さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

ユダヤ系金融グループの世界支配(1)ーポグロムからの出発ー

2018-07-30 | 20世紀からの世界史

マルタ会談

 
1989年12月、東欧革命、ベルリンの壁崩壊を受けて、アメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュとソ連書記長ミハイル・ゴルバチョフは地中海マルタ島沖のクルーズ船に於いて首脳会談を開いた。そのマルタ会談で1945年から44年間続いていた東西冷戦を終結することになった。ソ連を中心にした東側共産主義国家はそれぞれの国家として新たな道に進むことになった。
 
振り返れば、1917年のロシア革命でソビエト連邦が成立して以来、70年間世界に共産主義を拡散し、第二次世界大戦後は世界を東西に二分して激しく対立したきた。東西冷戦とはいったい何だったのだろうか。その間に朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ危機、ベルリンの壁、ミサイル開発、核開発、宇宙開発競争があった。オリンピックのボイコット問題もあったし、世界中が右と左で対立していたものだ。20世紀の歴史は東西対立の歴史ではなかったか。今回から20世紀を振り返っていったいあの対立は何だったのかを考えてみたい。
 
ロシア10月革命(1917年)
ロシアではマルクスが提唱した共産主義を実践するためにレーニンが暴力革命集団ボルシェビキによってロマノフ王朝を倒した。スターリンは情け容赦もなく大粛清を断行し、国民から財産と土地を取り上げ、従わない者は容赦なくシベリア流刑にした。共産主義者たちは国民に多大な犠牲を強いて、超大国アメリカと対決してきた。そのソ連が崩壊し、元のロシアになったという。はたしてロシア革命はロシア人の求めたものだったのだろうか。
 
真実はロシア革命はロシア人によるものではなく、迫害されていたユダヤ人による革命だったのだ。ユダヤ人がヨーロッパ各国で迫害に合っていたことは知られているが、迫害から逃れてユダヤ人たちは西へ西へと移動して19世紀には多くのユダヤ人がロシアに住み着いていた。しかし、ロシアでも迫害にあっていた。迫害は「ポグロム」と言われ、殺戮、略奪、破壊、差別、酷い迫害だったのだ。
 

 
エルサレム
 
ここでユダヤ民族について考えてみたい。ユダヤ人は神に選ばれた選民として信仰心が篤く誇り高い民族である。そのユダヤ民族がローマ帝国によって祖国エルサレムを追放されたのは2000年前だった。つまり2000年間、ユダヤ人は祖国を持たずに行くところ行くところで迫害に合っていたのだ。迫害される理由は土地に同化しないからだと言われる。選民というプライドがあるからでもあり、ユダヤ教の教えを絶対のものとするからでもある。ユダヤ人は徹底的な個人主義で、他人を信用せず協調性がないからとも言われている。
 
しかし、叩かれれば叩かれる程人間は強くなる。迫害に遭ったユダヤ人はますます人間を磨き強く優れた民族になっていった。現在のノーベル賞受賞者の2割はユダヤ人だと言われている。世界人口70億人に対しユダヤ人の人口は1500万人だからわずか0、2%の小民族なのだ。アメリカでのユダヤ人の活躍は目覚ましい。大富豪、科学者、法律家、銀行家、教授など社会の主要な地位を占めるに至っている。それ程偉大なユダヤ民族が長い間迫害され続けてきたのだ。ユダヤ人自ら迫害されないための世界を求め、考えたのは必然だろう。
 
 

マルクス(1818~1883)
土地も持たせて貰えないユダヤ人は先ず働いた。そしてひたすら貯金した。だからユダヤ人は金持ちになった。やがてユダヤ人たちは金貸しを始め、銀行をつくり金融業に乗り出していった。勤勉なユダヤ人はよく学んだ。科学、哲学、経済学でも先端をいく。国を持たないユダヤ人は国家の上に立つ権力が必要だと考えた。そこから生まれた思想が共産主義というものだった。19世紀の中頃マルクスによって発案された。
 
