goo blog サービス終了のお知らせ 

さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

「ユダヤ人の旅」目次

2022-09-24 | ユダヤ人の旅

1、ユダヤ人についての何故

2、乳と蜜の流れる土地

3、ソドムとゴモラ

4、イサクとイシュマエル

5、モーセの十戒

6、ダビデの孤独

7、栄華を極めたソロモン

8、バビロン捕囚

9、ギリシャのポリス

10、ペルシャ帝国物語

11、アレクサンダー大王の奇跡

12、ディアドコイ戦争とヘレニズム3国

13、カルタゴとローマ

14、ローマ帝国の内乱と統一(1)

15、ローマ帝国の内乱と統一(2)

16、イエス・キリスト(1)

17、イエス・キリスト(2)

18、ユダヤ人のディアスポラ(民族離散)

19、ユダヤ人とキリスト教

20、ササン朝ペルシャと東ローマ帝国

21:イスラム教の成立

22:スンニ派とシーア派

23:イスラム帝国の繫栄とユダヤ人

24,十字軍からの大混乱

25、ユダヤ人迫害の始まり

26、スペインの異端審問所

27、皇帝と教皇

28、ユダヤ人とオスマン帝国

29、ヨーロッパの恥、ゲットー

30、17世紀の経済大国、オランダ

31、17世紀のイギリスとユダヤ人

32、ロスチャイルド一族

33、ユダヤ人首相・ディズレーリ

34、メンデルスゾーンの一族

35、ドレフェス事件

36、シオニズム運動

37、アメリカの大躍進

38、FRBの誕生秘話

39、世界中が見捨てたユダヤ人

40、バルフォア宣言とホロコースト

41、現代に活躍するユダヤ人(その1)キッシンジャー

42、現代に活躍するユダヤ人(その2)ジョージ・ソロス

43,現代に活躍するユダヤ人(その3)ボブ・ディラン

44、現代に活躍するユダヤ人(その4)「マック」から「GAFAM」まで

 


(44・最終)現代に活躍するユダヤ人(その4)「マック」から「GAFAM」まで

2022-09-20 | ユダヤ人の旅

ラリー・ページ(左)とセルゲイ・プリン(共に1973~)

ファーストフードチェーンの「マクドナルド」創業者レイ・クロック(1902~1984)も、コーヒーショップチェーンの「スターバックス」CEOのハワード・シュルツ(1953~)も、映画監督のスティーブン・スピルバーグ(1946~)もユダヤ人である。現在のアメリカではあるゆる分野に目覚ましい活躍を遂げているのがユダヤ人なのだ。中でもIT産業でのイノベーションを起こした創業者、CEOは軒並みユダヤ系であることには驚かされる。

「GAFAM」とは言わずと知れたIT企業の雄である5社、「Google」、「Amazon」、「Facebook」、「Apple」、「Microsoft」の頭文字を並べた呼び名である。2020年の日経新聞によると、この5社の時価総額は計560兆円となり、日本の東証一部2170社の合計を上回ったと報じている。日本の大企業が束になって、かかっても勝てない数字なのである。「Amazon」を除く5社は、かつてヨーロッパで迫害に遭っていたユダヤ民族の末裔たちが、1990年代から2000年代に創業し、巨大企業に成長させ世界をけん引しているのである。

Mark Zuckerberg F8 2018 Keynote (cropped 2).jpg

マーク・ザッカーバーグ(1984~)

世界最大の検索エンジンで知られる「Google」の創業者ラリー・ページとセルゲイ・プリンは二人ともスタンフォード大学の博士課程に在籍していた。「Google」は二人が1998年、25歳の時に創業した。「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」これを経営理念に掲げている。従業員の行動基準の一つには「邪悪になるな」がある。

「Facebook」を創業したマーク・ザッカーバーグは、ハーバード大学の学生時代に友人どうしがオンラインで情報交換するために2004年に作った。次第に範囲を広げ、ついには世界中に広がったものである。2010年にはアクセス数が「Google」を抜き、2012年には世界中に10億人のユーザーをもつ世界最大のSNSになった。「Google」と並ぶ「世界最大の広告企業」となる。

 

Arthur Rock.jpg

アーサー・ロック(1926~)

