さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

(42)現代に活躍するユダヤ人(その2)ジョージ・ソロス

2022-08-10 | ユダヤ人の旅

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ジョージ・ソロス(1930~)

1930年、ジョージ・ソロスはハンガリーのブタペストで弁護士の父ティヴォドア、母エリザベスの二人兄弟の次男として生まれた。ユダヤ人であるソロス一家は常に死の危険と隣り合わせの中にいた。父は第一次世界大戦の戦中と戦後に捕虜となり、ロシアの捕虜収容所から脱走した経験がある。ジョージが13歳の時、ハンガリーはナチス・ドイツの支配下になり、ユダヤ人に対するホロコーストが始まった。父は家族に偽造の身分証明書を作り難を逃れた。ブタペストでナチス・ドイツ軍とソ連軍による熾烈な市街戦を目の当たりにすると、ジョージはハンガリーを脱出し、ロンドンに逃れた。

 

学費も生活費もすべて自分で稼がねばならなかったが、1947年ソロスは経済学の名門LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)に入学する。昼は鉄道駅で貨車の積み込みの重労働をし、夜はウェイターをして学費を稼いだ。LSEでは哲学者カール・ポパーを哲学的導師としている。ソロスはここで開かれた世界に目覚め、反対に閉ざされた世界を生涯嫌うようになった。1951年に苦難の末に同校を卒業する。職を転々としたが、1956年にアメリカに渡る。哲学者として自立するために十分な資産を稼ぐためだった。

 

 
ジム・ロジャーズ(1942~)

資産を稼ぐのが目的だったが、ソロスはこの投資家には世界を変える力があることを知る。そして自分こそ未来を託された人間であることを自覚、実践する哲学者を目指す。研究と体験に明け暮れる毎日が続いたがソロスは投資の世界を知り尽くした。1970年、ソロスはジム・ロジャースとともにファンドを設立した。このファンドはその後10年間にファンド史上最高の4200%のリターンを稼ぎ出した。80歳までの40年間、ソロスのファンドは平均しても年間20%のリターンをもたらしている。

 

ソロスの名とヘッジファンドを一躍有名にしたのは、欧州経済危機の1992年、ポンドの相場を巡り、イギリス財務省を相手に巨額のポンドを売り抜け100億ドルを一夜にして稼いだ話である。ソロスは「イングランド銀行を潰した男」と言われた。イギリスは欧州為替相場メカニズムに従いユーロ導入に向かっていたが、ボンド危機を招きユーロ導入を断念した。しかし、結果的には「英国病」に苦しんでいた経済が改善するきっかけになったと言われている。

 

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アンドレイ・サハロフ(1921~1989)

一方でソロスはソ連を中心とする東ヨーロッパの社会主義は閉ざされた社会であり、開かれた社会へと解放させねばならないと考えていた。1979年からポーランドの連帯運動、チェコスロバキアの憲章77、ペレストロイカの父といわれたソ連のアンドレイ・サハロフたちの反体制組織に多額の寄付をしている。1984年、最初の「オープン・ソサイエティ財団」をハンガリーに設立した。ソ連崩壊後も独裁政権による閉ざされた体制を否定し、2003年には、グルジアの「バラ革命」、2004年には、ウクライナの「オレンジ革命」、2005年には、キルギスの「チューリップ革命」にも資金提供をしている。

ソロスは1970年代から慈善家としての活動をしている。南アフリカのケープタウン大学へ通学する黒人生徒への基金の提供、中央・東ヨーロッパの大学への援助、科学者への援助などである。1991年にはハンガリーに設立された「中央ヨーロッパ大学」の共同創始者であり、4億2000万ユーロの寄付を行った。ソロスの慈善事業は現在では100か国を超える国々で活動し「オープン・ソサイエティ財団」は世界的なネットワークに発展した。また、兄ポール・ソロスもエンジニア出身の企業家で慈善家として知られ、ニューヨークの名士でもある。

~~さわやか易の見方~~

「地天泰」の卦。上に地、下に天。一見逆のように感じるが、易ではこの卦が理想的な安定した世界を表している。国家で言えば、上にいる為政者が下にいる国民の意見を良く聞いて開かれた政治を行っているのである。その反対は「天地否」であり、上にいる為政者が下にいる国民を押さえつけている世界である。どちらが国民にとって良いことか。しかし、「地天泰」を実現するには、国民の方もレベルが高くないと出来ない。レベルの低い国民は上から強制がないと勝手気ままな性質をむき出しにするからである。

 

ソロスが開かれた政治に拘るのは、少年期に体験した共産主義のソ連の恐怖が影響しているのだろう。当時のソ連は為政者がスターリンである。スターリンが植え付けた東ヨーロッパの国民への恐怖は100年経っても消えるものではない。今のウクライナの国民がロシアから離れたいと思うのはひとえにスターリンの恐怖が染みついているからだろう。プーチン大統領は崩壊寸前のロシアを立ち直らせた救世主ではあるが、それでもスターリンの恐怖政治は忘れるほど過去のものにはならない。そうなると、この戦争は何年も続きそうな気がする。5月末の「ダボス会議」でソロスはこの戦争は第三次世界大戦になる危険があると言っている。

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