昨日、起こってしまった悲しい天災事故↓
<落雷>重体の高2野球部員が死亡 愛知・扶桑
6日午後1時15分ごろ、愛知県扶桑町斎藤の私立誠信高校で「雷がグラウンドに落ち、1人がけがをした」と110番があった。グラウンドでは当時、野球部の練習試合が行われており、マウンド上にいた同校2年、安藤翔輝さん(17)が病院に運ばれ意識不明の重体だったが、7日午前0時半過ぎ、多臓器不全のため亡くなった。当時、県内には雷注意報が出ていた。同県では6日午後から大気の状態が不安定になり、各地で落雷があったほか、名古屋市守山区などではゲリラ豪雨があり、道路が冠水するなどした。
県警犬山署などによると、練習試合は同日午後0時40分に始まり、雨のため午後1時ごろにいったん中断。約10分後に青空が広がったため再開したが、直後に雷が落ち、投手だった安藤さんが倒れたという。グラウンドには野球部員ら約70人がいたが、ほかにけが人はいなかった。
倒れた安藤さんに対し、学校関係者らが備え付けの自動体外式除細動器(AED)などを使って蘇生を試みたという。
同高によると、グラウンドを囲むネットの柱には、12本の避雷針が設置してあった。野球部の加藤方郁部長(51)は「試合を再開した時は、遠くで雷鳴が聞こえたが、青空だったので、まさか雷が落ちるとは思わなかった」と話した。同高では発令中の雷注意報を把握していなかったという。
(紙面より)
昨日起きてしまったとても悲しい天災事故。
先ずは、惜しくも亡くなってしまったこの高校生に対し、お悔やみ申し上げたいと思います。
防げなかったのかと言えば、それはそれはかなり難しかったのだと思います。
両校の話し合いの下、試合再開を決めた直後に起きた悲惨な落雷。
私も過去に同じような経験をした事があり、今でもトラウマになっています。
雷の音・光・・・
今でも怖くて仕方がありません。
それは20数年前の8月某日でした。
草野球の練習を河川敷のグラウンドでする予定が組まれていました。
その日は、雨が降っておらず、雷鳴が時折鳴っているくらいで、野球の練習を中止にするほどの事でも無い天候。
実際に、私達が練習する前のグラウンドでは、少年野球のチームが練習をしていました。
河川敷には、電鉄の鉄橋が近くにあり、避雷針も立っていました。
それは突然の事でした。
練習時間に合わせて、土手の手前で集合する為に自転車で移動している時でした。
友人3人と土手の方向に向かい、目の前をビビビッと光が前方を斜めに横切って行くのが見えました。
一瞬の出来事でしたが、これはヤバいととっさに身を屈めた直後に、ドッカ~ンと爆音が聞こえ、雷が落ちたのです。
落ちた場所は、私達がいた所から直線でたったの20mくらいの距離の所で、少年野球の練習をしていたグラウンドでした・・・
土手のこっち側とあっち側、ただそれだけの違いです。
その落ちた雷はグラウンドを伝い、少年のスパイクの金物から体を伝って野球帽子のポッチの金具に抜けたそうです。
落ちた直後は、何が起きたのか理解が出来ず、土手の向こうから子供が「救急車!!救急車!!」と叫びながら土手を上がって来た事しか覚えていません。
これは只事では無い事が起きたと思いましたが、その光景を知らされた怖さからみんなで近くの友人宅に避難をしました。
その後に救急車が土手に向かって走って行くのが見えましたが、その少年がその後どうなったのかその日は分かりませんでした。
それから時間が少し経ち、雷鳴が無くなった事もあり、普通に野球の練習をしに土手に向かいました。
そうすると、警察の鑑識や事情聴取されている監督・コーチの関係者や、練習に付き添って見ていた父兄さんたちが多数、また同じチームの少年たちが立ち竦んでいました。
どうやら、監督が金属バットを持ってノックし、守備練習をしていた最中に起きた事故だったそうです。
近くには避雷針もあり、大人が金属バット片手に持っていたのにもかかわらず、雷は子供の方に向き、少年を襲いました。
