さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

(4)イサクとイシュマエル

2019-11-26 | ユダヤ人の旅

天使とハガル

カナンの地に戻り国作りに励むアブラハムにとって、気がかりだったことは後継者がいなかったことである。妻サラも既に75歳の高齢となっており、妊娠を期待するには無理がある。そこでサラは自分の女奴隷であるハガルを呼んでお願いする。「ハガルよ、私に代わってアブラハムの子を産みなさい。男の子ならば、ゆくゆくはユダヤの王となる子です。」 ハガルを夫との床入れをさせ無事に身ごもることになった。ところが身ごもったハガルは主人であるサラに対して侮る言葉を吐くようになる。サラはアブラハムに訴えたが自分で解決するようにと言われる。

サラはハガルに身分をわきまえる様激しく叱責する。あまりにも激しい叱責に耐えきれず、ハガルは家を出てしまう。街道の泉の側で泣いていると、そこに神の御使いが現れて告げた。「ハガルよ、そなたの子と子孫は繫栄する。サラのもとに帰って何事にも耐え忍び服従しなさい。生まれた子にはイシュマエルと名付けなさい。」サラのもとに帰ったハガルはやがてイシュマエルを産んだ。アブラハムとサラは世継ぎが出来たことに感謝して神に祈りを捧げる。アブラハムは86歳にして始めて父となった。

 

ハガルと荒野のイシュマエル

 それから、14年後のことである。奇跡的にサラが身ごもり男の子を産んだ。イサクと名付けられた。サラは90歳、アブラハムは100歳のことである。アブラハムは喜んでイサクをイシュマエル同様愛していたが、いつしかイシュマエルがイサクをからかうようになってきた。サラは自分の子が出来るとハガルとの約束を忘れて、イサクを世継ぎにするためアブラハムにハガルとイシュマエルを追い出すよう懇願した。アブラハムは不快だったが、神の言葉に耳を傾けるとサラの懇願に従うことにした。アブラハムはハガルに水と食料を持たせ、村から去るように命じる。ハガルはイシュマエルとともにあてもなく荒野に向かって歩き出した。

やがて食料も水も尽き、死が目の前に迫ってきた。ハガルは息子の死を見たくないと低木の下に隠し、自分は離れた所に座って泣いていた。するとそこに御使いが現れ、「ハガルよ、しっかりせよ。神はイシュマエルを見捨てはしない。彼の子孫は大きな国民になるのだ。」ハガルが目を開くと目の前に井戸があった。こうして親子は生き延び、やがてイシュマエルはエジプトから妻を迎え、家族を作る。イシュマイルの子孫はアラブ民族となって繁栄した。

 

イサクを捧げるアブラハム

 アブラハムにとってイサクはかけがいのない存在であり、希望であり、命そのものであった。しかし、アブラハムの前に立ちふさがった試練はあまりにも残酷だった。ある日祈りを捧げるアブラハムに神の声が聞こえた。「アブラハムよ、私はお前の信仰を試さねばならない。明日の朝、お前の最も大切なもの、お前の息子を生贄として捧げよ。」 次の朝早く、アブラハムは薪を背負わせたイサクとともにモリヤの山を登って行く。イサクは訪ねた。「神に捧げる子羊は何処にあるのですか」アブラハムは「それは神が用意して下さるのだ。」二人はそれ以上、何も話さなかった。

 祭壇に着くと、天から神の声、「アブラハムよ。」「はい、ここにおります。」「命じたことを行うのだ。」イサクは既に自分が燔祭の子羊として捧げられることを認識していた。イサクは無抵抗のまま祭壇の上に載せられる。アブラハムは盲目的に神の言葉に従う。イサクの上に刃物を振り上げた瞬間である。神の御使いがその手を止めた。「そなたの信仰は本物である。」アブラハムが見ると目の前の茂みに角を絡ませた雄羊がいたので、イサクの代わりに神に捧げる。アブラハムの最も重大な試練だった。やがてイサクの子ヤコブの子孫は12支族にもなり、ユダヤ民族になる。

 

~~さわやか易の見方~~

 

******** 上卦は天

******** 陽、剛、大

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***   *** 下卦は雷

***   *** 活動、志

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「天雷无妄」の卦。无妄(むぼう)の无は無、妄は妄り、望み、野心。従って、无妄は欲や野心を捨てて、無心でいること。青天の霹靂という言葉があるが、世の中には思いもよらないこと、予期せぬ出来事にあうことがある。天の摂理に身を任せ、何があっても動揺しないことである。

 イサクは母サラ90歳、父アブラハム100歳の子である。サラは127歳まで生き、アブラハムは175歳まで生きたと聖書は伝えている。またサラの死後、アブラハムはケトラを妻として6人の子を授かったという。どう考えてもありえない話だ。聖書は歴史書ではない。BC20世紀頃の歴史は半分は伝説、神話と考えた方が良いのではないだろうか。また、イスラム教ではイサクとイシュマエルは反対の立場になっており、イシュマエルがアブラハムの嫡子になっている。いづれにしても3大宗教はアブラハムが原点であることに変わりはない。だとすれば、宗教の違いによって、争うのはおかしいではないか。3大宗教が心を一つにする時代が来ることを期待したい。

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