さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

姐さんの憲法論(39)~和を以て尊し~

2021-02-23 | 姐さんの憲法論

姐さん、日本国憲法はこれからどうすればいいでしょうね。

そうだよね。もっと広く日本人に親しまれなきゃいけないと思うのよ。憲法9条だけで、護憲と改憲で争っていたってしょうがないじゃないのよ。私もそうだったから偉そうなことは言えないけど、もう少し中身を知った上で語らなくては話にならないよね。

そうですね。僕も何も知らないで、改憲して自衛隊を明記すればいいと思っていましたが、少し勉強して解った今では恥ずかしいですよ。それに、今の憲法は日本の敗戦後にマッカーサーの3原則に沿って作られましたが、それから75年も経っているんです。戦後から今までは超大国アメリカについてきた日本ですから、良かったんですが、これからは違いますよね。

そうよ。憲法は時代と共にあるものだと思うのよ。明治憲法は帝国主義時代という時代の中にあったでしょう。そもそも国名からしたって、大日本帝国なんだよ。軍国主義とか言われるけど、世界中が軍国主義の時代だったんだからね。それが、第一次と第二次の二つの大戦によって決着がつき、次に米ソの冷戦時代、アメリカ主導の時代があったのよ。今の憲法はアメリカ主導時代の象徴のような憲法とも言えるよね。少なくとも安全保障についてはそうでしょう。でも、そのアメリカ主導の時代も終わりに近づいている訳でしょう。だから、憲法も新しい時代に相応しいものじゃなければいけないのよ。

そうですね。だからといって中国についていけば良いはずはないし、日本は日本で完全に独立して、しかも世界をリードする存在にならなきゃいけませんよね。核兵器という安全保障問題もあるけど、そもそも人類が地球温暖化なんかの死活問題に直面しているんですよ。だから戦争なんかしている場合じゃないんですよね。新しい時代は無駄な競争や戦争をやっている時代じゃないと思うんですよ。科学者や物理学者らの英知を結集して生き残りを考える時代ですよ。

戦争放棄なんて当たり前にならなきゃね。核兵器廃絶なんかも当たり前にならなきゃいけないよね。そんな新時代に相応しい憲法を作って、日本は世界のお手本になるべきなんだよ。とくに日本は世界で唯一の核被爆国なんだから、核兵器廃絶の先頭に立たなきゃダメよ。核の傘で安住している場合じゃないってことよ。

日本が世界をリードするためのシンボルは何が良いでしょうか?

それは、「和を以て尊し」でしょう。「戦争放棄」のスローガンはアメリカの属国時代のスローガンだったから、今度こそ日本らしいスローガンで行くべきじゃないの。この「和を以て尊し」はグローバルとは違うんだよ。グローバルっていうのは、世界中が同じ価値観になることでしょう。世界中の国はそれぞれ国民性があって、それぞれの文化があって、みんな自分の国に誇りを持っているのよ。それをある先進国が金持ちで強国だからと言って、自分の国と同じ価値観を持って同じになるべきだとうのがグローバリズムなんだよね。「和を以て尊し」は私は私、あなたはあなた、みんな違ってみんないい、金子みすゞの世界なんだよね。世界を無理に一つにするんじゃなくて、それぞれ違ってもいいから全体ではバランスをとって、助け合っていこうという考えよね。

そうですよね。日本の憲法は「和を以て尊し」が一番似合っていますよ。「和を以て尊し」を中心にして作ったら良いと思いますよ。

憲法を新しく作るとしたら、先ず前文を「和を以て尊し」を基調に全面的に書き換えること。それぞれの条文については良いものはそのまま残して、世界の平和を願う日本人が、それぞれの個性を発揮していけるような憲法にしたらいいと思うよ。

姐さん、第9条はどうしましょうか?

戦争の放棄だよね。玄侑宗久さんや養老孟司さんが言ってるように、今はここのまま玉虫色で行くしかないんじゃないかな。新しく作り直す時がきたら、思い切って変えなきゃね。「和を以て尊し」が基調なんだから、国際紛争は戦争以前に解決する手段を持たなきゃいけないよね。

そうですね。軍事や経済で世界の先頭になるんじゃなくて、調和の精神で世界の先頭になるべきですよね。

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姐さんの憲法論(38)~前文を国民投票で~

2021-02-22 | 姐さんの憲法論

姐さん、いかがでしたか。今の憲法も捨てたものでもないでしょう。

そうね、GHQが一方的に押し付けた憲法ではないことは認めるわ。それに、憲法研究会を始めとして、多くの日本人も関わってきたことも良かったと思うわ。敗戦という日本にとっては屈辱的な状態の中で誕生したというのが、なんとも悔しい出来事ではあったけど、逆に言えばこんな時しかこんな憲法は生まれはしないということも解ったわ。内容も全体的には日本人にとって良かったと言えるんでしょうね。でもね、最初の時にあんたと二人で読んだ前書きだけは、絶対良くないよね。

前書きですか。あれは、賛否両論なんですよ。日本ペンクラブの投稿者で、前書きが素晴らしいという人もいるんですよ。でも、翻訳調で解りにくいという人もいました。僕は解りにくいし、内容も好きじゃありません。

そうだよね。私はあの前書きを読んでこの憲法は絶対許せないと思ったんだからね。他の所は知りもしないで、頭にきた位だからね。いったい、あの前書きは誰が書いたのよ?

