1、浮生は夢の如し
2、お墓の問題
4、衣食住楽
11、国民性と宗教
15、三つの宗教は何が違う
16、一神教と多神教
17、三日三晩で悟った男
26、仏教の進化発展
27、達磨から禅が始まった
28、直ぐにでも出来る座禅
29、スティーブ・ジョブズと禅
33、心の安定
34、美人に生まれたら幸せか?
35、新大関は何故負けるのか?
36、役に立たない葬式仏教
38、人間と猫(1)
39、人間と猫(2)
1、浮生は夢の如し
2、お墓の問題
4、衣食住楽
11、国民性と宗教
15、三つの宗教は何が違う
16、一神教と多神教
17、三日三晩で悟った男
26、仏教の進化発展
27、達磨から禅が始まった
28、直ぐにでも出来る座禅
29、スティーブ・ジョブズと禅
33、心の安定
34、美人に生まれたら幸せか?
35、新大関は何故負けるのか?
36、役に立たない葬式仏教
38、人間と猫(1)
39、人間と猫(2)
親分、僕も見ましたよ。「岩合光昭の世界ネコ歩き」 面白かったです。岩合さんが目の前にきて撮影しているのに良くもあんなに自然にしていられのか感心しました。
そうだろう。岩合さんと猫の間に信頼関係が出来上がっているんだな。普通は自分の飼い主との間には信頼関係はあるんだろうけど、いきなりやって来た岩合さんとの間に出来る信頼関係は凄いよ。あれは岩合さんの持つ人間味が猫にも伝わっているということかな。
そうですね。実は僕も岩合さんの真似をして、公園にいた猫に近づこうとしたんですが、逃げられちゃいました。失敗しましたよ。あれはなかなか難しい技術ですよ。
これも、その道何十年の岩合さんの得意技だな。あれを見ていると、猫の感性というか能力はすごいものがあるよな。近づいて来る人間を見抜くんだからな。お前なんかまだまだ、邪心が抜けてないからダメなんだよ。ところで、俺が猫の能力が凄いと思うのは適合能力だな。猫はネズミを捕るということで人間の役に立っていることもあるが、それはほんの一部であとはそんなに役に立つ仕事はしていないだろう。
そうですね。ペットとして癒されるということもありますよ。
確かにそうだが、俺が感心するのは人間社会に完全に適合している能力だな。それが、高級ホテルとか、老舗のお店とか、お寺とか、人間の環境によってどこにでも適合しているんだ。違和感がないというか、自然な存在感があるんだよ。それでいて、猫はマイペースなんだな。様になっているんだ。
ただのペットを超えた存在ですね。
猫の方も相手の人間に関心をもっている。仕事の手伝いはしないけど、応援しているんだ。踊りの師匠さんに飼われてる猫があったんだが、決まった時間にその師匠の稽古を部屋の隅からじっと見ているんだな。不思議な気持ちになってしまったよ。
それは、亡くなった先代の生まれ変わりじゃないですか。
うん、とにかく不思議なんだよ。それでいて猫は自由なんだよ。どこへでも行くし、野生の一面を見せる時もあるんだ。縄張りのパトロールもあるんだが、環境によっては、山の上まで歩くのもいれば、海岸を歩くのもいる。毎日2キロくらい歩く猫もいるんだよ。時々コロンと横になって寝てしまうんだ。
そうですね。だから猫をペットにしている人には猫は家族の一員なんですよね。解る気がしますよ。
あれを見ていると我々人間ももっと自然に生きなきゃいけないと思うな。あれこれと人間は考え過ぎるというか、恰好をつけ過ぎる。もっと力を抜いてすんなり生きたいと思うな。
猫のように、マイペースですか。
そうだな。猫を見習って、もう少しゆったりと生きたいなあ。
親分、ご無沙汰しました。今年もよろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。元気だったか?
年末年始はいろいろ重なって忙しかったですよ。でも元気でした。
そうか良かったな。俺はこの頃テレビばかり見ていたな。中でも一番気に入っているのが「岩合光昭の世界ネコ歩き」という番組なんだ。
岩合光昭さんって、あの動物写真家ですか?
