昭和35年(1960)(65才)
神様があるかないかということについては、見方がいろいろありますが、
われわれが、俗に神さんというているもの、
その神さんは結局、いっさいのものに対して非常な慈愛の心をもっている。
そういうところに神さんの尊さがある。
神さんが、人間は弱いからあいつを苦しめてやれというようなことで、
どんどん苦しめたり、勝手なことをなさるんであれば、神さんの価値がない。
弱き者も強き者も悪人も善人も同じように、
なんとかして、さらによく助けてあげたいというような慈愛の心をもっているところに、
神さんとしてのほんとうの値うち、尊さというものがあると、私はこう思うんです。
われわれ人間は神さんほどではないが、
やはりそういうような慈愛の心をもって、
強い人を恐れたり、弱い人を見下げたりしないで、
みんな平等の考えをもって奉仕していこう、
そしてお互いがよくなっていこうと努める。
そういうところに人間の高まりがあり、そうすると戦争をしていいか悪いかということも、おのずと分かってくると思うのです。
またそうなれば、自分というものを絶えず反省しますから、自分の価値判断もできる。
自分というものがどれだけのものかということが分かる、
そうするとうぬぼれたりしないということになる。
また自分がちょっと劣っていたとしても悲観しない。
劣っておれば、さらに努力して少しでもよくなって皆に喜んでもらおう、
両親にも、兄弟にも、先輩にも喜んでもらおうと心がけるから、
先輩からも、両親からも、「感心した子どもである。 いい子どもである」と言うて、
心から喜んでもらえる。
そうしてその人には、いろいろな意味において世間の導きが与えられることになると思います。
松下電器も私はそうだと思う。
今二万何千人かの人がおりますけれども、
この人たちが、みんな心を合わせて、そうして奉仕をしていくという考えをもてば、
「松下電器の人たちは立派な人だから、同じことであれば松下電器をひいきにしてやろうやないか。
松下電器をひとつ助けてやろうやないか」と言うて、
多くの方がわれわれに接触をもってこられる。
それが松下電器の繁栄の姿になってくるわけです。
そうでありますから、皆さんが両三年間いろいろ勉強してくださる。
その結果、技術は技術として高まらないといかん。
知識またしかりである。
そういうようにして一生懸命やらないといけないけれども、
同時に、そういう習った知識や学問というものを、
立派に世の中、人のために使いこなせるような精神そのものを養わないといけない。
その点を皆さんに私は特にお願いしておきます。
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