いつか読みたいと思っていた本でした。
今更ながら購入しましたが、一気に読んでしまいました。
http://masako-kurashi.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-edd4.html
仏教を学びたいと思ったのは、弁護士となり、少年事件を担当する中で、人のいたみがわからない子供たちが多いことに気付いたからだという。人のいたみが想像できないということではなく、バーチャルの世界と現実との区別がつかず、自分以外の人間は痛みを感じないと思っているのだという。どうすればいいのか悩んでいるときに、ある経営者の方から、宗教教育が亡くなったことが原因と言われ、教官するものがあった。昔はどこの家にも仏壇があり、いただき物や珍しいものは、まず、仏さんにお供えしてから、食べさせてもらった。こういう習慣を通じて、子供たちは、「がまんして待つ」ことを学んだ。今は、何でもほしいものはすぐ手に入る。「がまん」することを教えられないまま育った子供たちは、自分のほしいものは何でも手に入ると錯覚してしまう。
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突然、『歎異抄』の中に出てくる「煩悩具足の凡夫」という声が聞こえたのだという。自分のことを言われているようで、はっとしたという。
その声を聴いた瞬間、それまで、自分は世のため人のためにやってきただけなのに…と、恨みがましい気持ちがあったのが、そうか、本当は、頑張っている自分を認めてほしかったのだ。そう思ったらふっと肩の力が抜け、子持ちが楽になった。『歎異抄』は、若いころから、好きでよく読んでいたけれど、そのように、ことばがすとんと心に落ちたのは初めての経験だったという。
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改めて、この10年間のお話をうかがい、「障害を持つお子さんを抱えて、大変でしょうね」と、思わず尋ねると、「少年事件を多く扱ってきたので、はたから見たら、何の不自由もない幸せな暮らしと思える家庭の子供が事件を起こし、親が嘆き悲しむ姿をたくさん見てきた。何が幸せで、何が不幸なのかは、人それぞれで、人と比べることはできないと思います」と、大平さんから教えられた。
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http://www.shinrankai.or.jp/s/movie/houwa/h23-05.htm
親鸞会 煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は(歎異抄)
「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」
(歎異抄後序)
「火宅のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間の総ては、そらごと、たわごとであり、まことは一つもない。ただ弥陀の本願念仏のみがまことなのだ」
人は、何かを信じなければ生きていけません。
しかし、この世は全て無常であり、信じたあとから裏切られていきます。
しかもそんな必ず裏切る「そらごと・たわごと」しか知らない「煩悩具足(煩悩100%)」がすべての人間の実態なのです。
本当の幸福になりたければ、阿弥陀仏の本願のみまことだから、弥陀一仏に向かいなさい(一向専念無量寿仏)と、真の方角を指し示された親鸞聖人のご教示を、二千畳の法友は真剣に聞法しました。
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http://www.youtube.com/watch?v=1aF7Z9EgcxM
親鸞会の紹介ビデオ。
この親鸞会紹介ビデオでは、浄土真宗用語の「平生業成」について解説。
親鸞会の会長・高森顕徹先生の説法(40周年記念大会講演)。
親鸞会公式サイト
http://www.shinrankai.or.jp/