16、17、18世紀と戦争にはますます金がものをいう時代になっていた。戦争が起こる度に大儲けするのが銀行であった。莫大な力を有するユダヤ人金融業者が出現した。とくに19世紀初めのナポレオン戦争ではヨーロッパ各国は戦費を使い果たし、ユダヤ人金融業のロスチャイルド家はイギリス株式市場で独り占めする程儲けたという。ロスチャイルド家は19世紀の末に財政難のエジプトからスエズ運河を一人で買ったというからその財力は想像もつかない。
 

ヘルツル(1860~1904)
 
19世紀の後半に繰り返されるユダヤ人迫害にユダヤ人の中から二つの計画が生まれてきたと考えられる。一つは「ユダヤ人国家」をつくろうという「シオニズム運動」であり、ハンガリー生まれのユダヤ人作家のテオドール・ヘルツルが提唱した。1897年、スイスのバーゼルにおいて最初の「シオニスト会議」を開いた。ヘルツルは1904年に44歳の若さで亡くなったが、その運動はやがてイスラエル建国として実を結ぶことになった。
 
もう一つの計画が国々の上に世界政府をつくろうという壮大な計画である。マルクスが提唱した共産主義国家の上にコミンテルンという組織を置いて世界を管理しようというのだ。その中心にしようとしたのがロシアだった。地政学的にも最適と思われ、長年の「ポグロム」への報復でもあった。既に政治力、経済力をもったイギリス、アメリカのユダヤ人国際金融グループが密かに計画を進めることになった。
 
~~さわやか易の見方~~
 
***   *** 上卦は地
***   *** 陰、暗、夜
***   ***
******** 下卦は火
***   *** 文化、文明、太陽
********
 
「地火明夷」の卦。太陽が地下に沈む象である。暗黒の世界である。国家にも人生にも時代に見放されたと思える時がある。こんな時はじっと耐えるしかない。無理に局面を打開しようとすればますます深みにはまる。「艱難汝を玉にす。」の言葉を信じて耐えることだ。いつか磨かれた実力を発揮出来るときがくる。
 
国を追われた民族は数多くあっただろう。多くの民族は他の民族に同化してしまって跡形もなくなるものだろう。国を持たないユダヤ民族が2000年間も存続したというのが脅威である。神に選ばれた民族、「選民」としてプライドを持つのも頷ける。日本民族はいかがだろうか。たった一度の敗戦によって、民族の誇りを失っていないだろうか。島国とか村社会とか言われるが日本民族はその団結が尊いのだ。「和を以て貴しとなす。」の文化を世界に誇ろうではないか。
 
ユダヤ民族が力を持っている根拠が解った気がする。現在も「国際的」とか「グローバル」とかの基準はユダヤ民族的発想だろう。日本の民族主義、とくに皇室を敬う日本人の心理は理解できないだろう。つぶしたいのかも知れない。国際的基準をつくるのは結構だが日本人の心までは浸食しないでもらいたい。世界にはそれぞれの国がそれぞれの文化を持ったまま共存することこそ「和を以て貴しとなす。」である。
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ポーランドの夜明け

2018-07-21 | 20世紀からの世界史
首都・ワルシャワ
 
ドイツとロシアに挟まれたポーランドには悲惨な歴史がある。東ヨーロッパの中でもポーランドは豊かな穀倉地帯として、15、6世紀にはハプスブルグ家にも匹敵するほど発展していた。ところが、17世紀になると、オスマン帝国の侵略にあい、さらに18世紀には衰えたポーランドをロシア、プロイセン、オーストリアが3度にわたって分割を迫り、全ての国土を取られてしまった。
 
ポーランドの貴族たちは1807年、ヨーロッパを席巻したナポレオンに頼み込んで、ワルシャワ公国として再建してもらった。しかしナポレオン軍のモスクワ遠征ではポーランド兵が必死に戦ったが、敗北とともに再びロシアの支配下になる。第一次世界大戦でドイツが敗れ、ヴェルサイユ条約により独立を果たしたが、1939年にはドイツがポーランドを攻撃、第二次世界大戦が始まる。戦後はソ連の衛星国家として44年間も共産主義体制を強いられてきた。
 
 
John Paul II Medal of Freedom 2004.jpg

ヨハネ・パウロ二世(1920~2005)
ポーランド人はもともと信仰心の厚いカトリックト教徒である。神の存在を否定する唯物主義や共産主義には国民性がそぐわない。ポーランド人はユダヤ人にも寛容だったので、他のヨーロッパで迫害されたユダヤ人たちがポーランドに移り住んでいた。そのユダヤ人たちは南ポーランドのアウシュビッツ収容所でナチスドイツのために殺されてしまう。戦争中は「カチンの森事件」で2万2千人のポーランド将校がソ連軍により銃殺された。
 