私達が練習を開始した時には雷も鳴らず、上空には報道ヘリコプターがこれでもかというくらいの数で旋回していました。
翌日、朝のワイドショー番組各局でこの事故の事が取り上げられており、この事故の詳細を知ったほどです。
雷に打たれた少年は、意識不明の脳死状態というのがこの時の報道でした。
この事故から数日間、ワイドショーでも取り上げられるくらい話題に上っていたのを覚えています。
それから数日後、この少年は残念ながらお亡くなりになりました・・・
昨日、この事故を報道で知り、また当時と同じような事が繰り返されたと思いました。
しかし、実際に判断が難しいという事は、知って貰いたいのです。
私達だって、実際にその後野球の練習をやりました。
それが仮に間違った判断だったと言われても仕方がありません。
ですが、これは当事者でなければ分からない事でもあります。
実際に、亡くなった子の親御さんと、監督などのチーム責任者の間で裁判になったと記憶しています。
しかし、亡くなった子のお母さんがその場に居合わせた筈で、この後町内では噂で持ちきりになりました。
私には、実体験としてこういった事があったという事しかいう事は出来ません。
1つ間違えば、私たちの方に落ちたかもしれないのです。
ですから、私は今でも「運」があったのだと思います。
こういった言葉で片付けるのは、不謹慎かもしれませんけども・・・
これが私の人生で初めて自然の恐怖を実際に体験した事実です。
この亡くなった高校ではどのように事が運ばれたのか、詳しくは分かりませんがその場にいたみんなが悲しんでいる事は事実です。
誰が悪いとかそういう事で争う事は、出来れば避けて欲しいなとそう思わずにはいられません。
20数年経った今でも、この時期には必ずこの事を思い出しますし、雷が鳴れば家の中に居たって恐怖に怯えます。
今回亡くなった高校生と、20数年前に亡くなった少年に対して、今一度ご冥福を祈りたいと思います。
合掌・・・
<落雷>重体の高2野球部員が死亡 愛知・扶桑
6日午後1時15分ごろ、愛知県扶桑町斎藤の私立誠信高校で「雷がグラウンドに落ち、1人がけがをした」と110番があった。グラウンドでは当時、野球部の練習試合が行われており、マウンド上にいた同校2年、安藤翔輝さん(17)が病院に運ばれ意識不明の重体だったが、7日午前0時半過ぎ、多臓器不全のため亡くなった。当時、県内には雷注意報が出ていた。同県では6日午後から大気の状態が不安定になり、各地で落雷があったほか、名古屋市守山区などではゲリラ豪雨があり、道路が冠水するなどした。
県警犬山署などによると、練習試合は同日午後0時40分に始まり、雨のため午後1時ごろにいったん中断。約10分後に青空が広がったため再開したが、直後に雷が落ち、投手だった安藤さんが倒れたという。グラウンドには野球部員ら約70人がいたが、ほかにけが人はいなかった。
倒れた安藤さんに対し、学校関係者らが備え付けの自動体外式除細動器(AED)などを使って蘇生を試みたという。
同高によると、グラウンドを囲むネットの柱には、12本の避雷針が設置してあった。野球部の加藤方郁部長(51)は「試合を再開した時は、遠くで雷鳴が聞こえたが、青空だったので、まさか雷が落ちるとは思わなかった」と話した。同高では発令中の雷注意報を把握していなかったという。
(紙面より)
昨日起きてしまったとても悲しい天災事故。
先ずは、惜しくも亡くなってしまったこの高校生に対し、お悔やみ申し上げたいと思います。
防げなかったのかと言えば、それはそれはかなり難しかったのだと思います。
両校の話し合いの下、試合再開を決めた直後に起きた悲惨な落雷。
私も過去に同じような経験をした事があり、今でもトラウマになっています。
雷の音・光・・・
今でも怖くて仕方がありません。
それは20数年前の8月某日でした。
草野球の練習を河川敷のグラウンドでする予定が組まれていました。