シリコンバレーの黎明期、1961年にニューヨーク出身のユダヤ人アーサー・ロック(1926~)が、最初期のベンチャーキャピタル「Davis & Rock」を設立し、「Intel」や「Apple」に投資したことが起源である。スティーブ・バルマー(1956~)はビル・ゲイツのハーバード大学時代からの友人で2001年から「Microsoft」のCEOになり同社を大企業に成長させた。アーサー・D・レビンソン(1950~)は「Google」から独立した「Calico」のCEOであり、「Apple」の現会長でもある。パソコン業界初の直販会社「デル」を創業したマイケル・デル(1965~)、「Oracle」創業者のラリー・エリソン(1944~)などもいる。

 2019年の経済誌「フォーブス」世界長者番付によると、トップ10に「Oracle」創業者のラリー・エリソン、「Facebook」創業者のマーク・ザッカーバーグ、「Bloomberg」創業者のマイケル・ブルームバーグ、「Google」創業者のラリー・ペイジとセルゲイ・プリン、テクノロジー企業の創業者が名を連ね、トップ20の30%、トップ50の20%、トップ200の19%がユダヤ人という結果になっている。

~~さわやか易の見方~~

「火天大有」の卦。「大有」は豊かで穀物が倉庫に満ち溢れている様である。火は太陽、太陽が中天高く昇り、光と熱をふんだんに隅々まで放っているのである。これ以上の盛運はない。積極的に行動すれば良い。しかし、盛運には必ずつまずきの要因が潜んでいることには注意を払わなくてはいけない。

アメリカの中枢は「WASP」と言われていた。つまり、「ホワイト、アングロ・サクソン、プロテスタント」である。それがいつの間にか、アメリカの中枢はユダヤ系に置き換わっていると言わざるを得ない。政界も金融界も法曹界もメディアも産業界もそうである。3000年のユダヤ民族の歴史を振り返れば、驚きと同時に感無量である。迫害に耐え続けたユダヤ民族についに花が開く時が来た。今後のユダヤ民族の歴史にはどんな道があるのだろうか。(完)

お付き合いいただきありがとうございました。

 

 


(43)現代に活躍するユダヤ人(その3)ボブ・ディラン

2022-09-20 | ユダヤ人の旅

Bob Dylan - Azkena Rock Festival 2010 2.jpg

ボブ・ディラン(1941~)

 

ボブ・ディランの祖父母はロシアのオデッサ(現ウクライナ)とリトアニアからの移民である。ユダヤ人としてはアシュケナジムに属する。父と母は小規模だが絆の強いミネソタのアシュケナジム・ユダヤ人の一員だったという。ボブは1941年5月24日にミネソタ州ダルースに生まれている。1946年、弟デイヴィット誕生、翌年、一家は100キロ北の砂鉄の産地で知られる鉱業都市・ヒビングに転居する。(露天掘り鉄鉱床としては世界一で全米各地のUSスチール工場で鉄鋼に加工される。)

 

ボブは幼少期より家にあったピアノを独習し、ラジオから流れる音楽を聴いて育った。やがて、ギターを覚え、ピアノを弾いて、レコード店に入り浸った。ハイスクール時代はロカビリーの全盛期で、エルビス・プレスリーに憧れ、バンドを組んで、演奏活動を始める。18歳、奨学金を得て、ミネソタ大学に入学するが、半年後には出席しなくなる。ギターとともに音楽に生きることを決心した。

 

 

Woody Guthrie 2.jpg

ガスリー(1912~67)

ボブはレコードで聴いたウディ・ガスリーの音楽によって生涯を決定づける衝撃を受ける。ガスリーは、戦前に大ヒットした「わが祖国」が有名だったが、一貫した社会主義者で、行き過ぎた資本主義とファシズムに反対する闘志だった。スターになる前は放浪生活も一文無しも経験し、愛憎激しく3度の結婚をした。ガスリーのメロディーとメッセージには人を動かす力があった。晩年はうつ病、ハンチントン病に苦しみ精神病院で死んだ。子供の何人かは歌手になっている。ボブはガスリーの人生の最後の年に訪問して、「私の最後の英雄」と描写し、デビューアルバムには「ウディに捧げる歌」を入れている。

 

20歳の時、ボブはニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジでクラブやコーヒーハウスで弾き語りを始めた。やがてコロンビア・レコードのプロデューサーの目に留まり、レコードデビューする。ロンドンでも「新たなるヒーロー」と評判になる。反戦歌で名をはせたジョーン・バエズにも楽曲を提供し度々共演している。公民権運動が高まるとボブは「フォークの貴公子」として時代の代弁者の言われる。「風に吹かれて」「時代は変る」など数々のヒット曲は世界にとどろいた。ボブの楽曲は時代を動かすメッセージとメロディーがあり、他のアーティストたちによってもその世界は広がった。同世代のビートルズとは互いに交流し影響しあい、ジョージ・ハリスンとは生涯の友になった。