GHQ民生局次長のケーディスが全体的なGHQ案の作成者なんですが、前書きを担当したのは、アルフレッド・ハッシー中佐だと言っています。ハッシーはハーバード大学で政治学を学んだエリートのようですけど、ケーディスはこう言っています。「100%ハッシーです。マッカーサーでもホイットニーでもありません。彼はこの前文にエネルギーのすべてをかけていましたから。しかも、彼は文章にはある種の自信を持っていて、他人に直されるのを非常に嫌いました。」ということです。

あらそうなの。でも、前文というのは憲法全体の目的や方針を示すものなんだから、これじゃあ駄目よ。そもそも日本国の憲法なんだから、日本人に馴染み易く、親しまれる文章じゃなきゃ駄目よ。そのハッシーさんがエネルギーのすべてをかけたというのは解ったけど、二度と日本が戦争を起こさないようにという強いメッセージだけが伝わるだけだよね。

あれは、マッカーサー・ノートの3原則を下敷きにしていますね。戦争の放棄が中心になった前文ですね。

あの「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」みたいな、愛国者が聞いたらびっくりするような文章はどう考えたって、日本人を馬鹿にしているよ。絶対書き直しね。

最初のところで、散々こき下ろしましたね。確かに条文に比べると前文は日本側の意見が反映されていないような気がします。ハッシーさんは自分の文章に自信を持っていて、他人に直されるのを嫌ったと言いますから、誰も口出ししなかったんじゃないでしょうか。憲法公布の時にマッカーサーが祝辞を述べた中に、「新憲法もまた多少の欠点を免れないが~」とありますけど、日本人に反感を買う部分があることを認めていたからではないでしょうか。

前文だけ読んですっかりこの憲法が嫌いになった人は私だけじゃないと思うよ。私は憲法公布の時に昭和天皇が述べた詔勅のような前書きが良いと思うのよ。

確かにそれが正論だと思います。僕も憲法を作りなおす機会があったら、先ず前文から作り直してくれといいたいです。広く国民から募集したら良いと思いますけど、どうでしょうか。

それはいいわね。前文だったら高校生でも参加出来るからね。全国から募集してその中からいくつかを選考委員たちが選んで、それを国民投票するなんて、いいんじゃないの。そうすれば、憲法が身近になるし、親しみを持てるじゃないの。

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姐さんの憲法論(37)~「憲法について、いま私が考えること」から(3)~

2021-02-20 | 姐さんの憲法論

姐さん、続いて僕が一番納得した、玄侑宗久さんの文を照会します。

玄侑さんって、お坊さんだったよね。興味あるわ。

 

 

 

 

 

 

 

玄侑さんは今の憲法には肯定的な立場だけど、このまま安住することには危惧を感じているようですね。こんなことを書いていました。「確かにGHQやマッカーサーのプレッシャーは大きかったとしても、彼らの素案はすでに鈴木安蔵らの憲法研究会案を下敷きにしている。GHQ案は閣議決定で承認され、その後に日本案をまとめた。内閣法制局の佐藤達夫第1部長は30時間に及ぶ徹夜作業で仕上げた。」と、GHQ案の前に日本人の憲法案が先に出されたことに注目しています。

あんたに聞いたことだけど、「憲法研究会」というのは画期的な仕事をしたよね。それまで日本でも民主化の動きは忍耐強く進んでいたってことだよね。だから一方的にGHQから押し付けられたばかりじゃないってことなんでしょ。その点は良く解ったわよ。

玄侑さんは、こうも書いています。「時代の転換点で生まれた憲法であってみれば、自主的でもっと時間があったらもっと良いものができたというものではなく、おそらく坩堝のような温度と密度で滴るように生まれたに違いない。そうした奇跡的な情熱と集中力が、アメリカ人も含めた当時の関係者の間には色濃くあったように思えるのである。」と、あるのです。この「坩堝(るつぼ)のような温度と密度」の中で誕生した憲法というのが、気に入っているんです。日本は敗戦後の混乱の中ではあったけど、その後の日本の将来を決めるための最も肝心なところで、真剣に議論が進んでいたんですよ。その真剣な戦いの結果生まれたのが、新憲法だったと思います。GHQが先導したことは確かですけど、結果的には日本にとっては、良いものが出来たと言えるんじゃないでしょうか。

そうね。私も戦後の日本にとっては、良かったんじゃないかと思うようになってきたわ。でもね、それから70年以上経っているんだよ。玄侑さんは、その後のことでは何か言ってないの?

