行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

中国の農村に1人残された老人・・・消えゆく村

2016-04-21 09:57:19 | 日記
中国のネットで、北西部・甘粛省の農村に1人残された男性の孤独を伝える写真が話題を呼んでいる。同省靖遠県永新郷松柏村の雪山社という村に住む劉生家だ。



新華社通信の報道によると、2006年、20数戸あった村民が次々移住したが、彼は病気の母と弟の世話をするため村に残った。その後、母も弟も亡くなり、1人ぼっちになってしまった。山間の土地や気候の条件が厳しく、生活には適していない。多くは出稼ぎなどに出たのだろう。周囲は朽ちかけた塀や壁が残骸のように残っている。





劉生家は「最初は山奥で犬の鳴き声がすると一晩中眠れないこともあったが、羊を何匹か飼い始めてからは、とりあえずの仲間ができたので、徐々に1人の生活に慣れていった」と話している。4年前、それまで住んでいた家の壁が雨で壊れたので、空き家に住み替えた。





食料は何キロも山を下り買い出しをして間に合わせる。かずかな補助金と毎年2、3匹羊を売り、森林の臨時保護員の手当てを含め毎月700元あまりの収入で生活している。「親戚の援助もあるので暮らすのには問題ないが、やはり人が住む場所に引っ越したい」という。

甘粛省は1人当たりGDPが全国で最も低い貧困地区だ。1人当たりGDPの数値では北京、上海などの四分の一しかない。

思い起こされるのは2008年の四川大地震で、被災地の中で最貧困地区の一つだった甘粛省文県を訪れたときのことだ。通常でも雨による土砂崩れでしばしば山道が封鎖される僻地である。山間部の交通不便な地理的条件に加え、発生当初、地元政府が被害を過小評価しようと報道規制を敷いたため実態把握が遅れ、中国メディアが「忘れられた被災地」と報じていた。国道や省道ではこうして陸の孤島となった村の代表が段ボールの紙を掲げ、「この奥に被災した村がある」と救援を求める光景にも出くわした。

文県の山村では木を土で固めただけの家屋が7割以上を占め、崩れた土の家は雨で流され跡形もなかった。だが人民解放軍が投入され道路が切り開かれると、村民から「これまではだれも相手にしてくれなかったが、ようやく広い道路ができた」と喜ぶ声が聞かれた。救援物資の中に白米があったことも、それをめったに口にできない人々には歓迎された。震災を上回る貧困が存在していたことに、唖然とさせられた。

2011年、中国の都市人口が農村人口を超えたことが歴史的ニュースとして報じられた。1970年代末、改革開放がスタートした当初の都市化率は2割にも満たなかった。わずか30年間で都市人口が急速に膨張したことを物語る数字だった。当時、「中国の農村は10年間で360万から270万に減少した」、「毎日、80~100の村が自然消滅している」とする報道も注目された。2011年以降も都市人口は毎年2000万人近く増加し、2020年には全体の60%に達する勢いだ。

甘粛省の1人残された男性のニュースは、こうした巨大なうねりの中にある現象の一つに過ぎない。さらに、都市人口と都市戸籍人口は別の概念である。都市戸籍は全体の4割にも達していないアンバランスが生じている。都市に暮らしながら、その土地の戸籍を得られないため、真の「都市住民」となり得ていない数多くの人々がいることも忘れてはならない。

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