択を身につけてしまう。ステレオタイプの再生産を繰り返していることになる。

メディアの編集現場は限られた時間、想定される読者層という市場の制約を受ける中で、ニュースの鋳型を作り、規格に合った商品として送り出す流れ作業に習熟する。だが時間的制約や商品価値を考慮することのない学生たちは、こうした作業をまねる必要はない。むしろ制約は最小限にとどめ、可能な限り自分の思考、表現の空間を広げる機会を与えるべきではないか。

学生に身近なニュースの発掘を求めたが、逆に、具体例を挙げてほしいと求められた。そこで、9月初め汕頭大学に赴任した直後、雨上がりに大きな巻貝を背負い込んだカタツムリを見つけ、びっくりした経験を思い出した。海辺で見かけるような、厚ぼったいしっかりした貝だ。当地に特有の種類だと知った。

カタツムリの中国語表記は、日本人にも理解できる蝸牛だが、読みは「ウォー・ニュウ」でまったく異なる。柳田國男は『蝸牛考』を著し、デンデンムシやマイマイ、カタツムリの呼称の分布を調べ、時代によって方言が京都から同心円状に伝播していったとする説を唱えた。書名に中国伝来の漢字「蝸牛」を用いたのは、カタツムリから時空感覚を排除するための表現技術だったのだろう。だが私にとって「蝸牛」の表記は切実な認識の問題となる。

巨大なカタツムリとの出会いは、私が中国語による生活圏に加わったこと、それを「蝸牛(ウォー・ニュウ)」と認識することをも意味していた。私にとってのニュースバリューは、巨大カタツムリの新規さ同時に、言語環境の変化をも含んでいた。この文章を書きながら、私は校内で見つけて「ウォー・ニュウ」と認識したものを、頭の中で「カタツムリ」と翻訳していることになる。だが厳密に言えば、私の記憶にある「ウォー・ニュウ」の外観は「カタツムリ」とは違う。頭の中での翻訳は、異なる言語圏を結ぶための便宜的な技術に過ぎない。

「蝸牛(ウォー・ニュウ)」と「カタツムリ」は似て非なるものだ。そう思うところから言葉や文化への理解が始まる。「蝸牛角上の争い」(荘子)も「蝸牛の角上に雌を比べ雄を論ずる」(菜根譚)も、「カタツムリ」から生まれたのではない。カタツムリに狭隘さに対する嘲笑は向けられていない。黙々と地道に、一歩一歩を進み、人々に多くの示唆を与える存在だ。飛行機からカタツムリは見えなくとも、カタツムリから上空は見上げられる。高速道路の速さは無縁だが、微小な小宇宙の営々とした営みをカタツムリは知っている。そういう生き物だ。

こんな話をして学生の表情をうかがってみる。大半は驚き、途方に暮れたように目を開いているが、中にはうなづいている学生もいる。カタツムリの歩みのように、少しずつ話を続けることにしよう。

今朝、小雨の中、はい出して来る「蝸牛(ウォー・ニュウ)」がいた。学生の何人かが、示し合わせたように写真を携帯に送ってくれた。

















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