 

Steve Jobs Headshot 2010-CROP2.jpg

スティーブ・ジョブズ(1955~2011)

ボブの音楽には時代を越え、国境を越え、あらゆる分野を開拓するエネルギーがあった。テクノロジーで最先端を走り、IT革命を起こしたスティーブ・ジョブズはボブの音楽を聴いて育った。とくに「時代は変わる」はジョブスを時代の申し子にした。「アップル」を立ち上げ大成功した後に、ジョブスはその「アップル」を追われる。再起を図るジョブスは繰り返し繰り返し「時代は変わる」を聴いた。そしてついに社会の仕組みを変える「スマートフォン」の時代を切り開いた。CEOに返り咲いたジョブスは株主総会で、「時代は変わる」の歌詞を披露している。

 

ボブ・ディランの音楽にはメッセージとともに文学があった。レコードデビュー50周年を迎えた2012年には、「チェンジ!」を唱えて大統領になったバラク・オバマより「大統領自由憲章」が授与されている。オバマ大統領は「正直、本当に大ファンなんです。大学時代にボブの曲を聴いて、彼がこの国の極めて重要な何かを捉えていたので、私の世界が広がっていったのを覚えてますよ。」と語った。2016年10月には、「アメリカ音楽の伝統を継承しつつ、新たな詩的表現を生み出した功績」を評価され、歌手としては初めてのノーベル文学賞が授与された。

「風に吹かれて」

どれだけ砲弾を撃ち込めば、気が済むのだろう

どれだけの死人が出れば戦争を止めるんだろう

いつになったら平和になるんだろう

いつになったら人々は自由になれるんだろう

誰にもわからない、それは風だけが知っている

(猶興改訳)

 

~~さわやか易の見方~~

「風水渙」の卦。渙(かん)は散るである。ちょうど風が吹きわたり全てを散らしてゆく象である。水面を吹く風にのって船は進む。風が吹かなければ進むことはできない。大をなすものは時代の風をとらえることである。

 

音楽は時代とともにある。ボブ・ディランの音楽はまさに時代とともにあった。ベトナム戦争に人々が嫌気がさしている頃、自然と民衆の心とともにボブ・ディランの音楽があった。そして今、ウクライナ戦争の渦中にある。戦争はいつになったら終わるのか。「風に吹かれて」だけではあまりにも虚しい。人類は本当にいつになったら眼が覚めるのか。戦争なんてしている場合じゃないだろう。

次ページ:現代に活躍するユダヤ人~(その4)「マック」から「GAFAM」まで

 


(42)現代に活躍するユダヤ人(その2)ジョージ・ソロス

2022-08-10 | ユダヤ人の旅

George Soros - Festival Economia 2018 1.jpg

ジョージ・ソロス(1930~)

1930年、ジョージ・ソロスはハンガリーのブタペストで弁護士の父ティヴォドア、母エリザベスの二人兄弟の次男として生まれた。ユダヤ人であるソロス一家は常に死の危険と隣り合わせの中にいた。父は第一次世界大戦の戦中と戦後に捕虜となり、ロシアの捕虜収容所から脱走した経験がある。ジョージが13歳の時、ハンガリーはナチス・ドイツの支配下になり、ユダヤ人に対するホロコーストが始まった。父は家族に偽造の身分証明書を作り難を逃れた。ブタペストでナチス・ドイツ軍とソ連軍による熾烈な市街戦を目の当たりにすると、ジョージはハンガリーを脱出し、ロンドンに逃れた。

 

学費も生活費もすべて自分で稼がねばならなかったが、1947年ソロスは経済学の名門LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)に入学する。昼は鉄道駅で貨車の積み込みの重労働をし、夜はウェイターをして学費を稼いだ。LSEでは哲学者カール・ポパーを哲学的導師としている。ソロスはここで開かれた世界に目覚め、反対に閉ざされた世界を生涯嫌うようになった。1951年に苦難の末に同校を卒業する。職を転々としたが、1956年にアメリカに渡る。哲学者として自立するために十分な資産を稼ぐためだった。

 

 
ジム・ロジャーズ(1942~)

