さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

(23)イスラム帝国の繁栄とユダヤ人

2021-06-24 | ユダヤ人の旅

千夜一夜物語

イスラムの帝国・ウマイヤ朝は一時はインドやイベリア半島にまで進出しイスラムの世界を拡大した。しかし、このウマイヤ朝はアラブ人による帝国であり、とくにササン朝ペルシャで栄えていたペルシャ人たちには反発されていた。750年、カリフの継承争いで遅れをとったムハンマドの出身ハーシム家の一族であるアッパース家は非アラブ諸国を味方につけウマイヤ朝を倒し、アッパース朝を起こした。アッパース朝ではイスラム教のムスリム(信者)は皆平等という理念を実現、イスラムの大帝国を築くことに成功した。

交通の要所であるバクダードは東西貿易の拠点として「世界一」と言われる程発展し、人口は100万人にもなった。「千夜一夜物語」を代表とするイスラム文化が一気に花開く。各分野で働く学者たちは挙ってバクダードに集結した。バクダードには「知恵の館」が建てられ、ギリシャ語文献やインドの学問がアラビア語に翻訳された。医学、数学、化学、天文学、地理学、あらゆる分野で世界の最先端をいく文化都市になった。今日のアラビア数字はインドからその頃伝わったものである。

 

エルサレムの岩のドーム

ムハンマドを始祖とするイスラム教によって生み出されたイスラム文化は、それまであったオリエント文化、ヘレニズム文化、キリスト文化の良いところを全て吸収して、さらに大きなものにしたところに特徴がある。製紙法、綿織物、砂糖などは中国から伝わった文化である。当時の世界文明の中心地は現在の中東であったのである。一方の西洋ではローマ帝国時代は終焉し、ビザンツ帝国も衰退していた。イタリアでルネサンスが起き、スペインの大航海時代が始まるのは15、6世紀であるから、それまでのおよそ1000年間は中世の暗黒時代と言われる。まさに文明の中心はイスラム教の世界だったと言える。いかにムハンマドの出現が偉大であったかを物語る。

 

ハーシム家もアッパース家も出身はアラビアのメッカである。どうしてこれほどの大帝国を築き、世界中から一流の学者たちが集まったのだろうか。そこにはユダヤ人たちの存在があると考えられる。何故か。それはエルサレムを追われたユダヤ人たちが世界中に散らされ、コロニー(集団)を作りユダヤ人どうしのネットワークが形成されていたからである。ユダヤ人たちは生存するためにアラビア語、ペルシャ語、ギリシャ語、インド語などを自由に使いこなす国際人になっていた。貿易業や翻訳業は得意の分野だったからである。

ムスリムにとってユダヤ人は敵ではない。アブラハムの子孫としては一族であるという教えを守っていた。ユダヤ人にとってはアブラハムと妻サラの子イサクを自分らの先祖とするが、アラビア人はアブラハムとハガルの子イシュマエルを自分らの先祖としている。(旧約聖書ではハガルはサラの女奴隷であり、サラが子を作るためにハガルをアブラハムに床入れさせたという。)お互いに自分らの先祖がアブラハムの正妻の子であると信じている。ムスリムたちはユダヤ教徒とキリスト教徒を「啓展の民」として尊重している。同じ神と同じ敬典を信じる同胞として敬意を払っている。そういう思想がイスラムの発展に寄与するこになったのだろう。

 

~~~さわやか易の見方~~~

「天火同人」の卦。同人とは志を同じくする人たちの集まりをいう。同人雑誌の語源である。広い世界(天)の下に文化(火)がある象とみる。一つの文化のもとに人々が集まり、広い世界に羽ばたいていくとも言える。その文化は多くの人を照らすものでなければならない。太陽のように普遍的な価値あるものならば、世界を幸福にすることにもなるだろう。

イスラム教の考え方である「啓展の民」はキリスト教にはないのだろうか。このユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教が同じ啓展の民としてお互いを尊重したならば、無駄な戦争はしなくて済むのではないだろうか。どうしても許しがたいのはこの後に起こる十字軍遠征である。この戦争を指導したのがローマ教皇なのだ。十字軍遠征こそ人類歴史の恥であり、愚の骨頂であった。何も良いことはなかった。ローマ教皇も自ら信頼を失い衰退する。キリスト教徒とイスラム教徒とユダヤ教徒が激しく憎みあうことになった。宗教指導者たるものは他のどんな職業より人々に影響を及ぼす存在なのだから、権力には走ってもらいたくない。政治には口出ししないでもらいたい。ひたすら人間を学んで欲しい。心の世界を開拓してもらいたい。

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