12月17日、午後10時17分
「かめぱぱ」こと亀田實が旅立っていきました。
自宅で家族に見守られ、静かに静かに息が間遠になっていき、
すーっと眠るように逝きました。
笑顔を浮かべ寝ているような最期でした。
生前、本人、ならびに私ども家族にいただいたご厚情に心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
あと4カ月で、仕事も終え、悠々自適の生活に入ろうかという
65歳で脳梗塞の病魔に倒れ、
99%生存は無理と言われながら、
その後15年間、
半身不随の不自由な体で頑張ってくれました。
2年前に体調を崩し、入院生活にはいる前までは、
自宅を護り、家族とともに食事もし、
母との車いすでの散歩とともに、
自分の足で歩くためにとつらいリハビリを日々の日課にしていました。
6か月前に、容体が急変し、もう長くはないと主治医から宣言され、
せめて最期は自宅で家族とともにと在宅療養に切り替えました。
私たち家族のなれない看護で、本人は決して楽ではなかったと思いますが、
不平不満を漏らすことなく、
淡々と日々を私たちとともに過ごしてくれました。
出勤時には「きをつけて」
帰宅時には「おかえり」と・・・。
夕方にはいつも母と、元気になってカラオケに行くときのためにと
「川の流れのように」を一緒にうたっていました。
それでも、最後のころはかなりつらかったのでしょう。
みけんには、看護婦さんたちが「にっぱち」と呼んだしわが
しょっちゅう刻まれていました。
そのしわも、最後の息をはいたあとは消え、本当におだやかな顔になりました。
もう、十分。
がんばってくれなくてもいいよ。ありがとう。
それが、家族みんなの想いです。
そして、父を含め私たち家族を支えてくださったみなさん、
本当にありがとうございました。
そんなこんなで、ブログもとんとご無沙汰してしまいましたが、
これからは、もう少しまめに続けていきたいと思います。
また、時期的に、年賀の欠礼状をだしそびれてしまいました。
申し訳ありません。
新年のご挨拶は、失礼させていただきます。
松も取れ、落ち着きました頃に、きちんとご挨拶ができたらと思っています。
それでは、今後ともどうぞ、よろしくお願いします。
ぐんぐん寒さが増してきました。
風邪などひかず、がんばっていきましょう!
………。
ありがとうございます。覚悟はできていたと言っても、やはりさびしいです。
でも、本当に、おっしゃっていただいた通りと思っています。きっとこれからも、たきしーたさん始め、みなさんとワイワイ元気に走っている姿を見守ってくれるているはず。なので、今年もかっつりがんばりますよ~!!
いろいろと、また、わがまま、おねだり、よろしくお願いいたします!
ありがとうございます。
私たちが、本当に看護をしたのはたったの6ヶ月ですが、父は15年以上、不自由な体で頑張ってくれました。また、その父に常に寄り添った母。自分の両親ながら、頭が下がる思いです。
欠礼状を出しそびれてしまい、こちらこそ失礼しました。
でも、実は、年賀状をいただけるのが楽しみでもあったりします。不謹慎ですが。
さて、これからは、かめぱぱの眼がどこからか光っているはずなので、今まで以上に手を抜かず、元気に頑張ります。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
驚かせてごめんなさい。
半年前から覚悟は出来ていたのですが・・・。
でも、本文にも書いたように、本当に安らかな旅立ちでした。
わたしの従妹の子供がまだ小さいのですが、父の顔に変えられた白布をとっては、あっ!笑ったよ!といって、ちっとも怖がらないほどの穏やかな顔でした。
これからは、ようやく自由な体を取り戻し、風にでもなった、私たちと一緒にいてくれるんじゃないかと思います。だから、元気に、また頑張っていきます。
ありがとうございました。
そうそう!
先日とある宴会で、なんと!あの、ワインを掘り出した時の「べこまつり」でしたっけ?にいらっしゃって、記事を書いてくれた新聞記者さんに偶然お会いしました!
とつぜん、「早稲田の考古学出身だったら、大館遺跡って知ってますか?」と切りだされ、びっくりしました!
仲間たちにもすぐ連絡しました。また、みんなで、うかがいたいです!その時は、どうぞよろしく!
それよりなにより、風景・・・!日本の景観の変化のスピードに改めてびっくり!