資産を稼ぐのが目的だったが、ソロスはこの投資家には世界を変える力があることを知る。そして自分こそ未来を託された人間であることを自覚、実践する哲学者を目指す。研究と体験に明け暮れる毎日が続いたがソロスは投資の世界を知り尽くした。1970年、ソロスはジム・ロジャースとともにファンドを設立した。このファンドはその後10年間にファンド史上最高の4200%のリターンを稼ぎ出した。80歳までの40年間、ソロスのファンドは平均しても年間20%のリターンをもたらしている。

 

ソロスの名とヘッジファンドを一躍有名にしたのは、欧州経済危機の1992年、ポンドの相場を巡り、イギリス財務省を相手に巨額のポンドを売り抜け100億ドルを一夜にして稼いだ話である。ソロスは「イングランド銀行を潰した男」と言われた。イギリスは欧州為替相場メカニズムに従いユーロ導入に向かっていたが、ボンド危機を招きユーロ導入を断念した。しかし、結果的には「英国病」に苦しんでいた経済が改善するきっかけになったと言われている。

 

RIAN archive 25981 Academician Sakharov.jpg

アンドレイ・サハロフ(1921~1989)

一方でソロスはソ連を中心とする東ヨーロッパの社会主義は閉ざされた社会であり、開かれた社会へと解放させねばならないと考えていた。1979年からポーランドの連帯運動、チェコスロバキアの憲章77、ペレストロイカの父といわれたソ連のアンドレイ・サハロフたちの反体制組織に多額の寄付をしている。1984年、最初の「オープン・ソサイエティ財団」をハンガリーに設立した。ソ連崩壊後も独裁政権による閉ざされた体制を否定し、2003年には、グルジアの「バラ革命」、2004年には、ウクライナの「オレンジ革命」、2005年には、キルギスの「チューリップ革命」にも資金提供をしている。

ソロスは1970年代から慈善家としての活動をしている。南アフリカのケープタウン大学へ通学する黒人生徒への基金の提供、中央・東ヨーロッパの大学への援助、科学者への援助などである。1991年にはハンガリーに設立された「中央ヨーロッパ大学」の共同創始者であり、4億2000万ユーロの寄付を行った。ソロスの慈善事業は現在では100か国を超える国々で活動し「オープン・ソサイエティ財団」は世界的なネットワークに発展した。また、兄ポール・ソロスもエンジニア出身の企業家で慈善家として知られ、ニューヨークの名士でもある。

~~さわやか易の見方~~

「地天泰」の卦。上に地、下に天。一見逆のように感じるが、易ではこの卦が理想的な安定した世界を表している。国家で言えば、上にいる為政者が下にいる国民の意見を良く聞いて開かれた政治を行っているのである。その反対は「天地否」であり、上にいる為政者が下にいる国民を押さえつけている世界である。どちらが国民にとって良いことか。しかし、「地天泰」を実現するには、国民の方もレベルが高くないと出来ない。レベルの低い国民は上から強制がないと勝手気ままな性質をむき出しにするからである。

 

ソロスが開かれた政治に拘るのは、少年期に体験した共産主義のソ連の恐怖が影響しているのだろう。当時のソ連は為政者がスターリンである。スターリンが植え付けた東ヨーロッパの国民への恐怖は100年経っても消えるものではない。今のウクライナの国民がロシアから離れたいと思うのはひとえにスターリンの恐怖が染みついているからだろう。プーチン大統領は崩壊寸前のロシアを立ち直らせた救世主ではあるが、それでもスターリンの恐怖政治は忘れるほど過去のものにはならない。そうなると、この戦争は何年も続きそうな気がする。5月末の「ダボス会議」でソロスはこの戦争は第三次世界大戦になる危険があると言っている。

次ページ:(その3)ボブ・ディラン


(41)現代に活躍するユダヤ人(その1)キッシンジャー

2022-08-06 | ユダヤ人の旅

Henry Kissinger Shankbone Metropolitan Opera 2009.jpg

ヘンリー・キッシンジャー(1923~)

 

世界大恐慌が世界を侵食し、大不況に喘ぐドイツでは1933年に、ヒットラーが率いるナチス政権が席捲する。第一次世界大戦で敗れ、大不況に見舞われているのは第一にユダヤ人による裏切りがあったからだと信じるナチスは徹底的にユダヤ人を弾圧した。少しでも余裕のあるユダヤ人たちは競って外国へ逃れる。バイエルン州フェルトで女子高の教師をしていたキッシンジャーの家族も1938年にアメリカに亡命することになった。15歳の長男のヘンリーは父母と1歳下の弟とともにニューヨークの小さなアパートに移り住む。父親は仕事探しに明け暮れるが、就職口はない。

