「山天大畜」は大いに蓄えるだった。蓄えることが出来れば、大いに養うことが出来る。
「物蓄へられて然る後に養ふ可し、故に之を受くるに頤(い)を以てす。頤とは養ふなり。」
養うということは肉体を養うから、精神を養う、人を養う、国家を養う、天下を養うまである。頤(い)とはおとがいという字であり、物を食べて肉体を養うことであるが、易の頤は肉体も、心も、家族も、部下も、国民も、養うことは全て含まれている。卦の形は、口を開けた形に似ていることから名づけられている。
1970年代から80年代にかけては、「ジャパニーズ・NO1」と呼ばれる程、日本は経済大国の真っ只中にあった。戦後、貧しい時代から出直した日本が、押しも押されもしない豊かな国になったのである。「山天大畜」から「山雷頤」への配列はこの時代の日本とも言える。しかし、そんな時代がいつまでも続くとは限らない。
「養はざれば則ち動く可からず、故に之を受くるに大過を以てす。」
ついに大いに過ぎる時代がやって来た。肉体に栄養は必要である。しかし、食べ過ぎては問題である。お酒もほどほどが一番良い。同様にどんな楽しみも運動も度を超すほどに過ぎれば障害が起きるだろう。経済にしても、その人に相応しい、豊かさがある。実力以上に金持ちになれば、外から顰蹙を買う。自分を失うことにもなってしまう。
日本という国もそうだったのではないだろうか。それがバブル経済だったのではないか。日本だけが豊かさを独り占めしていたら、外国から様々な圧力をかけられるのは当然である。又、何かに過ぎるということは、気が付かないところで、何かが不足することにもなるだろう。バランスが欠けることでもある。
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