12:20 午後からも続きます。
旧山陽道(西国街道)を歩きます。
◎ 樽ヶ崎神社
ご祭神 :神功皇后
昔はこの地を樽ヶ崎と言われる岬でした。
神功皇后は、第14代仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母である。
お腹に子供を妊娠してまで筑紫から玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた (三韓征伐)のさい朝鮮より連れてきた捕虜をここで開放した。
◎ 鷺森神社
ご祭神 :市杵島姫命 相殿神 :金毘羅神
弁天社と称していたが明治以降、古事を元に現社名となる。
山陽本線敷設により、社殿の向きが南向きから西向きに替えられた。
被爆建物 爆心地から4930m
● 道端の彼岸花に似た?花。
◎ 普門山慈光寺
日蓮宗 久遠実成本師釈迦牟尼佛
以前、妙見堂と最上堂あった名残か? お寺に鳥居が・・・
被爆建物 4930m
吾唯足るを知るの四文字をデザイン化。
◎ 小泉酒造
市内に残る、数少ない蔵元で、皇室との縁もある。
江戸時代の創建で、今も宮島の御神酒(御幸)を作っている。
置鳳輦止処の石碑
● 御幸橋 → 流れる御幸川は一級河川
◎ 草津まち交流広場
草津まちづくりの会により管理されている。
ひろしま街づくりデザイン賞、第9回活動部門。
夢街道ルネッサンス、草津かち歴史の散歩道
石臼、灯籠は大石宅の庭園から移設展示。
解体された古民家の舟板塀の移設もある。
● 山陽本線踏切
◎ 西氏功徳碑
西道朴は名医で慈善家せあった、その功績を称えた碑
◎ 幸福稲荷神社
ご祭神 :宇迦之御魂命
建得3年秋、村民が小詞を建立
その後、毛利氏の武将児玉氏草津の城主時代(1554~1600)
吉和屋(山中鹿之助二女娶りし草津の長者)の所有になったが、村の鎮守神として皆の
尊敬信仰を集めた。
● 宗高山西楽寺 → 浄土真宗
以前の交流ウオークのスタッフの藤井先生宅のお墓がある。
◎ 大釣井
付近に住む漁民、町民や西国街道の旅人の飲料用として掘られたが、防火用水の役目も
果たした。
● だて二階の家 → 窓はないが屋根裏がある造り
● 電車の車庫
◎ 風見鶏のある建物 → レンガ造りの家に。
● 大石餅跡
かっては広島の定番のお土産。今は跡形もない。
◎ 路傍のお地蔵さん
線路脇のお地蔵さん。
鉄道事故者の冥福のために建てられたと推測される。
14:00
新井口駅、ここで解散。
※ 今回は街道筋の散策でした、己斐、高須、古江、草津と歩きました。
己斐はシャター通りが続き、旧街道沿いの古民家が無くなり、2年前に歩いたコース
でしたが変化のあるのを感じた今日の散策でした。
好天気に恵まれた、8500歩、5.1kmの万歩計でした。
皆さんお疲れさまでした。
(解散後は数名とアルパークでお茶をして、乾いたのどを潤し、頂いた抹茶ラテは美味し
かったです)
END
追記
彼岸花に似た花は、ネット検索で「ネリネ」のようでした。
旧山陽道(西国街道)を歩きます。
◎ 樽ヶ崎神社
ご祭神 :神功皇后
昔はこの地を樽ヶ崎と言われる岬でした。
神功皇后は、第14代仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母である。
お腹に子供を妊娠してまで筑紫から玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた (三韓征伐)のさい朝鮮より連れてきた捕虜をここで開放した。
、
◎ 鷺森神社
ご祭神 :市杵島姫命 相殿神 :金毘羅神
弁天社と称していたが明治以降、古事を元に現社名となる。
山陽本線敷設により、社殿の向きが南向きから西向きに替えられた。
被爆建物 爆心地から4930m
● 道端の彼岸花に似た?花。
