第二次世界大戦で、
ソ連の捕虜になった日本人に強制労働として、
劇場の建設が課せられた。
長時間の労働に加え、
食事には腐ったものが出てくるなど劣悪な環境であった。
実際に作業に関わった500人のうち、
79人もの日本人が亡くなっている。
しかし、強制労働にもかかわらず妥協のない姿勢で建設に携わり、
細部の彫刻にまでこだわるなど完璧な出来であった。
1966年4月26日にタシュケントを襲った大地震では、
78,000棟の建物が倒壊したにもかかわらず、
ナヴォイ劇場は無傷であった。
<エピソード>
- 建設時、懸命に作業する日本人に対して地元子どもから食べ物の差し入れが行われたが、彼らに対して木のおもちゃをお返しするなど劣悪な環境でも礼儀を忘れなかった。
- 1996年、ウズベキスタン大統領イスラム・カリモフが、建設に関わった日本人を称えるプレートを劇場に設置した。その際の指示は「彼らは恩人だ、間違っても捕虜と書くな」というものであった。プレートには、「1945年から1646年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイ―名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。」と日本語で書かれている。
引用先:Wikipedid
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E5%8A%87%E5%A0%B4
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます