さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

(16)イエス・キリスト(1)

2020-03-02 | ユダヤ人の旅

ヘロデ王(BC73年~BC4年)

ユダヤ人たちの国はアレクサンドロス後のヘレニズム3国時代は、始めエジプトのプトレマイオス朝、次にシリアのセレウコス朝の支配になった。ユダヤの国はハスモン朝が統治していたが、内紛が絶えなかった。BC63年、ローマのポンペイウスがシリヤを破ると以後ローマのユダヤ属州になり、ハスモン朝も亡んだ。ポンペイウスがカエサルに敗れ、さらにBC44年のカエサル暗殺後はアントニウスが実権を握った。その頃、ハスモン朝時代の武将の子であるヘロデが元老院から「ユダヤ人の王」の称号を貰い、ユダヤを統治することになった。アントニウスの支援を得て、ヘロデは強国ローマのもとで、ヘロデ朝をかつてないほどに発展させる野望を実現させたかった。BC31年のアクティウムの海戦でアントニウス軍が敗れるといち早くオクタウィアヌスの陣営に鞍替えした。

もともとユダヤ人ではないヘロデはユダヤ人の指示を得るためにハスモン朝の姫と結婚し、かつてのソロモンの神殿に負けない豪壮な神殿の建設に取り掛かった。しかしローマに従うヘロデ王はユダヤ教を固く信仰するユダヤ人とは考え方が違い民心を得ることはなかった。BC4年、ナザレの大工ヨセフとマリアのもとにイエスは産まれる。救世主を求めるユダヤ人たちにとって、神の子が産まれたという噂がたった。70歳になるヘロデ王はユダヤの王が生まれたと聞くと、2歳以下の男子を皆殺せと命令した。ヨセフとマリアはイエスを抱いてエジプトに逃れ無事だった。ヘロデ王の死後、一家は故郷の地ナザレに戻って来た。少年イエスは大変聡明だったという。

 

ヨハネの首を持つサロメ

成人になったイエスはヨルダン川のほとりで洗礼者ヨハネのもとで洗礼を受ける。イエスは自分が神の子であり、メシア(救世主)としてこの世に生まれたことを自覚した。その後、イエスは荒野に入り、40日間の断食修行をする。修行の間、サタン(悪魔)から様々な誘惑を受ける。「もしお前が神の子ならば、この石にパンになれと命じてみよ。」 するとイエスは「人はパンのみに生きるのではない。」と答えた。さらにサタンはイエスを高い所に連れていき、「もしお前が私に跪くならば、ここから見える全ての権威と栄華をお前に与えよう。」イエスは「主なる神を排し、神のみに仕えるつもりです。」またサタンは言った、「もしお前が神の子ならば、ここから飛び降りてみろ。神はお前を助けるはずだ。」すると「主なる神を試みてはいけない。」と答えた。

その頃2代目ヘロデ王が兄の妻へロディアと不倫関係になっていた。そのことを洗礼者ヨハネが批判したので捕らえられていた。へロディアはヨハネを殺したかったが、ヨハネはユダヤ人たちから尊敬され、ヘロデ王も一目置いていたので殺せなかった。ヘロデ王の誕生日パーティーでへロディアの娘サロメが次々とベールを脱ぐ「七つのベールの踊り」を披露した。気に入ったヘロデ王はどんな褒美でも与えると約束したので、サロメは母へロディアに相談すると、「ヨハネの首を」と求める。ヘロデ王は躊躇したが、来客に威厳を示す為にも「ヨハネの首をはねよ」と家来に命じ、盆にのせたヨハネの首を運ばせた。ユダヤ人たちは絶望し、救世主を求める願いは切実になる一方だった。

山上の垂訓

イエスはガリラヤ地方から伝道を始める。神の国の福音を説き、民衆の病気を癒し、ある時は奇跡を起こした。イエスの評判は高まり、ローマの圧政に苦しむユダヤ人たちはイエスのもとに集まった。「心の貧しきものは幸いである。天国は彼らのものである。」「私はまことの葡萄の木、あなたたちは枝である。枝はその木から離れれば捨てられるだけである。」イエスの教えは神への絶対愛と、敵をも愛せという隣人愛だった。イエスはユダヤ人であれば救われるという選民思想や戒律だけを重視する律法学者を嫌った。そのため律法学者や選民にこだわるパリサイ人(ユダヤ教の一派)たちは反発し、イエスがメシアであることを否定した。どうにかしてイエスを陥れようと計った。

そこで、イエスを困らせようと難題を持ち掛けることにする。先ず、人々の前に姦通を犯した女を連れてきて、「石打ちの刑」を求めた。するとイエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい。」すると一人一人立ち去って誰も石を投げる者はいなかった。イエスは女に「もうしないように」と言って帰した。今度は「皇帝に税金を納めることは、律法にかなっていることでしょうか。」と尋ねた。するとイエスはローマ皇帝の肖像が刻印されている銀貨を見せて、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」と教えた。その説明はよどみなく、誰にでも解る話し方だった。イエスのもとには弟子たちが次々と集まり、大きな集団になっていった。

~~さわやか易の見方~~

「沢地萃」の卦。萃(すい)は人が集まるという意味がある。字の成り立ちは草が群生している様を表したものである。地の上に沢があり、砂漠にオアシスのように人が集まって来るのである。人は水を求めて集まる。事業を始める者は人が集まらねば始まらない。優れた指導者のもとに人が集まることから、国は興り、発展する。

いよいよイエス・キリストの出番である。イエスをメシア(預言者)として認識するか、そうではないのか。2000年経った現在も人類は結論を出せずにいる。ましてユダヤ人にとってイエスは何だったのだろうか。イエスはユダヤ人である。イエスをメシアとして待ち望み、歓迎したのもユダヤ人である。同時にメシアではないと否定したのもユダヤ人である。アブラハムの子孫として、神の民として、大国からの圧政、離散の体験にも屈することなく、厳しい戒律を守ってきたユダヤ人。ユダヤ人にとっては厳しい戒律こそ生きる支えであった。イエスはその戒律よりもっと大切なものがあるという。「神を愛せ、人を愛せ」というイエス。今まで守ってきたのは、いったい何なのだ。ユダヤ人にとって、新たな、今まで以上の大問題に直面したのが、イエスの登場である。

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