さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

(17)イエス・キリスト(2)

2020-03-07 | ユダヤ人の旅

イエス・キリスト(BC4~AD30)

ユダヤ教はイエスの登場までアブラハムいらい1000年以上の歴史があるが、モーセの十戒を中心にした厳しい戒律で成り立っている。その厳しい戒律があればこそ、バビロン捕囚、離散、他民族の支配などに耐え、小民族ながら生存してきた。ユダヤ人にとっては厳しい戒律こそ民族を一つにする信仰だったのではないか。そして、自分たちこそアブラハムの子孫であり、神から選ばれた民族というプライドを胸に生き抜いてきたのだろう。その戒律は日常生活、食生活、安息日の厳守など、我々日本人には到底まねの出来ない規則のかたまりで出来ている。

イエスは戒律こそが最も重要と考える形式化,形骸化に反対した。戒律に縛られて人々の暮らしや自由を犠牲にすること、人間らしい社会が閉ざされてしまったら、それは本末転倒ではないか。神は人生を楽しむために素晴らしい自然を造られた。人間同士、親子兄弟、友人、隣人、争うより愛し合うことが大事なのだ。それには先ず神を愛し、隣人を愛す習慣を身につけねばならない。指導者たるものは率先して愛を勧めなければならない。ところが、ユダヤ教の祭司たち、指導者たちは戒律にこだわるだけで、本来の教えを忘れている。また、ユダヤ人はアブラハムの子孫で神から選ばれた民族という選民思想にも反対し、全ての人類は神のもとに平等で愛し合うことこそ重要なのだと教えた。

 

Leonardo da Vinci (1452-1519) - The Last Supper (1495-1498).jpg

最後の晩餐

イエスは約3年間ガリラヤなど地方を巡回しながら伝道を続けた。集会を開くと大勢のユダヤ人たちが集まり耳を傾けた。集団は一大勢力になり、ユダヤ教の指導者たちには脅威の存在になる。AD30年、イエスと12人の弟子たちは聖都エルサレムに入った。市民たちは喜んで迎えたが、ユダヤ教祭司やパリサイ派、サドカイ派たちは危険視した。彼らはイエスが革命を起こし、自分たちの地位が失われると感じた。そこで、彼らはイエスを民衆を扇動し、社会を混乱させる反逆罪でローマ提督に訴える。イエスはその動きを察し、明日にも捕らえられ、裁かれるだろうとその覚悟を決める。イエスは12人の弟子とともに最後の晩餐をとり、これから起こる受難と自分の死を予告した。

晩餐の後、イエスは一人でオリーブ山のゲッセマネの園に行き、神に祈る。「父よ、この苦しみを取り除いで下さい。」 祈りが終わるとすぐローマの官憲に逮捕され投獄される。翌朝、ユダヤ教指導者に扇動されたユダヤ人たちの「イエスを十字架に!」の声にローマのユダヤ提督ピラトは市民の要求に従い十字架刑を宣告した。イエスはむち打ちを受けた身体で重い十字架を背負い、茨の刺のある冠をかぶりエルサレム城内をゴルゴタの丘まで歩かされる。処刑場で手足を釘で十字架に打ち付けられ、磔にされ息絶える。遺体は亜麻布に包まれ墓に納められた。ところが3日後、マグダラのマリアたちがイエスの墓を訪れると、墓の石が開いていた。イエスは復活し、40日にわたって悲観にくれる弟子たちの前に現れる。そして弟子たちに見守られながらオリーブ山から天に昇っていったという。

 

St. Peter (portrayed as a Roman consul).jpg

ペテロ(生年不詳~AD67)

イエス昇天の10日後、弟子たちは伝道に立ち上がった。しかしイエスを神の子と信じる宗教、新しい宗教を起こすということは受難につぐ受難、弟子たちの壮絶とも言える伝道はイエスの苦難にも等しかった。各国家や民族にはそれぞれ中心となる宗教が存在する。そこに新しい宗教が入り込めば既存宗教家たちは権力者とともに阻止するからである。イエスから鶏が鳴く前に3度私を知らないと言うとされた12使徒のリーダー、ペテロは皇帝ネロの迫害により逆さ十字架にかけられ殉死した。ペテロの弟アンドレは黒海沿岸で伝道を行い、ギリシアのパトラでX字型十字架で処刑された。ヤコブは6年間、スペインで布教活動を行ったが、エルサレムに戻るとすぐに捕らえられ斬首刑になった。

ヤコブの弟ヨハネは気性が荒くイエスに「雷の子」と呼ばれていた。ヨハネは唯一殉教を免れ、エーゲ海のパトモス島で福音書や黙示録を記した。フィリポはエチオピアに福音を伝えた後、トルコ西部で布教したが町の支配者に逆十字に縛られ処刑された。ナタナエルはインドからアルメニアで伝道したが捕らえられ、生皮を剥がされ殺された。イエスの復活を信じられなかったトマスは8日後に現れたイエスから「あなたの指を私の腹に入れてみなさい。」と言われ、復活を信じた。そのトマスはイラン、インドに伝道しチェンナイに葬られた。「マタイの福音書」の著者マタイはエルサレムに留まり、その後エチオピアで殉教したといわれる。ローマの支配に抵抗していたシモンはエジプト、ペルシャ、アルメニアで活動し、鋸で切断され処刑された。

~~さわやか易の見方~~

「水雷屯」の卦。屯(ちゅん)は産みの苦しみである。草木の芽が地上に顔を出そうとするとき、固い地面を突き破ることが出来ず悩み苦しむ。屯の字はその状態を表している。この卦は四大難卦の一つであるが、悪いばかりではなく、苦難に耐えてこそ新しい命が育つことが期待できる。

イエスを銀貨30枚でイエスを売り渡したとして裏切りもの扱いされたユダは、イエスが死刑判決が下って後悔した。イエスが十字架にかけられる前に、ユダヤ教の祭司たちに「私は罪のない人を売り渡してしまった。助けてくれ。」と銀貨を返そうとしたが拒絶され、銀貨を神殿に投げ込んで自殺した。イエスはユダを愛し信頼してお金を任せていた。イエスは彼のしたことを赦している。それにしてもイエスの弟子たちの受難はどうだろう。キリスト教が世に認められるまでに、どれ程の血と涙が流れたことだろう。イエスの生涯は神の子と呼ばれても不思議ではない。しかしイエスの誕生がユダヤ人にもたらしたものは何か。やがてイエスをメシアではないとするユダヤ人たちは世界から邪魔者、よそ者、変わり者とされ、迫害され続ける。

次ページへユダヤ人のディアスポラ(民族離散)


コメントを投稿