歴史街道散策くらぶの流れで「大州学区ふれあい講座」にでかけて、大洲地区を散策しました。
12/15(木)大洲学区集会所 13:30 約30名参加
「広島城下東郊の西国街道逍遥!」
~広島城下から広島東宿への歴史浪漫~
広島の東部地区は広島城と上方を結ぶ重要な交通路としての西国街道が通じていました
このことが現在の大洲地区の発展に繫がってきました。
ということで、講師の「佐々木卓也」先生の講座を楽しく受けてきました。
15:30 終了後は、大洲集会所を大洲通りを広島駅まで歩きました。
講座終了後の散策は10名でしたが、外は小雨が降って、気温も6度位しかなくて異常に
寒かったです。
大洲通りは銀行が多数並んでいましたが、反面、戦後の住まいも残っていました。
空き屋状態でしたが、新らしい建物のなかでは懐かしいものを感じます。
マツダスタジアム迄きました。
数人の見物人もいます。
今年のリーグ優勝も今となったら夢のようです。
カープ坊やのマンホールの蓋がくっきりと。
マツダスタジアムの真ん前の「宮地嶽神社」です。
福岡県福津市に総本宮がある神社で、主祭神は神功皇后。
立派な鳥居の中に社殿は入口のように見える。
マツダスタジアムへ続く道には宮崎県からの植樹と思われる「フェニックス」の並木も真新しいです。
(カープが宮崎県でキャンプをする関係か?)
戦後の荒廃した中で「歌声喫茶 ムシカ」が賑わっていましたその名残か再建されています。
雰囲気があります。
噂によれば「レコードコンサート」が開かれているとか?
戦後は流川に有ったそうです。
小路に入ると昭和の香りのする下町風情です。
荒神橋は原爆橋梁の一つです。
初代は電車専用木橋、いまでも電車も走る現役です。
橋の親柱には「くわんじんばし」と「荒神橋」と西と東では違っています。
(聞くところによると、京へ向かう時はヒラカナしか読めなくても京へ上ってくると偉くなって漢字でも読めるようになってくると聞きました。)
的場町にある「原爆慰霊碑」です。
犠牲者がここで埋葬された証です。
「猿猴橋」 にやってきました。
原爆橋梁の一つですが、現在の橋は大正15年(1926)架橋。
当時広島一美しい橋と称賛された、ブロンズ製のワシが乗った親柱など華麗な装飾があった
今年見事に復元されました。
丁度夕暮れで照明も付いて幻想的な光景でした。
欄干の猿猴と「桃」?のデザイン。
西国街道と猿猴橋の説明板。
復元記念の「猿猴橋碑」。
広島駅までの約一時間の散策でした。
小雨が降って、日が暮れて寒い散策でしたが、復元された「猿猴橋」が見れて良かったです
広島駅からはバスで帰路に付きましたが、バスが出たばかりの20分待ちの時間が限界状態です。
バス停からの広島南口再開発Bブロックの中国地方最高のビッグカメラの入る高いビルです。
(何んというかはこのときは分かりません、今でも分かりません(笑))
12/15(木)大洲学区集会所 13:30 約30名参加
「広島城下東郊の西国街道逍遥!」
~広島城下から広島東宿への歴史浪漫~
広島の東部地区は広島城と上方を結ぶ重要な交通路としての西国街道が通じていました
このことが現在の大洲地区の発展に繫がってきました。
ということで、講師の「佐々木卓也」先生の講座を楽しく受けてきました。
15:30 終了後は、大洲集会所を大洲通りを広島駅まで歩きました。
講座終了後の散策は10名でしたが、外は小雨が降って、気温も6度位しかなくて異常に
寒かったです。
大洲通りは銀行が多数並んでいましたが、反面、戦後の住まいも残っていました。
空き屋状態でしたが、新らしい建物のなかでは懐かしいものを感じます。
マツダスタジアム迄きました。
数人の見物人もいます。
今年のリーグ優勝も今となったら夢のようです。
カープ坊やのマンホールの蓋がくっきりと。
マツダスタジアムの真ん前の「宮地嶽神社」です。
福岡県福津市に総本宮がある神社で、主祭神は神功皇后。
立派な鳥居の中に社殿は入口のように見える。
マツダスタジアムへ続く道には宮崎県からの植樹と思われる「フェニックス」の並木も真新しいです。
(カープが宮崎県でキャンプをする関係か?)
戦後の荒廃した中で「歌声喫茶 ムシカ」が賑わっていましたその名残か再建されています。
雰囲気があります。
噂によれば「レコードコンサート」が開かれているとか?
戦後は流川に有ったそうです。
小路に入ると昭和の香りのする下町風情です。
荒神橋は原爆橋梁の一つです。
初代は電車専用木橋、いまでも電車も走る現役です。
橋の親柱には「くわんじんばし」と「荒神橋」と西と東では違っています。
(聞くところによると、京へ向かう時はヒラカナしか読めなくても京へ上ってくると偉くなって漢字でも読めるようになってくると聞きました。)
的場町にある「原爆慰霊碑」です。
犠牲者がここで埋葬された証です。
「猿猴橋」 にやってきました。
原爆橋梁の一つですが、現在の橋は大正15年(1926)架橋。
当時広島一美しい橋と称賛された、ブロンズ製のワシが乗った親柱など華麗な装飾があった
今年見事に復元されました。
丁度夕暮れで照明も付いて幻想的な光景でした。
欄干の猿猴と「桃」?のデザイン。
西国街道と猿猴橋の説明板。
復元記念の「猿猴橋碑」。
広島駅までの約一時間の散策でした。
小雨が降って、日が暮れて寒い散策でしたが、復元された「猿猴橋」が見れて良かったです
広島駅からはバスで帰路に付きましたが、バスが出たばかりの20分待ちの時間が限界状態です。
バス停からの広島南口再開発Bブロックの中国地方最高のビッグカメラの入る高いビルです。
(何んというかはこのときは分かりません、今でも分かりません(笑))