昭和52年(1977)(82才)
祇園さん(八坂神社)というお宮さんが京都にありますけれども、あそこは祇園さんとしての神さんですな。
どれだけの力をもってはるのか知らんけど、皆が認めてますわな。
そしてそこへお参りしてお賽銭あげてますわ。
あれはやっぱり、形なきもの、
姿なきものですけれども、その神さんがおられるという、
神の力というもの、権威というものを認めて、みなお参りするんですな。
それはそれで秩序が立つていくわけです。
町の秩序も立っていくわけです。
そういう目に見えない、金もなんにも要らない権威というものを、
われわれがつくり出して、そしてお祭りしたりなんかして、やっているんですな。
そういう起用なことができるんです。
私は、人間というものが偉いものやと思うのは、
自分の発想で神様というものを創造するわけですな。
その創造した神さんに手を合わして措んでいる。
それで知恵を授かる。
知恵を授かって自分が成長する。
成長した知恵をもって、より高き神さんをつくる。
そしてそのより高き神さんをまた手を合わして拝む、そして自分も成長させる。
そういうようにして、
だんだん内容の充実した円満具足の神さんを、
われわれは今創造しつつあるわけですわ。
そういうことができるのが人間である。
自由自在に神をつくっているのが人間ですわ。
そういうことができるのが人間である。
自由自在に神をつくっている人間ですわ。
だから私は、人間は万物の王者や、 ということを本にかいたんです。
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