そうなんだ。これが実に面白いんだよ。面白いばかりじゃなく、自分の生き方まで考えさせられるんだな。俺は動物は全般的に何でも好きだけど、特別猫が好きという訳ではなかったんだ。だけどこの番組を見るようになってからは猫が好きになったな。
へぇー、それは面白そうですね。いったいどんな番組何ですか?
岩合さんが日本中、そして世界中に猫を求めて取材に行くという番組なんだが、最初カミさんが面白がって見ていたんだな。俺も時々見ていて、流石は写真家だけあって後ろの風景とか写真の構図がうまいなあと思っていたんだ。ところが段々はまってしまったというか、猫がいいんだな。
そんなに良いんですか。
そうなんだよ。登場する猫たちが堂々としているというか、自然なんだが、上品だし、風格があるんだな。岩合さんもこんな猫の魅力に取りつかれてしまったんだろうと思うな。
昔から「招き猫」とか「猫の手も借りたい」とか「猫に小判」とか言われるくらい人間とのかかわりは長いですよね。猫を見ると癒されますよね。
大体、俺たちは動物と言うのは食べ物を探して行動していると思っているよな。
それとオスとメスの求愛行動ですね。
ところがな、この番組に出てくる猫たちはそんなもんじゃないんだな。食事は決まった人が用意してくれるケースが多いので、食事を探しには行動しないんだな。ちゃんとそれぞれのスケジュールがあるんだよ。ある猫は自分の縄張りを決まった時間になるとパトロールするとか、目新しいものを見つけるとひとしきりそれを相手に遊ぶとか、人懐っこい猫もいて、平気で膝や肩に乗ってくる。岩合さんなんかは、猫も気が合うと見えて、平気で側に寄って来るんだ。だから、撮影の機材を目の前まで持ってきて撮るんだが、猫の方も気を許して自然の姿を見せてくれるんだ。あれは凄いよ。岩合さんしか出来ない技だろうと思うよ。
近頃の猫はネズミは取らないんですか?
いや、ネズミよけに飼われいる猫もいるよ。馬小屋とか牛小屋なんかにはネズミ対策に猫は欠かせないようだな。兎に角な、俺が感心するのは、その猫たちが人間と対等なんだよ。遠慮もしないし、怖気づくこともないし、自然なんだよな。
成程ね。面白い番組のようですね。僕も今度見てみますよ。確かBSのNHKですよね。
ただ、面白いだけじゃないんだ。人間と猫とどちらが偉いのか解らなくなってくるんだ。
今日は完全に猫の話で終わってしまいましたね。たまにはこんな話も良いですよね。
そうだよ。人間の生き方を知る上にも他の動物の生き方を知ることも大事なことだよ。
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武蔵坊弁慶(?~1189)
親分、これから鎌倉仏教に入ると思うんですが、その頃の時代とはどんな時代だったのでしょうか?
鎌倉になる前に、平安の末期がどんな時代だったかを知らないと、新しい仏教が生れるにはその背景を知らないといけないんだ。平安時代は大きな戦もなく、まあまあ平穏な時代だったと思うんだが、平安の末期になると各地で内乱が起こってくるんだ。もう貴族では治めることが出来なくなってきたんだな。そこで武士という身分が力を持って来るんだ。
元々、武士というのは何をやっていたんでしょうか?
