アウグストゥス(BC63~AD14)
カエサルは終身独裁官兼最高司令官に就き、貧民救済、属州政治の改革に当たっていたが、元老院はカエサルの独裁政権を危惧していた。元老院は用意周到の暗殺計画のもと、BC44年決行した。「ブルートゥス、お前もか」で有名になった実行犯の一人ブルートゥスはカエサルが可愛がっていた愛人セルウィリアの息子だったのでカエサルの子であるとも言われる。カエサルの後継者を巡って再び混乱が始まる中、重臣であったアントニウスとレビドゥスが名乗り出た。しかし、カエサルが指名した後継者は姪の子である18歳のオクタウィアヌス(後のアウグストゥス)だった。
当時のローマを仕切っていた元老院がカエサルを排除したのでオクタウィアヌスの立場は微妙であり、難しい舵取りが必要だった。オクタウィアヌスはカエサルの元軍人に借金をしてまで給料を払うなどして信頼を勝ち取った。アントニウス、レビドゥスとともに三頭政治を再開すると元老院はカエサルを神格化し、神君ユリウスと称するようになる。オクタウィアヌスたちはカエサル暗殺犯、元老院派の逮捕、処分に取り掛かった。ギリシャに逃れていたブルートゥスらを「フィリップの戦い」で破る。戦後処理としてアントニウスはエジプトを含む東方を、レビドゥスはアフリカを、オクタウィアヌスはイタリアから西方と決める。しかしアントニウスとオクタウィアヌスはしばしば対立したので、同盟の証として妻を亡くしたアントニウスが夫を亡くしたオクタウィアヌスの姉オクタウィアと再婚することにした。二人には二人の女子が生まれる。
アントニウス(BC83~BC30)
しかし、その後エジプトに赴任したアントニウスはクレオパトラに魅了される。関係は深まり、双子を含む2男1女が出来る。次第にアントニウスはローマとオクタウィアをとるか、エジプトとクレオパトラをとるかの二者択一に迫られる。同盟を結ぶときアントニウスは軍艦120隻を、オクタウィアヌスは兵2万を互いに差し出すと約束した。アントニウスは実行したがオクタウィアヌスはポンペイウスの息子セクストゥスが反乱を起こしたため兵2千しか送れなかった。そのせいでアントニウスの念願だったパルティア遠征に失敗、アントニウスは妻オクタウィアへ離縁状を送る。レビドゥスがシチリアをめぐる争いで失脚すると、西のオクタウィアヌス対東のアントニウスの対立は深まった。起死回生にアントニウスはアルメニア王国を手に入れ、凱旋式をローマではなくアレクサンドリアで盛大に行う。クレオパトラを女王、カエサルの子カエサリオンこそ正式のローマの後継者であると宣言した。
オクタウィアヌスはアントニウスの行動をクレオパトラに魂を奪われ、ローマを裏切る行為と非難、エジプトのプトレマイオス朝に対して宣戦布告する。BC31年9月、ギリシャ沖の「アクティウムの戦い」にて両雄は雌雄を決すことになる。アントニウスとクレオパトラ軍は大型軍艦230隻を有し、軍事的にも海戦実績でも圧倒的に有利だった。元々武将ではないオクタウィアヌスに替わり将軍アグリッパは400隻の機動力のある小型軍艦で立ち向かった。海戦はアグリッパ軍が苦戦していたが、徐々に挽回する。すると突然クレオパトラ軍が逃げ、続いてアントニウスも後を追い総崩れになった。アレクサンドリアに引き上げた二人に付き従う軍はなく、アントニウスが自害すると、10日後にクレオパトラも自害した。
アクティウムの海戦
アクティウムの海戦で勝利し、100年近い内戦を終結させたのはオクタウィアヌスが32歳の時だった。元老院はオクタウィアヌスをプリンケプス(元首、皇帝)とする。36歳の時、オクタウィアヌスは執政官職以外の全特権を全て返上し、共和制の復帰を宣言する。元老院は大いに喜び、オクタウィアヌスに尊厳者を意味する「アウグストゥス」の称号を贈った。それより、自らをインペラトル・カエサル・アウグストゥスと名乗る。アウグストゥスは生来頑健ではなかったが76歳で没するまで内政に尽力した。特に性の乱れは国の乱れであると、「ユリウス姦通罪」、「婚外交渉罪」、「ユリウス正式婚姻法」などを制定、国家100年の計を立てた。64歳の時、元老院よりさらに「国家の父」の称号が贈られた。現在のカレンダーの8月(August)はアウグストゥスに因んでいる。
クレオパトラは生前にアントニウスと同じ墓に入れるよう遺言していたので、オクタウィアヌスはその通りにした。気になるクレオパトラの遺児たちだが、17歳になったカエサルの子カエサリオン(プトレマイオス15世)は殺されプトレマイオス朝は亡んだ。アントニウスの子は男子二人(アレクサンデル・ヘリオス、プトレマイオス・フィラデルフォス)はクレオパトラの死後数年後に病死した。女子クレオパトラ・セレネはローマでオクタウィアに養育され、従属国マウレタニア(北アフリカ)の国王ユバ2世と結婚した。アントニウスとオクタウィアの二人の女子はオクタウィアに育てられ、その孫たちは皇帝の一族になっている。
~~さわやか易の見方~~
「地水師」の卦。師とは集団、軍隊のことである。2千5百人の軍隊を師団という。軍隊には将(リーダー)が必要であり、将の良し悪しはそのまま運命を決する。指導者の道はあくまでも正義によらねばならない。民は正しい目的のためにこそ苦しみに耐えてついてくる。
100年の内乱の末、ローマは統一された。正に「ローマは一日にして成らず」である。一人の皇帝を中心にローマ帝国が出来上がるまでに、どれ程の人たちが犠牲になり、むなしく散っていったことだろうか。ローマ人はカルタゴを脅威と感じて抹殺した。そしてユダヤ人たちの国もやがて消滅させられる。一時的には属州としてユダヤ人の自治を許していたが、消滅させる理由は何なのだろうか。ユダヤ人たちがローマの支配をどうしてもがまん出来なかった理由は何なのだろうか。そして、ユダヤ人の宗教を弾圧し、迫害したにもかかわらず、ローマの国教とまでにしたのは何故だろうか。その後の2000年の歴史はこのローマに全てのルーツがあるような気がする。
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