こう書いています。「私は一切変えないという頑なさにも同意できないし、押し付けだから変えるという論にも賛同できない。」つまりは、改憲論にも護憲論にも賛成しない。もっと別の視点でものを考えろということじゃないでしょうか。そして、「GHQに押し付けられた憲法だから変えたいと言いながら、アメリカの気に入るように修正したいというのが理解できない。」と言っています。多分、集団的自衛権を行使出来るようにしたことが、アメリカの意向じゃないのかと言っているんですよ。

やっぱり、そうだったのかなあ。今まではアメリカについて行けば良かっただろうけど、これからはそうはいかないでしょう。日本はもっと日本であるべきよ。

玄侑さんも、「9条はそのままに、苦しい解釈でも自衛隊を保持し、日米安保条約は解消して永世中立を目指す、というのはどうだろうか。」とも言っています。

私もその提案に賛成よ。

9条に関しては、養老孟司さんも掲載しているんですが、こう言っています。「憲法9条はそのままでよろしい。いじっても、何も変わらないからである。問題は国民の腹である。いざとなったら犠牲を厭わない。その腹がないから、言葉をいじってごまかそうとする。」結局はこれですよ。いくらアメリカに誘われても日本人が断固戦争を拒否するんなら、迷わずに拒否すればいいんですよ。そして、9条であっても、自衛の場合は別なんですから、その時は断固決断することですよ。腹が座っているかどうかの問題ですよ。

そうだよね。拉致問題は憲法問題と言ったけど、9条があったって救助出来たんだからね。ボヤボヤしてたらどんな憲法だって同じだよね。解った解った、それで行こう。もっと、日本人がしっかりすることが大事なんだね。

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姐さんの憲法論(36)~「憲法について、いま私が考えること」から(2)~

2021-02-19 | 姐さんの憲法論

姐さん、では今回は女性作家の松本侑子さん(1963年生まれ)の、「日本憲法がなかった時代の人々を小説に書いて感じたこと」を照会します。

フォト

 

 

 

 

 

 

お願いします。

明治天皇の侍講だった中沼了三の話なんですが、この人は西郷従道、中岡慎太郎らから教えを受けた儒学者だったそうです。この中沼は、「みかどは人徳で民をおさめる聖帝であるべし」という考えから天皇を軍隊と武器に近づけてはならないと政府に主張していました。ところが、岩倉具視、大久保利通らと対立し下野することになりました。その後、明治22年に制定された「大日本帝国憲法」の第11条に「天皇は陸海軍を統帥す」とあり、明治天皇は全軍の最高指揮官になりました。明治27年、日清戦争が始まります。中沼は幼少期から指導した天皇を案じて、広島におかれた大本営に馳せ参じました。天皇は軍服に身を包み、洋剣をさげた軍人の姿で現れます。その姿に中沼は衝撃を受け、失意のあまり白髪の頭を垂れ落涙したという話です。

そうだよね。「天皇を軍隊と武器に近づけてはならない」というのは、大事なことだよね。旧憲法では天皇が軍隊の最高指揮官だったんだからね。明治の政治家たちは日本を一つにする為に天皇を担いだんだよね。

僕も日本が世界に躍り出た明治維新にはすっかり感動していましたけど、大きな落とし穴があったということなんだろうな。考えさせられましたよ。それと、松本さんは旧憲法では女性の権利が制限されていたことで起こった悲劇について書いていました。詩人の金子みすゞの話です。

 

 

 

 

 

 

知ってるわよ。大正ロマンの時代に活躍した金子みすゞでしょう。「見えないものでもあるんだよ」とか「みんな違って、みんないい」なんて、いい詩が沢山有るのよね。でも、みすゞさんは自殺してしまうのよね。

そうです。北原白秋や野口雨情が活躍した時代です。金子みすゞは山口県の田舎にいたんですが、投稿詩人として有名だったんですね。みすゞが3歳の時に父が亡くなってしまい、母の再婚相手が下関の書店を経営していたんです。みすゞはその書店の番頭と結婚して娘が出来るんですけど、その番頭は度々女性問題を起こして書店を追われるんですよ。みすゞは夫に従うんですが、夫の放蕩は直らず、みすゞの詩の投稿を禁じたり、淋病にかかり、それをみすゞに感染させたりするんです。離婚後も旧憲法では男女平等の規定はなく、娘の親権はみすゞにはないんです。思い余ったみすゞは娘を母に託すよう遺書を書いて服毒自殺するんです。26歳の短い生涯でした。