◎ 普門山慈光寺
日蓮宗 久遠実成本師釈迦牟尼佛
以前、妙見堂と最上堂あった名残か? お寺に鳥居が・・・
被爆建物 4930m
吾唯足るを知るの四文字をデザイン化。
◎ 小泉酒造
市内に残る、数少ない蔵元で、皇室との縁もある。
江戸時代の創建で、今も宮島の御神酒(御幸)を作っている。
置鳳輦止処の石碑
● 御幸橋 → 流れる御幸川は一級河川
◎ 草津まち交流広場
草津まちづくりの会により管理されている。
ひろしま街づくりデザイン賞、第9回活動部門。
夢街道ルネッサンス、草津かち歴史の散歩道
石臼、灯籠は大石宅の庭園から移設展示。
解体された古民家の舟板塀の移設もある。
● 山陽本線踏切
◎ 西氏功徳碑
西道朴は名医で慈善家せあった、その功績を称えた碑
◎ 幸福稲荷神社
ご祭神 :宇迦之御魂命
建得3年秋、村民が小詞を建立
その後、毛利氏の武将児玉氏草津の城主時代(1554~1600)
吉和屋(山中鹿之助二女娶りし草津の長者)の所有になったが、村の鎮守神として皆の
尊敬信仰を集めた。
● 宗高山西楽寺 → 浄土真宗
以前の交流ウオークのスタッフの藤井先生宅のお墓がある。
◎ 大釣井
付近に住む漁民、町民や西国街道の旅人の飲料用として掘られたが、防火用水の役目も
果たした。
● だて二階の家 → 窓はないが屋根裏がある造り
● 電車の車庫
◎ 風見鶏のある建物 → レンガ造りの家に。
● 大石餅跡
かっては広島の定番のお土産。今は跡形もない。
◎ 路傍のお地蔵さん
線路脇のお地蔵さん。
鉄道事故者の冥福のために建てられたと推測される。
14:00
新井口駅、ここで解散。
※ 今回は街道筋の散策でした、己斐、高須、古江、草津と歩きました。
己斐はシャター通りが続き、旧街道沿いの古民家が無くなり、2年前に歩いたコース
でしたが変化のあるのを感じた今日の散策でした。
好天気に恵まれた、8500歩、5.1kmの万歩計でした。
皆さんお疲れさまでした。
(解散後は数名とアルパークでお茶をして、乾いたのどを潤し、頂いた抹茶ラテは美味し
かったです)
END
追記
彼岸花に似た花は、ネット検索で「ネリネ」のようでした。
宮島街道なら宮島口から広島の宇品港へ向かうときに通った記憶があります。
「吾唯足知」と書かれたつくばいは京都のどこかのお寺で見たことがあるのですが思い出せません。
寄り道しながらのウォーキング楽しかったことでしょうね。お疲れ様でした。
今回のふれあいウオークは旧山陽道(西国街道)を巡りました。
宮島街道は現在は国道2号線ですので、多分通られたと思います。
西国街道は少し裏手になりますが、結構車も多いです。
道筋の見どころをスタッフが下見をしたりしながら案内をして下さいます。
100コースを目標にされていますが、今回のはNO、18でした。
ありがとうございました。
神功皇后のいだく夫仲哀天皇への殺意や、仲哀天皇死後の応神天皇の誕生は、現代ならば、週刊誌やテレビのワイドショー番組のネタになりそうな疑惑をよびおこす。
NET記事の転載です。
神功皇后はすごいですね!
夫の急死の跡を大きなお腹をして朝鮮征伐に出かけています。
その夫が神楽の「塵倫」の仲哀天皇です。
仲哀天皇が異国から攻めて来た塵倫を霊力を持った弓矢で退治するもの。
奥さんには弱かったのですね~。
草津の、この辺りは散策したことがあります。
寒さを感じるようになりましたね。
先刻、洗濯物を干したところですが、指が冷たくなりました。
病院はあと1か所残すのみ、年賀状の裏表印刷も終えました。
後は、内整理だけです。
今日は靴類をバンバン捨てようと思いおります。
年末ですね^。
気持ちばかり焦りますが・・・
年賀状も年々数が減ります。
私もプリンターが思うように動かず買いかえたりしました。
靴も先週、3足処分しましたよ!