その日は、雨が降っておらず、雷鳴が時折鳴っているくらいで、野球の練習を中止にするほどの事でも無い天候。
実際に、私達が練習する前のグラウンドでは、少年野球のチームが練習をしていました。
河川敷には、電鉄の鉄橋が近くにあり、避雷針も立っていました。
それは突然の事でした。
練習時間に合わせて、土手の手前で集合する為に自転車で移動している時でした。
友人3人と土手の方向に向かい、目の前をビビビッと光が前方を斜めに横切って行くのが見えました。
一瞬の出来事でしたが、これはヤバいととっさに身を屈めた直後に、ドッカ~ンと爆音が聞こえ、雷が落ちたのです。
落ちた場所は、私達がいた所から直線でたったの20mくらいの距離の所で、少年野球の練習をしていたグラウンドでした・・・
土手のこっち側とあっち側、ただそれだけの違いです。
その落ちた雷はグラウンドを伝い、少年のスパイクの金物から体を伝って野球帽子のポッチの金具に抜けたそうです。
落ちた直後は、何が起きたのか理解が出来ず、土手の向こうから子供が「救急車!!救急車!!」と叫びながら土手を上がって来た事しか覚えていません。
これは只事では無い事が起きたと思いましたが、その光景を知らされた怖さからみんなで近くの友人宅に避難をしました。
その後に救急車が土手に向かって走って行くのが見えましたが、その少年がその後どうなったのかその日は分かりませんでした。
それから時間が少し経ち、雷鳴が無くなった事もあり、普通に野球の練習をしに土手に向かいました。
そうすると、警察の鑑識や事情聴取されている監督・コーチの関係者や、練習に付き添って見ていた父兄さんたちが多数、また同じチームの少年たちが立ち竦んでいました。
どうやら、監督が金属バットを持ってノックし、守備練習をしていた最中に起きた事故だったそうです。
近くには避雷針もあり、大人が金属バット片手に持っていたのにもかかわらず、雷は子供の方に向き、少年を襲いました。
私達が練習を開始した時には雷も鳴らず、上空には報道ヘリコプターがこれでもかというくらいの数で旋回していました。
翌日、朝のワイドショー番組各局でこの事故の事が取り上げられており、この事故の詳細を知ったほどです。
雷に打たれた少年は、意識不明の脳死状態というのがこの時の報道でした。
この事故から数日間、ワイドショーでも取り上げられるくらい話題に上っていたのを覚えています。
それから数日後、この少年は残念ながらお亡くなりになりました・・・
昨日、この事故を報道で知り、また当時と同じような事が繰り返されたと思いました。
しかし、実際に判断が難しいという事は、知って貰いたいのです。
私達だって、実際にその後野球の練習をやりました。
それが仮に間違った判断だったと言われても仕方がありません。
ですが、これは当事者でなければ分からない事でもあります。
実際に、亡くなった子の親御さんと、監督などのチーム責任者の間で裁判になったと記憶しています。
しかし、亡くなった子のお母さんがその場に居合わせた筈で、この後町内では噂で持ちきりになりました。
私には、実体験としてこういった事があったという事しかいう事は出来ません。
1つ間違えば、私たちの方に落ちたかもしれないのです。
ですから、私は今でも「運」があったのだと思います。
こういった言葉で片付けるのは、不謹慎かもしれませんけども・・・
これが私の人生で初めて自然の恐怖を実際に体験した事実です。
この亡くなった高校ではどのように事が運ばれたのか、詳しくは分かりませんがその場にいたみんなが悲しんでいる事は事実です。
誰が悪いとかそういう事で争う事は、出来れば避けて欲しいなとそう思わずにはいられません。
20数年経った今でも、この時期には必ずこの事を思い出しますし、雷が鳴れば家の中に居たって恐怖に怯えます。
今回亡くなった高校生と、20数年前に亡くなった少年に対して、今一度ご冥福を祈りたいと思います。
合掌・・・