 

ヘンリーはジョージ・ワシントン高校の夜間クラスで勉強する傍ら、昼間は髭剃り用ブラシをつくる工場で働き、週15ドルの賃金を手にした。それが一家のアパート暮らしを支えた。高校卒業後は工場で働く一方、ニューヨーク市立大学シティカレッジの経営・行政管理学部に通い、会計学を学んだ。第2次世界大戦中の1943年、アメリカ陸軍に入隊、ドイツ語の能力を生かして対諜報部隊軍曹としてヨーロッパ戦線に従軍した。1946年に復員し、ハーバード大学に入学。引き続き大学院にも進学し、主に19世紀のウィーン体制後の国際秩序について研究する。

 

David Rockefeller - NARA - 195929 (cropped).jpg

デイヴィット・ロックフェラー(1915~2017)

 

ハーバード大学で政治学部で教鞭を取る傍ら、CFR(外交問題評議会)へ参加、外交政策への提言が注目を集める。1965年、友人の父が南ベトナムの大使だったので、大使の顧問として3回サイゴンを訪れ戦争の現実を学ぶ。大統領選挙に出馬したネルソン・ロックフェラーの外交政策顧問を務めた縁で、ロックフェラー家の信頼を築く。3代目当主デイヴィット・ロックフェラーの銀行が中国進出した時はキッシンジャーの助言を受けている。政界への進出もデイヴィット・ロックフェラーが道を開いた。

キッシンジャーは冷戦政策の再構築を掲げたニクソン政権で大統領補佐官として重要な役割を果たした。1971年、中ソ対立の中国に極秘で2度訪問、周恩来首相と直接会談、米中和解の道筋をつけた。次に米中和解を交渉カードとしてソ連とも戦略兵器制限条約を締結する。また第三次印パ戦争では中国と共にパキスタンを支援、毛沢東からソ連包囲網の構築を提案させた。巧みな外交によって、1960年代から70年代の最大の難問題であったベトナム戦争の終結への道筋をつける。1973年にパリ協定が調印され、この功績によりキッシンジャーはノーベル平和賞を受賞する。また、こじれた中東地域ではサウジアラビアとエジプトを交互に訪れ、経済と安全保障両面でソ連の影響力排除を目的に反共同盟の結成を支援した。1974年、成立したフォード政権では国務長官として外交を担いソ連との緊張緩和政策をすすめる。

 

プーチン大統領と会談(2001年)

 

キッシンジャーの信念は徹底的な現実主義である。19世紀前半、ナポレオン後のヨーロッパを力のバランスで均衡を保つことに成功したメッテルニヒを手本とした。外交の基軸を「パワーバランス」によって行った。19世紀のヨーロッパではナポレオン以後は大きな戦争はない。それは前半はメッテルニヒ、後半はビスマルクが巧みな外交によって戦争を回避したからと言わている。20世紀のより複雑な冷戦時代を忍者外交と評された外交と先見の明で乗り切ったキッシンジャーは20世紀のメッテルニヒ、ビスマルクと言って良いのではないか。

政界退任後は、1982年に国際コンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエーツ」を設立、現代外交の生き字引的存在として多くの著書を発表、世界各国での講演活動を行った。高齢になった現在も世界中に築いた人脈と外交手腕を頼って歴代大統領が外交の指南役としている。

 

~~さわやか易の見方~~

「水火既済」の卦。既済(きせい)とは事が成就すること。この卦は陰陽の配置が理想的な配置になっている。陽の位置には陽が、陰の位置には陰がある。陰陽のバランスが整い、最も安定している。しかし政治の世界でもビジネスの世界でもこれを求めるのは最も困難なことで、どちらかに偏るものである。しかし、それでもこのバランスを求め続けねばいけない。

では、キッシンジャーは日本についてはどう考えているのだろうか。日本については、軍事力を増強することに最も警戒し、アドバイスを続けている。それだけ日本の実力の高さを知っているのだろう。アメリカと中国の間にいる日本が強くなると、必ず世界のバランスがおかしくなると読んでいるのだろう。そうは言っても、いつまでもアメリカの下請けばかりもやっていられない。まして中国の風下にも立てない。目立たぬように、はしゃがぬように、日本はしっかりと教育に力を入れ、教育大国、文化大国を目指して、じっと力を蓄えていれば良いのだ。

次ページ:現代に活躍するユダヤ人(その2)ジョージ・ソロス