さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

(5)モーセの十戒

2019-12-04 | ユダヤ人の旅

エジプトのピラミッド

ユダヤ人の故郷となるカナンの地はアラビア半島の西側、4大文明発祥地メソポタミアとエジプトの間にある。メソポタミアは文明の交差点とも言われ、バビロン王朝を始め、次々と新しく王朝が興亡を繰り返した。BC16世紀頃から興隆してきたのがヒッタイト帝国であった。アナトリア(トルコがある半島)で起こったが次第に南に勢力を伸ばしメソポタミアにもカナンの地にも進出した。他の民族が青銅器しか作れなかった時代にヒッタイトは高度な製鉄技術を開発し、最初の鉄器文化によって発展した。

一方のエジプトはナイル川による豊富な水と沃土に恵まれ、周囲を海と砂漠に囲まれたことも幸いし、他民族の侵入もなく比較的静かに文明が発達していった。BC3000年頃には王(ファラオ)が統治する王朝が出来、神殿やピラミッドが建設された。古王国時代、中王国時代、新王国時代と歴史を繋ぎ、発展した。12士族になったユダヤ人たちの住むカナンの地もエジプトの支配下になっていた。当時は支配下にされた民族は奴隷にされるのが常であり、ユダヤ人たちもファラオに仕える奴隷の身分になる。BC1290年に、第19王朝のファラオに即位したラムセス2世は侵攻してくるヒッタイト軍と戦い、その後両国の間で世界初の平和条約を結んでいる。

 

 

モーセ象(ミケランジェロ作)

そんな時代のエジプトでユダヤ人の子としてモーセは生まれた。当時、ユダヤ人が増え過ぎたのでファラオは男の子は殺すよう命じていた。出生後、モーセはパピルスの籠に乗せられナイル川に流されたが、運よく水浴びしていたファラオの王女がモーセを拾い上げてくれた。たくましく成長したモーセだったが、ある時エジプト人に虐待されていたユダヤ人を助けようとして誤って相手のエジプト人を殺してしまった。ファラオに追われる身となったモーセは紅海を渡りアラビア半島北部まで逃げる。結婚もして羊飼いとして暮らしていたモーセはある時神の声を聞く。「モーセよ、エジプトに戻り、ユダヤの民を約束の地カナンに連れていくのだ。」そして神からいくつかの魔術を授かる。

 エジプトに戻ったモーセはファラオの前に出て、ユダヤ人の退去を申し出るが許されない。そこでモーセは杖を蛇に変える魔術を見せるがファラオは許可しない。モーセはナイル川の水を血に変えるなど次々と災いを下すがファラオの許可を得られない。ファラオの息子を含め、エジプト人の初子が無差別に殺害されることになると、ついにファラオはユダヤ人全員の出国を認める。ところがユダヤ人たちが葦の海を前に立ち往生している時、ファラオの命令で軍隊がユダヤ人たちを皆殺しにしようと追ってきた。その時、モーセが手を差し出すと海が二つに分かれ道が出来る。ユダヤ人たちが渡り終えると、海は閉じられ追ってきたエジプト軍は海に沈んだ。

 

 

エジプト脱出から3か月後に、モーセ一行はシナイ山のふもとに辿り着いた。シナイ山山頂で祈りを捧げるモーセに神の声が届く。「モーセよ、これから告げる十の戒めをユダヤ人に約束させるのだ。1つ、他の神を信じてはならない。2つ、偶像を作ってはならない。3つ、みだりに神の名を唱えてはならない。4つ、週一回の安息日には仕事をしてはならない。5つ、父母を敬わなくてはならない。6つ、殺してはならない。7つ、姦淫してはならない。8つ、盗んではならない。9つ、噓をついてはならない。10、人のものを欲しがってはならない。」モーセが神より授かった十戒である。

モーセはユダヤの民に十戒を伝え誓わせた後、再び山頂に戻り、40日間の祈りを捧げると神より十戒を刻んだ石板を授かった。ところが、山を降りると民たちはエジプトで流行っていた黄金の子牛を礼拝していた。激怒したモーセは石板を投げつけ、偶像崇拝をした3000人を処刑した。再びシナイ山にこもり40日間の祈りを捧げ、新たな石板を持ち帰った。カナンの地に着いたユダヤ人たちはペリシテ人の強力さに圧倒され、モーセを裏切りエジプトに戻ろうとする。神は怒り、ユダヤの民を再び荒野に引き戻し、40年間の放浪生活を体験させる。精神と信仰を強靭にするためである。モーセはヨルダン川近くのネボ山で120歳の生涯を閉じた。

 

~~さわやか易の見方~~

 

***  *** 上卦は水

******** 困難、悩み

***  ***

***  *** 下卦は沢

******** 喜ぶ、

********

「水沢節」の卦。節度、節制の節。個人の健康、対人関係、社会生活、全て節があってこそ順調に活動する。自然も季節があって成り立っている。節がなければ流されてしまう。とくに人間は誘惑に弱い。節を守ってこそ幸福がある。かと言って、あまり節に固執し過ぎるのも良くない。

 森の宗教、砂漠の宗教という考え方がある。日本のように自然にあるものすべてが信仰の対象となるのは正に森の宗教と言える。一方の一神教は砂漠の宗教であり、一切の妥協を許さない宗教と言えるだろう。また儒教が節とするのは五倫である。すなわち父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信である。十戒を見ると全てが「してはならない」であり、軍隊のような厳しさを感じる。何を節とするかは、その民族の国民性も作るほど重要であり、政治、外交にも表れるのではないか。果たして日本人の節はいかがだろうか。

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