「真珠の耳飾りの少女」1665年作
レンブラントとともに17世紀のオランダ・バロック美術の巨匠と言われるのがフェルメール(1632~1675)である。年齢差は26才、一世代後といったところだが、繁栄を謳歌していた時代から衰退に向かった時代に生きたのがフェルメールである。
スペインを出し抜いて一躍経済発展を遂げたオランダであるが、協力関係にあったイギリスが次第にその地位を脅かし始める。オランダ経由の貿易より直接取引の貿易を望んだイギリスは1652年第1次、1665年第2次、1672年第3次の英蘭戦争を起こした。東インド会社も西インド会社もイギリス優位のものとなり、北米のニュー・アムステルダムはニューヨークと改称された。経済大国はオランダからイギリスにその地位を譲ることになる。
フェルメールはオランダの古都・デルフトで酒屋と宿屋を営む親のもとに生まれている。(デルフトは東インド会社を通して日本から輸入された伊万里焼の影響でデルフト焼として知られる陶器が発達した都市でもある。) フェルメールが画家となるために誰の弟子になり、どんな修行を積んだかはよく解っていない。 21歳でカトリックの女性カタリーナと結婚しているが、彼がプロテスタントのため裕福な義母には反対された。結婚の翌年、デフルトで起った大規模な弾薬庫の爆発事故にでもあったのだろうか、子供が生まれ一家を養うには大変だったのか、しばらくして妻の母マリアと暮らし始めている。
「聖ルカ組合の理事たち」1675年作
父の死後は家業を継いで居酒屋、宿屋を営みながら年間2、3作の画を描いていった。幸い裕福な義母のお蔭で滅多に手に入らない高価な原料も使うことができ、ビーテル・デ・ホーホという良き友人でありライバルにも恵まれた。地味ではあるが洗練された画風は画家の組合である聖ルカ組合でも高い評価を受けるようになる。何度も組合の理事に推薦されており、人柄としても愛されていた。
「窓辺で手紙を読む女」
25歳のとき生涯最大にして唯一人のパトロンともなるデルフトの醸造業者で投資家のファン・ライフェンに認められ生活の支援を受ける。フェルメールの作品は生涯に40作と言われるほど寡作だったが、その内の20点もファン・ライフェンが購入している。フェルメールが描く画は「~~する女」というようなありふれた日常のひとこまが多い。教会の宗教画や上流階級の肖像画だけではなく、絵画がオランダの市民の間に文化として広まっていたことを伺わせる。
「牛乳を注ぐ女」1658年作
フェルメール夫妻には15人の子供が授かり、11人が元気に育っている。さぞやにぎやかな家庭風景だったことだろう。ところが40歳を迎えた頃、イギリスとの間に第3次英蘭戦争が始まる。一気に不景気風が吹き渡り作品は一点も売れなくなった。義母も裕福ではなくなり、頼りのパトロンであるファン・ライフェンも亡くなった。画家たちは次々廃業を余儀なくされ、その数は4分の1にもなる。フェルメールは莫大な負債を抱え、必死に駆け回ったが、とうとう首が回らなくなり43歳で死亡した。その後、破産宣告を受けた妻と義母は子供たちの為、全ての資産を投げ出して立ち直るべく懸命に努力したが疲れ果て相次いで死亡した。
~~さわやか易の見方~~
******** 上卦は山
*** *** 動かない、君臨する
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*** *** 下卦は地
*** *** 陰、影、柔
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「山地剥」の卦。剥は剥製の剥。剥ぎ落ちる。高くそびえる山もいつの間にか浸食が進み山崩れが起きようとしている象である。天下に君臨する存在もしのびよる危機により、いつの間にかその地位を奪われてしまうようなものである。いつまでも盛運は続かないということだ。フェルメールの家族にとっては気の毒ではあるが、オランダという国家が衰退に向かってしまった。犠牲になるのはいつも庶民である。
一時は世界の頂点に立ったオランダであるが、頂点を目指す国は次々とその地位を狙っていた。これからイギリスそしてフランスがしのぎを削る時代となっていく。元々オランダは領土も広くなく、人口も少ない。軍隊もそれほど強力ではない。一時でも世界の頂点に立ったことだけでも天晴なことである。日露戦争に勝って世界に躍り出た日本とどこか共通してはいないだろうか。お互いにナンバー1よりオンリー1を目指せば良いのではないか。
フェルメールは死後、作品が寡作だったこと、個人の所有であったことからほとんど忘れられた画家になっていた。脚光を浴びたのは19世紀のフランスにおいてであった。民衆の日常生活をモチーフにしたクールベやミレーが登場するとフェルメールの評価は高まる。また、フェルメールの作品は贋作事件でも有名である。中でもナチス・ドイツを相手に莫大な金額が動いたメーヘレンによる贋作事件は大スキャンダルとなった。被告人のメーヘレンが法廷内で衆人環視の中で贋作を描いて見せたという美術史上、稀なる事件も起きている。