さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

(10)ペルシャ帝国物語

2020-01-19 | ユダヤ人の旅

キュロス2世(BC600頃~529)

ユダヤ人の国家であるユダ王国はBC586年、新バビロニアに滅ぼされ国家は消滅してしまったが、意外に早く救出される。BC539年に新バビロニアを征服したペルシャ帝国によってユダヤ人たちは解放され祖国に戻ることが出来た。ユダヤ人にとって救世主になったのは、アケメネス朝ペルシャ帝国の初代国王キュロス2世である。現代のイラン人にとってもキュロス2世は建国の祖と称えられているが、キュロス2世はエジプトを除く古代オリエント諸国を統一して空前の大帝国を建設した。

キュロス2世はユダヤ人をはじめバビロン捕囚にあっていた諸民族全てを解放した。その上、新バビロニアに略奪された神殿の什器を返還させ、エルサレムに神殿の再建を命じた。ペルシャ帝国では信仰宗教はゾロアスター教であり、他の宗教にも寛容な面があった。旧約聖書ではキュロス2世はメシア(救世主)と呼ばれている。ユダヤ人たちはキュロス2世には忠誠を尽くしたのは言うまでもない。エルサレムに第2神殿が完成したのはBC520年、キュロス2世は世を去っていたが、アケメネス朝の宗教寛容政策のもとにユダヤ人たちはユダヤ教を守ることが出来た。

 

ゾロアスター教聖火台跡

アケメネス朝のゾロアスター教は19世紀ドイツの哲学者ニーチェが「ツァラトゥストラはこう語った」を著したが、そのツァラトゥストラこそゾロアスター教の教祖である。イランのアーリア人の宗教は元来多神教であったが、ツァラトゥストラが出て一神教のゾロアスター教を創設した。ゾロアスター教は光(善)の象徴として火を尊び「拝火教」とも呼ばれる。特徴は善悪二元論と、終末論である。人は臨終時に裁きを受け、天国か地獄のいずれかに旅立つ。世界の終末には「最後の審判」があり、死者も生者も改めて選別される。全ての悪が滅したのち、最後の救世主によって永遠の生命が与えられる。この来世観や最後の審判の教義はキリスト教にも影響を与えた。

一方でゾロアスター教は近親結婚を善とする教えがあり、アケメネス朝2代目の王カンビュセス2世は実の妹2人と結婚している。カンビュセス2世は父が果たせなかったエジプトを征服しようと進軍する前に、留守中王位を簒奪されることを恐れ弟のスメルディスを密かに殺害した。エジプトを征服し、さらに現在のスーダンにまで攻め込もうとしたが、砂漠の横断に失敗、5万の軍隊が砂嵐に生き埋めになった。カンビュセス2世の遠征中、ペルシャでは王位を巡り、骨肉の争いが起こった。反乱の鎮圧のためペルシャに戻る途中で不慮の事故により死亡した。

 

Darius In Parse.JPG

ダイオレス1世(BC550~486)

王位を巡る混乱を制し、アケメネス朝3代目の王になったのはダイオレス1世である。ペルシャ中央に大都市ペルセポリスを建設し、西はエジプト、東はインダス川流域に至る広大な領土を統治した。ダイオレス1世は王家の出身ではなかったので、奪取した王位を確実にするため王家の血筋ある娘たち全てを妻にした。キュロス2世の娘アトラッサとアルテュストネ、殺害されたスメルディスの娘パルミュス、カンビュセス2世の娘パイデュメたちである。中央集権的体制の構築、「王の道」と呼ばれる道路網、「王の目」「王の耳」と呼ばれる監視体制、度量衡の統一、貨幣制度の整備などをすすめた。また、自らの正当性を後世に残すためアケメネス朝の歴史を壁に刻んだ「ベヒストゥン碑文」を作らせた。

内政を安定化させると、ダイオレス1世は対外遠征にも力を注いだ。例えばインドはアケメネス朝の徴税区として最も多くの税収・砂金360タラントンを納入している。対外遠征の中で史上名高いのはギリシャ遠征である。ギリシャの多くのポリスは恭順の意を示したが、アテネとスパルタはこれを拒否した。BC490年、ギリシャへの大規模な遠征軍が派遣され7日間の攻撃でエレトリアを陥落させた。しかし、マラトンの戦いでアテネ軍に敗退し失敗に終わる。ダイオレス1世はその後亡くなり、ペルシャ帝国はギリシャとの戦争からも撤退する。しかし、アケメネス朝ペルシャ帝国はBC330年、アレクサンダー大王に滅ぼされるまで約200年間オリエントに君臨した。

~~さわやか易の見方~~

「地沢臨」の卦。臨は君臨する、臨席を仰ぐ、などに使われる。上から支配し統制すること。君子が民を導き、保護し、包容するのである。至誠、英知、篤実をもって事に臨めば吉である。

ペルシャは現在のイラン。紀元前の時代に大帝国として世界に君臨したことがある。イラン人は今もその誇りは失っていないだろう。しかし、現在のイランはシーア派のイスラム教徒が権力を握る宗教国家として世界に孤立している。アメリカに従うことが良いことだとは思わない。しかし、時代と共に人の生き方は変わるものであり、社会も変わらなければいけないだろう。6世紀に誕生したムハンマドがいかに偉大な宗教家だとしても、その教えを永久に守ることだけでは国民を統治する指導者のあるべき道ではないだろう。とくにシーア派はムハンマドの血筋に近いものを指導者にしようとする教団である。指導者の資質は血筋よりも至誠、英知、篤実である。古い伝統も大事ではあるが、新しい考え方に気が付いてもらいたい。宗教は精神の世界であり、政治は現実の世界である。新しい道はないのだろうか。

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