ぼちぼち歩く旧山陽道

旧山陽道を歩いて制覇する記録です。

山陽道(西国)第18回目(周防久保~高水)

2012-11-18 | 日記

山陽道(西国)第18回目(周防久保~高水)

2012.11.18(日曜日) 晴れ

10時10分周防久保駅に到着。10時15分に出発。久保駅の信号を右に曲がって進んで行くと、国道2号線と出会うが、並行する山陽道は右なのに左に進み、国道の北側に渡ったので恵比寿社を見過ごしてしまった。郡境碑が近くにあるはずと思い探すと国道の南側にあり、間違いに気づいた。 

           

久保の山陽道        郡境碑

郡境碑には「西 周防之國 都濃郡 東 周防之國 熊毛郡」と刻まれている。今でいえば「下松市と周南市」の境と思われる。国道2号線沿いを東に進むと「垰」信号の三叉路にぶつかる。ここを右折すれば柳井方面の近道となる。信号を渡って行くと、右手に大河内駅が見えてきた。久保から大河内までが1.7Kmだから、その距離を35分で歩いた事になる。(すごく順調です)

           

山陽道と国道の合流点  岩徳線大河内駅   「字垰」を下る。山陽自動車の高架下

大河内駅を右手に眺めながら「字垰」を下ると、山陽自動車道の高架下を通る。その先、左側の民家の前に「御腰掛茶屋」と「駕籠建場」があったそうだが、今は何もない。たぶんこの「駕籠建場」の前から、岩徳線を越えて遠見の旧道を通るのが山陽道と思われるが、道が消失しているので国道をそのまま歩く。岩徳線のガード下をくぐると、セブンイレブンがあったので休憩。

             

駕籠建場と茶屋の跡地  岩徳線のガード下を通る  民家の前が遠見の旧道

11時10分再び国道を歩く。右手にミコーを見たのが11時36分。今日の昼食は勝間駅近くの「なかがわ」なので、(田舎なので食事をする処がめったにない)そのまま歩く。秀吉が朝鮮出兵のとき陣所を設けたという「御所尾原」に行くと、団地になっていて面影はない。12時になったので地元の人に「なかがわ」という店を聞くと「新清光台団地の中にあって、ミコーの裏です」との事で仕方なく引き返す。

           

団地の前にあるミコー    御所尾原団地(何にもない)

昼食後、勝間駅前の太閤秀吉が参拝したといわれる熊毛神社に寄る。参道の両側には沢山の灯篭があり立派な神社と思って石段を登り参拝したが、本殿付近は少し寂しかった。熊毛神社から少し行くと、空地に「岳陽小学校跡」と刻まれた石碑があり、その側に黄色に色づいた立派な銀杏の木があった。

         

熊毛神社参道の灯篭郡   熊毛神社        石碑と銀杏の木

本日の大迷走はここから始まる。国道を歩いていると「大江踏切」が見つからない。地元の中学生に聞いてようやく踏切を探し出したまでは良かったが、山陽道は踏切を渡ってすぐ左の道を行かなくてはいけないのに、まっすぐな大きな道を南下してしまった。間違えに気付いたのは、踏切から10分歩いた頃「周南カントリー倶楽部」の看板を見つけた時。そこから熊毛中学校を目指してひたすら北上して、やっと山陽道に合流。

         

中学生に道を聞く  山陽道は踏切を渡ってすぐ左  周南カントリー倶楽部

「寺嶋忠三郎吉田松陰決別の地」に着いたのが14時20分、大江踏切を渡った時が13時40分なので約40分迷走したことになる。(山陽道を歩いたら10~15分で着けた)この石碑は、松陰が江戸に送られるとき、弟子の寺嶋が松陰と無言で別れた場所。

         

あの橋で山陽道に合流  寺嶋松陰決別の地  呼坂はずれの立派な屋敷

石碑の先に「周南市指定文化財呼坂本陣跡」と書かれた案内板があった。「河内家は江戸時代、代々庄屋や大庄屋を勤め、天明年間(1781)七左衛門が本陣を引き受けた。」と書かれてある。本陣を東に歩いて行くと左手に橿原神社があった。橿原神社付近の地形が海老に似ていたので、えび坂と言っていたがいつの間にか「呼坂(よびさか)」になったらしい。

          

  呼坂本陣跡         橿原神社     海老のような道「呼坂」

帰りの電車が14時55分なので、気持ちが焦る。(電車に乗り遅れると1時間以上待つ事になるし、高水駅まで歩いてどの位かかるのかわからない。)地元の人に駅までの近道を教えてもらい14時40分高水駅に到着。14時55分の電車に乗る。今回は3回も道を間違えて大変お疲れ様でした。

     ← 高水駅前

今日のコースは6.6Km   (合計130.5Km) <間違った距離は除く>

  参加者   S夫婦とM夫婦の4人

 岩徳線 大河内駅と勝間駅はパス

 


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