そうだよね。明治憲法では男女平等がなかったからね。個人より家が中心で、父親とか夫の力が強かったんだよね。大抵の女は我慢ばかりしていたんだね。日本国中で、それで収まっていた場合もあるだろうけど、悲劇的な場合もあったんだろうね。

松本侑子さんは最後に、「戦後を生きることができなかった無数の人々の鎮魂、日本人の平和をもとめる悲痛な胸のうちから日本国憲法は熱狂的な賛同をつけて誕生した。」と結んでいました。

男女平等は長年耐えてきた日本女性たちの叫びだったんだよ。その時代の声を実際にGHQの幹部の前や日本政府の高官の前で声に出してくれたのが、22歳だったベアテさんだったのよ。5歳から15歳まで少女時代を日本で過ごしたことがあるベアテさんが、日本女性を代表して声に出してくれたんだよ。お陰で日本中の女性が堂々と生きていけることになったのよ。新しい憲法が出来るというのもドラマだね。

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姐さんの憲法論(35)~「憲法について、いま私が考えること」から(1)~

2021-02-17 | 姐さんの憲法論

姐さん、僕が憲法に関する本をいくつか読んだ中で、日本ペンクラブがまとめた「憲法について、いま私が考えること」というのがあるんですよ。日本ペンクラブに所属する作家たちがそれぞれ自分の思いを文にしたものなんですけど、これが結構面白かったんです。

あら、どんな人たちが書いているの?

 

 

 

 

 

 

 

全部で30人位いるんですが、殆どの人は第二次世界大戦の惨状を訴えて、戦争を放棄した現憲法を礼賛していました。その中で面白いのを照会します。田原総一朗さん(1934年生まれ)が「戦争を知る世代として」というタイトルで、何人かの元首相の話を載せていました。宮澤喜一さんが憲法について語った言葉として、「日本人は自分の身体にあわせた服をつくるのは下手だが、押し付けられた服に身体をあわせるのはうまい。」というのです。

ハハハハハ。うまいこと言うのね。その通りだよね。

自衛隊と軍隊について、竹下元首相は、「だから良いのだ。戦えないから日本は平和なのだ。軍隊は戦えれば、戦ってしまうものだ。」というのもありました。日本はベトナム戦争の時に、アメリカから出兵を要請されたんでしょうね。その時の、佐藤栄作元首相はアメリカに、「もちろんベトナムで一緒に戦いたい。だが、難しい憲法を押し付けられたので、行くに行けないではないか。」と戦争に巻き込まれるのを避けたということです。

成程ね。憲法9条が役に立ったという訳ね。

イラク戦争の時も、息子ブッシュ大統領から出兵要請を受けた小泉首相が、「難しい憲法を押し付けられたので、イラクには行くが、サマワで水をくみにしか行けない。」と言ったそうです。

そうか、何回もあったんだね。じゃあ、9条がなかったら日本も又戦争をしてたかも知れないんだ。

そうなんですよ。実際にベトナム戦争では集団自衛権の名の下に韓国は25万人の兵隊をベトナムに送っているんです。その結果、4968人の死者を出し、枯葉剤の後遺症で15万人がずっと苦しんだんですよ。

集団的自衛権の行使容認も決まってしまったけど、早まったかな。あの時は私も集団的自衛権は必要だと思っていたからね。日本が攻撃された時にアメリカに助けて貰うんなら、同盟国のアメリカが攻撃された時は日本が助けるのは当然だと思っていたのよ。でも、アメリカはすぐ戦争をしたがるからね。良く考えなきゃいけないわね。

確かに憲法と自衛隊の関係は曖昧なんですが、曖昧のままで良いという意見もあるんですよ。京都大学教授だった故高坂正堯(まさたか)先生が、「現憲法と自衛隊はあきらかに矛盾している。憲法9条の二項は戦力を保持せず、交戦権も否定しているが、自衛隊は戦力を保持している。だが憲法を自衛隊にあわせるか、自衛隊を憲法にあわせようなどとするのではなく、憲法と自衛隊が拮抗している関係を、そのまま持続していくのが良いのではないか。」と言っていて、田原総一朗さんは「自分も高坂理論に賛成である。」ということです。僕もそれでいいんじゃないかと思うようになりました。

日本人得意の玉虫色だね。それも日本人の知恵なのかも知れないよね。何でも白か黒かに決めることはないのよね。その日本ペンクラブが作った本は面白そうね。さすがに作家たちだから、みんなそれなりの意見を持っているんだね。他にも面白い意見はなかったの。

いろいろありましたよ。これを読んでいると今の憲法が良いものに思えて来ちゃうんですよ。じゃあ、次回も別の作家の言い分を披露してみましょうか。

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