ソ連の衛星国家となったポーランドはスターリンによる恐怖政治に苦しめられ、その後も圧政と貧困を強いられた。個人の土地は国有化され集団農場にされる。反対する活動家は投獄、抹殺された。市民は全ての希望を封じ込め耐えることだけの生活を送っていた。そんな折、1979年6月、ポーランド人ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が故国ポーランドを訪れた。宗教を弾圧されていた国民は熱狂的に迎える。ヨハネ・パウロ二世は「みなさん、恐れてはいけません。」と語った。
 
 
ワレサ(1943~)
 
ヨハネ・パウロ二世から勇気と感動を受けたポーランド国民は立ち上がった。1980年9月、ワレサたちによって、独立自主管理労働組合「連帯」が結成された。「連帯」は労働組合から公然と反共運動を叫んだ組織であり、社会主義国家としては画期的な運動だった。ソ連が経済危機に伴い国力を低下させ、衛星国への影響力を弱めた背景もある。
 
ポーランドは西側諸国からの莫大な借金、国民の飢餓問題、64万人の働き盛り世代が難民になるどん底の状態に陥っていたが、日本などの先進国から経済、技術支援を要請し、大ピンチから脱した。1989年6月、非共産主義国家を成立させ、東欧諸国が一斉に民主化革命に立ち上がる「東欧革命」の先頭に立った。
 
 
 
東欧の民衆がソ連の一党独裁に対し、民主化を要求して立ち上がった革命運動は、1953年ベルリン暴動、1956年ハンガリー動乱、1968年プラハの春がある。しかし、その度にソ連軍によって、鎮圧され改革派の政治家は処刑されてる。民主化に向けた東欧革命のきっかけは1986年に起きたチェルノブイリ原発事故によりソ連の求心力が低下したこともある。
 
上の写真は1987年、ベルリンでのワルシャワ条約機構会議での東欧共産主義諸国の首脳たちである。左からチェコスロバキア、ブルガリア、東ドイツ、ソ連、ルーマニア、ポーランド、ハンガリー。この会議から4年後には全員、政治の表舞台から姿を消した。1989年は、ポーランド、ハンガリーの民主国家の成立、ベルリンの壁崩壊、ルーマニア政権の崩壊と続き、「東欧革命」「1989年革命」と呼ばれる。
 
~~さわやか易の見方~~
 
***   *** 上卦は水
******** 艱難、陥る、悩み
***   ***
***   *** 下卦は雷
***   *** 活動、志、始め
********
 
「水雷屯」の卦。屯(ちゅん)は産みの苦しみである。草木の芽が固い地面を突き抜けて地上に顔を出すことは命がけの困難が伴う。人間で言えば、一人の幼子が一人前の大人になるのは大変はことである。悩み多い思春期を乗り越え、狭き門を突破しなければならない。勇気をもって挑戦することも必要である。新しい道はそこから開けるものだ。
 
ポーランドを筆頭に東欧諸国は親日国が多い。東欧諸国は長い間ドイツ、ロシアの大国の狭間にあり、苦労した時代がある。日露戦争で大国ロシアを破った日本に尊敬と親近感をもっている。とくにポーランドはどうしたら日本の様に独立を保てるかを研究した。その中で「滅私奉公」の精神が国民にあることを学んだという。日本をお手本にしてくれる国が遠く東欧にあるというのは嬉しいではないか。
 
ポーランド人のヨハネ・パウロ二世は455年ぶりのイタリア人外での教皇である。母国ポーランドを始め、民主化活動の精神的支柱でもあった。そのため度々共産主義者から暗殺されかけた。「空飛ぶ教皇」とも呼ばれ、アメリカ、日本を始め世界中を訪問し反戦を訴えた。2003年、イラク攻撃に、「神の加護を」と正当化したJ・W・ブッシュ大統領に「神の名を用いて人を殺すな。」と不快感を示し「イラクでの戦争に正義はなく罪である。」と批判した。