行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

知識人からの不評を気遣った習近平の「三つの不」

2016-05-02 00:28:41 | 日記
習近平政権が誕生して3年半。綱紀粛正から思想統制、言論統制まで堅苦しい世の中になり、一般庶民は感じていないが、知識階級は堅苦しい思いを強いられている。表向きには言わないが、「江沢民や胡錦濤時代の方がよかった」という愚痴もしばしば耳にする。そんな悪評を気遣ったのか、最近、言論に対する寛容な発言が目立つ。

4月30日、安徽省で知識人や模範労働者、青年を対象に開いた座談会ではこう語った。

「知識人から寄せられる意見や批判は、動機が正しければ、大いに歓迎し、積極的に受け入れなければならない。たとえ一部の意見や批判に偏りや、不正確な点があっても、より幅広く、寛容な態度で接するべきだ。上げ足を取ったり、レッテルを張ったり、弾圧したりしてはならない(不抓辫子、不扣帽子、不打棍子)。各クラスの指導者幹部は知識人と進んで付き合い、彼らを誠実な友人、耳の痛いことを言ってくれる友人だと思うべきだ」

また4月19日、インターネットの安全・情報化活動座談会では、「ネットでの善意による批判は歓迎され、それだけでなく真剣に研究し、取り入れなければならない」と強調した。

安徽省の「三つの不」発言は、五四運動の記念日、5月1日のメーデーを前にしたものだ。開明的な万里が改革開放の先陣を切った場所を視察した後だけに、その言葉には深い意味があると思える。

万里の盟友だった父親の習仲勲は生前、党内言論の不寛容が文化大革命などの誤った道を生んだ反省から、言論の自由を保障する「不同意見保護法」を定めるよう試みた。「どういう状況で異なる意見を認めるかを定め、たとえ意見が誤りでも、処罰されない」ことを保障する法律だ。彼が万里に語った遺言で、未完の事業の一つとして挙げたのが同法の制定だった。

習仲勲は毛沢東が主導した政治闘争で16年間、迫害を受けた経験を持つ。また晩年、胡耀邦や趙紫陽を擁護して排斥されるが、最後に出席した公式会議で異例の発言を求め、「異なる意見の者を“反対者”と決めつけてはいけない。“反動派”として打倒するのはもっといけない。異なる意見を保護し、異なる意見を重視し、研究しなければならない」と訴えた。


(習仲勲と習近平)

習近平はその父のDNAを受け継いでいる、というのが私の見方だ。これまでのところ否定的な出来事が多いが、昨今の発言の中にその片鱗を感じた。



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