さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

(41)現代に活躍するユダヤ人(その1)キッシンジャー

2022-08-06 | ユダヤ人の旅

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ヘンリー・キッシンジャー(1923~)

 

世界大恐慌が世界を侵食し、大不況に喘ぐドイツでは1933年に、ヒットラーが率いるナチス政権が席捲する。第一次世界大戦で敗れ、大不況に見舞われているのは第一にユダヤ人による裏切りがあったからだと信じるナチスは徹底的にユダヤ人を弾圧した。少しでも余裕のあるユダヤ人たちは競って外国へ逃れる。バイエルン州フェルトで女子高の教師をしていたキッシンジャーの家族も1938年にアメリカに亡命することになった。15歳の長男のヘンリーは父母と1歳下の弟とともにニューヨークの小さなアパートに移り住む。父親は仕事探しに明け暮れるが、就職口はない。

 

ヘンリーはジョージ・ワシントン高校の夜間クラスで勉強する傍ら、昼間は髭剃り用ブラシをつくる工場で働き、週15ドルの賃金を手にした。それが一家のアパート暮らしを支えた。高校卒業後は工場で働く一方、ニューヨーク市立大学シティカレッジの経営・行政管理学部に通い、会計学を学んだ。第2次世界大戦中の1943年、アメリカ陸軍に入隊、ドイツ語の能力を生かして対諜報部隊軍曹としてヨーロッパ戦線に従軍した。1946年に復員し、ハーバード大学に入学。引き続き大学院にも進学し、主に19世紀のウィーン体制後の国際秩序について研究する。

 

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デイヴィット・ロックフェラー(1915~2017)

 

ハーバード大学で政治学部で教鞭を取る傍ら、CFR(外交問題評議会)へ参加、外交政策への提言が注目を集める。1965年、友人の父が南ベトナムの大使だったので、大使の顧問として3回サイゴンを訪れ戦争の現実を学ぶ。大統領選挙に出馬したネルソン・ロックフェラーの外交政策顧問を務めた縁で、ロックフェラー家の信頼を築く。3代目当主デイヴィット・ロックフェラーの銀行が中国進出した時はキッシンジャーの助言を受けている。政界への進出もデイヴィット・ロックフェラーが道を開いた。

キッシンジャーは冷戦政策の再構築を掲げたニクソン政権で大統領補佐官として重要な役割を果たした。1971年、中ソ対立の中国に極秘で2度訪問、周恩来首相と直接会談、米中和解の道筋をつけた。次に米中和解を交渉カードとしてソ連とも戦略兵器制限条約を締結する。また第三次印パ戦争では中国と共にパキスタンを支援、毛沢東からソ連包囲網の構築を提案させた。巧みな外交によって、1960年代から70年代の最大の難問題であったベトナム戦争の終結への道筋をつける。1973年にパリ協定が調印され、この功績によりキッシンジャーはノーベル平和賞を受賞する。また、こじれた中東地域ではサウジアラビアとエジプトを交互に訪れ、経済と安全保障両面でソ連の影響力排除を目的に反共同盟の結成を支援した。1974年、成立したフォード政権では国務長官として外交を担いソ連との緊張緩和政策をすすめる。

 

プーチン大統領と会談(2001年)

 

キッシンジャーの信念は徹底的な現実主義である。19世紀前半、ナポレオン後のヨーロッパを力のバランスで均衡を保つことに成功したメッテルニヒを手本とした。外交の基軸を「パワーバランス」によって行った。19世紀のヨーロッパではナポレオン以後は大きな戦争はない。それは前半はメッテルニヒ、後半はビスマルクが巧みな外交によって戦争を回避したからと言わている。20世紀のより複雑な冷戦時代を忍者外交と評された外交と先見の明で乗り切ったキッシンジャーは20世紀のメッテルニヒ、ビスマルクと言って良いのではないか。

政界退任後は、1982年に国際コンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエーツ」を設立、現代外交の生き字引的存在として多くの著書を発表、世界各国での講演活動を行った。高齢になった現在も世界中に築いた人脈と外交手腕を頼って歴代大統領が外交の指南役としている。

 

~~さわやか易の見方~~

「水火既済」の卦。既済(きせい)とは事が成就すること。この卦は陰陽の配置が理想的な配置になっている。陽の位置には陽が、陰の位置には陰がある。陰陽のバランスが整い、最も安定している。しかし政治の世界でもビジネスの世界でもこれを求めるのは最も困難なことで、どちらかに偏るものである。しかし、それでもこのバランスを求め続けねばいけない。

では、キッシンジャーは日本についてはどう考えているのだろうか。日本については、軍事力を増強することに最も警戒し、アドバイスを続けている。それだけ日本の実力の高さを知っているのだろう。アメリカと中国の間にいる日本が強くなると、必ず世界のバランスがおかしくなると読んでいるのだろう。そうは言っても、いつまでもアメリカの下請けばかりもやっていられない。まして中国の風下にも立てない。目立たぬように、はしゃがぬように、日本はしっかりと教育に力を入れ、教育大国、文化大国を目指して、じっと力を蓄えていれば良いのだ。

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