レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロが活躍したイタリア・ルネサンスの時代に世界ではもう二つの重大な動きが始まっていた。一つは宗教改革であり、ヨーロッパ中に革命の嵐となった。もう一つが大航海時代の到来であり、約200年間に渡る征服と侵略の嵐となって世界中を巻き込む激動の時代となる。ここから近代が始まるのである。
大航海時代の先鞭をつけたのはアフリカに進出したポルトガルである。その動機はイスラム勢力が地中海を支配するようになり、新たな航路を見出す必要が生じたことにあった。羅針盤が実用化され造船技術が発達したことも冒険家たちに火をつけた。エンリケ航海王子の指揮のもとアフリカへの探検が始まる。遭難や難破などで始めは乗務員の生還率は2割以下と危険なものだったが、やがて新航路が開拓され新領土を獲得し莫大な利益を得、一夜にして王侯貴族に匹敵する富と名誉を掴むものが出た。
そうなると若い船乗りたちの夢は膨らみ、ポルトガル、スペインを中心に航海ブームが吹き荒れる。イタリア・ジュノバ出身のクリストファー・コロンブスもその一人である。ポルトガルの船乗りたちはアフリカ西海岸を南下したが、コロンブスは当時の天文学者・トスカネリの地球球体説を信じて大西洋の西回りを計画した。綿密な計画書を作成しスポンサーを探すことにした。
イザベル女王(1474~1504)
8年間の苦労が実って、興味をもってくれたスペインのイザベル女王からの資金調達に成功する。発見した土地の永久提督権と利益の10%を取り分とする条件も承認された。早速命知らずの荒くれ男たちを90人集め、1492年8月3日、ニーニャ号、ピンタ号、サンタ・マリア号の3隻で西に向って出発した。ところが計算に反して長い航海を続けるものの一向に陸地は見えない。やがて乗組員の中から不安にかられ暴動が起きる。コロンブスは「後3日で必ず陸地が見える。」と説得、航海を続けると、本当に3日目に陸地が発見された。10月11日のことである。翌朝、島に上陸し「サン・サルバドル島」と名付けられた。
コロンブスの新大陸の発見は感激的なドラマである。しかし、ここからヨーロッパの各国が競って征服、侵略、略奪の歴史が始まるとなると、喜んでばかりはいられない。コロンブス一行は原住民から略奪した金銀、宝石などを戦利品としてスペインに持ち帰ったので一躍英雄となり、富豪になった。当然、原住民は防衛のため抵抗する。そこで2回目の渡航では兵士、農民、坑夫、軍用馬、軍用犬を組織、植民目的で17隻、1500人の部隊で出発した。
この時から完全に目的は金銀の略奪となり、行く先々での島で住民に対して金銀を出すよう強要する。金銀を差し出した住民にはスペイン人に敬意を表した証しとして標章を首にかけ、金銀の量が足りない者は男も女も手首を切り落とした。抵抗するものは容赦なく殺戮し、島ごと殺人、放火をし、虐殺弾圧は目に余るものであった。
ラス・カサス(1484~1566)
航海に同行したカトリック教・宣教師のバルトロメ・デ・ラス・カサスの日誌によると、「一人でもインディアンが森にいたら、すぐに一隊を編成し、それを追いました。柵囲いのなかの羊のように、情け容赦なく彼らを虐殺しました。」「残虐であるということは、スペイン人にとって当たり前の規則であって、それは単に残虐だけなのです。」「しかしそのように途方もなく残虐な取扱いは、インディアンに対しては、自分たちを人間だとか、その一部だなどと金輪際思わないよう、それを防ぐ方法になるでしょう。」などの記述がある。
宣教師の日誌とは思えないような記述に驚くしかない。それ程に白人以外の人種は人間には見えなかったのだろうか。しかしラス・カサスは帰国後、その余りに酷い行為を振り返り自責と悔恨から、インディアンの権利保護のロビー活動を続けた。一方、コロンブスは捕えたインディアンを大勢奴隷として本国に送ったが、イザベル女王はこれを送り返し、コロンブスの統治に対する調査委員を派遣した。その後、コロンブスは全ての地位を剥奪される。航海は4度行ったが、最後は自ら持ち帰った梅毒により死去。その葬儀に集まる者はなかったという。
~~さわやか易の見方~~
******** 上卦は天
******** 陽、剛、強
********
*** *** 下卦は地
*** *** 陰、柔、弱
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「天地否」の卦。天は上にあり、地は下にある。上下が交わらず、意志の疎通がない状態を表す。上にある者が下の者と和合することが理想であるが、これでは和合などありえない。君子の道とは言えない。白人が上、有色人が下の弱肉強食が当たり前という状態は正に「天地否」である。
イザベル女王がコロンブスの計画に賛同し、新大陸が発見された。その後のスペインは世界をリードする繁栄を築いた。しかし征服され続けた民族にとってはただ屈辱と忍従の時代でしかない。戦争を繰り返してきた西洋の考えは「弱肉強食」で、それが常識であり文化なのかも知れない。キリスト教は隣人愛を主眼にするものではないのか。いったい隣人愛は何処にいったのだろうか。
明治を迎えた頃、西洋史を知った西郷隆盛が「西洋は野蛮じゃのう。」と言った。西洋通のある人が「いいえ、西洋こそ文明国です。」と言い返すと、西郷は「文明国というのは未開の国に対して、慈愛の心で開明に教え導くものじゃ。それをしないで、暴力で征服し、略奪するものを野蛮と言わないで何というのだ。」これこそ文明国の常識であり文化ではないだろうか。