簡単に言えば用心棒だな。朝廷とか有力な貴族は、いざという時の為に用心棒を抱えていたんだ。その用心棒たちが「俺たちが居なけりゃ困るだろう。もっと大事にしろや。」という風に、段々力を持ってきたんだ。何とお寺もそうなんだよ。お寺にいけば金があるんじゃないかと、お寺を襲う輩に備えなくちゃいけなくなるんだ。
お寺まで武装するようになってきたんですか。
そうなんだ。それが結構強い武装集団で、朝廷でさえ手を焼くようになっていたんだな。お前、白河法皇は知っているよな。
知っています。平安の末期に「治天の君」として院政を敷いて君臨したんですよね。平清盛が白河法皇の落胤だという話もあるんですよね。
そうなんだ。その権勢を極めた白河法皇が自分の思い通りにならないものとして、「賀茂川の水、双六の賽の目、比叡山の山法師」と言っていたんだ。「比叡山の山法師」というのは比叡山延暦寺の僧兵のことなんだ。僧兵たちは神威を盾に「強訴(ごうそ)」と言って略奪行為までしていたというのさ。
そうですか。仏教も地に堕ちたものですね。そう言えば、武蔵坊弁慶なんかも元は僧兵だったんですよね。それだけ、世が乱れていたということですか。
そういうことだ。平安時代は貴族の文化が花開き、和歌なんかも流行して良い時代だったんだが、長く続くと、腐敗堕落して来るし、そこに武士という新しい勢力が生れて来たんだな。白河法皇も寺院の勢力に対抗するために陰御所に「北面の武士」と言われた警備隊を配置して、強訴を防いだ。その警備隊から源氏と平家が出てくるんだな。
成程ね。つまり、新しい仏教はそんな乱世が生み出したと言えますよね。
そうさ、いつの時代も新しい宗教が生れるのはむしろ好ましくない時代なんだな。
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親分、そろそろ又、仏教に戻りませんか。今まで仏教の成り立ちみたいなことをやって来ましたが、今だに解らないことがあるんですよ。
おう、そうか。どんなことなんだ?
仏教は、その時の為政者が国を治めるために普及させたんですよね。じゃあ、今の僕たちには日本という国を治めていく為に必要なことは他にいっぱいありますよね。エネルギー問題とか、安全保障の問題とか、経済問題とかがありますよね。それに比べれば、統一教会事件が問題になっていますけど、宗教がそれ程重要だとは誰も思っていないんじゃないでしょうか?
成程な、お前の言う通りだな。しかしな、今の日本はそれでも良く治まっているから人々は宗教を問題にしないんだよ。時代の流れに流されている状態で満足しているというか、何も考えていないからなんだよ。
でも、今の仏教は葬式仏教で、法事の時くらいしか役に立っていないんじゃないですか。僕が日本の仏教にがっかりしたのは、拉致事件の横田さん夫婦があの事件があってから、救いを求めて最初は奥さんが、そしてご主人までがキリスト教に入信しているんですよ。横田家だって当然何処かの仏教宗派の檀家になっていたはずでしょう。その寺の住職はなにをしているんでしょうか。自分の檀家が大変な目にあった時に救いの手を差し伸べないんですか。法事さえやってれば良いんでしょうか。
そうだな、お前の言う通りだ。警察や病院で解決出来る問題じゃないからな。そんな時こそ、真っ先に助けてやらなきゃいけないと思うな。
そうでしょう。何も北朝鮮まで行って、めぐみさんを連れ戻してこいと言ってる訳じゃないんです。せめて話を聴いて、苦しみを共有してやり、仏教の教えを話してやったら良かったと思うんですよ。
俺もそう思うよ。日本の仏教もこれじゃダメだな。
日本人はそれでも我慢強いというか、すぐには反抗しない国民性だから、こんな仏教でも続いているんじゃないでしょうか。
確かにお前の気持ちには同感なんだが、そうかと言って、仏教に代わるものも、そうあるもんじゃないぞ。だから、もう少し勉強していこうじゃないか。
そうですね。何も解ってもいないのに文句ばかり言ってはいけませんよね。
でも、そうやって疑問に思ったことは言った方がいいよ。さっきお前が言ったように、仏教は国を治める為に、時の為政者が取り入れたもんだ。日本の場合もそうだったし、他の国もそうだ。しかしな、仏教は自分が自分の為に、安心立命の信念を築くためにも適した教えだと思っているんだ。特に禅というのは、まさしく自分が自分のためにやるもんだよ。
解りました。あせらず、ゆっくりやって行きましょうか。日本の仏教ですが、平安時代に最澄が天台宗、空海が真言宗を開くところまでやりましたよね。
そうだったな。両方ともその時代に中国から取り入れた密教だったんだが、真言宗は純粋な密教として発展して行くんだが、天台宗の方は純粋な密教ではなく、様々な教えが入り混じっていたようで、ここから鎌倉時代になって次の新しい宗派が生れる土壌になったんだよ。
時代も貴族の時代から武士の時代へと変貌して行くんですよね。源氏とか平家とかが台頭して来るんですよね。それに伴って仏教も新しくなってくるんですか?
そうだな、それはこの次にしようか。
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