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「ラーメン店“一蘭”に行列ができるまで」

2012-12-03 20:19:10 | 商い

┌───随想ベストセレクション───────────────────┐


     「ラーメン店“一蘭”に行列ができるまで」


        吉冨学(一蘭社長)

                『致知』2012年12月号
                       致知随想より

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「おまえは商売に向いているから、商売人になれ」。

これが、半年にわたる闘病生活の末、
サラリーマンだった父が残してくれた
最後のメッセージでした。

私は知恵が回るから必ず成功するはずだと、
父は力強く励ましてくれたのです。

商売とは無縁だった当時大学一年生の私に、
商売人としての道を授けてくれたのは、
この父の言葉でした。

そして商売のことは右も左も分からない学生ながら
起業を決意しました。

一軒一軒問屋を回ることから始めた商売、
徐々に本質が分かってきたものの、
苦しい生活が続きました。

大学卒業を間近に控える頃になると、
このままでは留年という状況に追い込まれます。

すがる思いで授業を取っていた英語の先生に
相談を持ちかけると、返ってきたのは
思いがけない言葉でした。

長い人生の中で一年や二年はどうということはないから、
留年してもう一度先生の授業を取りなさいというのです。
そして、こう言うのでした。

「俺が人生を教えちゃる」と。


これが恩師・徳永賢三先生との出会いでした。
以来、熱いハートを持った先生に
マナーから人としての生き方まで、
私の根幹となる大切なことを教えていただいたのです。

当時手掛けていた派遣事業が軌道に乗り、
商売人としての光が見えてきたのも先生のおかげでした。


福岡の片田舎でラーメン屋を営む老夫婦から、
ある相談を持ち掛けられたのはちょうどこの頃でした。

閉店を考えているが店の名前だけでも残したいと、
常連だった私に受け継いでほしいというのです。
店の名前は「一蘭(いちらん)」といいました。

やっと商機を掴みかけた派遣事業でしたが、
その一方で競合他社との差別化が難しく
今後の成長を描けずにいた自分にとって、
直接エンドユーザーであるお客様と関われる
飲食業は魅力的でした。

また、学生時代に切り盛りしていた食堂で培った
ラーメンの味には自信がありました。
やり方次第では世界にいけるかもしれない、
という思いが私を駆り立てたのです。

それまでの経験から、新しい店のイメージづくりは
すぐにでき上がりました。

一つは、お客様にラーメン以外の情報を
遮断することでした。

なぜなら同じラーメンでも、
そこに誰がつくったのかという情報が加わることで、
人の味覚は左右されてしまうからです。

そこでつくり手が味の一つにならないように、
カウンターを仕切りで囲い、
店員も他のお客様も見えない状態にすることで、
純粋に目の前に出てくる一杯のラーメンに
向き合ってもらおうと考えたのです。

また、ラーメンはとんこつ一本に
絞り込むことにしました。

商売の秘訣とは人びとの記憶に
粘りつくイメージをつくることだというのが
過去の失敗から得た私の持論でした。

一蘭はとんこつ一杯にこだわっているというイメージは、
他社との差別化にも有効だと考えたのです。

こうしたアイデアを踏まえ、
平成五年に誕生したとんこつラーメン専門店一蘭。

もとは片田舎のラーメン店が、
いまではチェーン展開を進めて海外にも出店を果たし、
売上も七十億円を超えるまでに成長を遂げました。

もっともすべてが順風満帆だったわけではありません。


いまから十年前のことでした。
突然幹部六名を含めた社員三十名が
雪崩の如く退社していったのです。



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