行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

「一人の農民の表情の中に人間の表情をよみとる深い愛」(武田泰淳)

2016-06-24 19:29:56 | 日記
岩波書店『日中の120年 文芸・評論作品選』を読んでいいる。第3巻のタイトルは『侮中と抗日』である。侵略戦争の進行につれ、文人たちまでもが理性的な態度を打ち捨て、情緒的な言葉が増幅させる感情の虜になっていく。人が社会的人間であり、国家という枠の中で生きている以上、所属する集団から完全に独立することは至難だ。ただ残念なのは、相手に対する乏しい認識しか持ち合わせておらず、人間に対する洞察や想像力を忘れ、奴隷のような精神に堕しているさまを見させられることだ。

巴金が『支那軍の鬼畜性』を発表した山川均に「野蛮」の言葉を送り、「真実のニュースとか、正確な報道とかは、あなたの国の新聞とはなんの関係もないように思われます。デマと中傷とは、あなたの国の新聞記者の常套手段のようです」と書いている。また『日本の友人へ』では、「あなたたちは上で統治する権力者を崇拝します。上司の言葉を信じ、学校の教師の話を絶対の真理と受け取ります。そして社会に出たら新聞を生活の指針とします。あなたたちの頭には、誤った観念とウソのニュースが詰まっているです」と書いた。日本の多くの著名作家が従軍記者として動員され、戦果を送り続けたのを読み合わせるとき、その筆致は胸をえぐり取る刃物のような鋭敏さを放つ。

東大で竹内好らと中国文学研究会を発足させた武田泰淳は、やがて召集令状を受けて華中の戦地に赴く。そこから寄せられた次の文章は、現地に身を置いて苦悩する思想家の良心を教える。「大地に群がるこの無数の土民の顔を念頭におかずして」空論を語る学者たち、人の運命をもてあそぶ政治家たちにはおそらく、「一人の農民の表情の中に人間の表情をよみとる深い愛がなければなりません」という彼の叫びは伝わらなかったことだろう。



今からでも遅くない。多くの人々と共有すべき文章だと思い、以下に全文を書き写す。

武田泰淳『土民の顔』
日本軍がいかにやさしく近づいたとしても戦線では支那の人民はなかなかなついてくるものではありません。武装した我々に支那人が近寄るとしてもその時はもはや或る種の心構えをととのえて来ているに違いありません。我々は極端な表情をしているくせに心が少しも動揺していないらしい農夫を沢山見ました。泣いたり喜んだりしていても眼はどこか異常なところをみつめています。土民の顔は黒く日焼けし素朴に見えますが彼等の心は青黒く深い潭(ふち)のようです。子供でさえ何という鋭い智慧のはたらきを蔵していることでしょう。我々兵士が交際するのはかかる心を持った貧困な土民ばかりです。これ等の住民はおそらく大部分の支那研究者、支那旅行者の眼にとまらなかったやからでありましょう。しかしアジア的なるもの、東方文化の一つの源流をなす支那を形づくっているものは彼等なのであって、日本の漢学者と古書の発見についてペチャクチャ高等な北京語をはなす二三の学者ではありません。立派な東亜研究所や東亜文化協会が出来るのはもとより喜ぶべきことではあります。しかしその首脳者が大地に群がるこの無数の土民の顔を念頭におかずしていたずらに東方文化建設を論ずるならば、戦線にあって自ら土民の鋤をとって道路を構築する工兵や、土民の鍋で彼等と共に食事を炊いでいる警備兵はその施設の無力を笑うに違いありません。政治家は数千の苦力を使用することができればよいかもしれない。しかし文化人・東方における知性の華を花咲かせることを夢みる人は、一人の農民の表情の中に人間の表情をよみとる深い愛がなければなりません。勝手な独断を押しつける態度ではなくて、あらゆる法則や概念の束縛を離れて、流れ溢れる東方の文化の泉に浴する謙虚な姿勢がほしいものと思います。そのために苦悩しそのために絶望するともなおその影を追いもとめる熱情は、静かに思索する者の胸にこそ宿りうるでありましょう。
(1938年11月『中国文学月報』)

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