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ひろしま歴史街道散策くらぶ6月例会に参加する~!  1

2015-06-18 22:10:43 | ひろしま歴史街道散策くらぶ
 ひろしま歴史街道散策くらぶ6月例会に参加!
 27-6/18(木) JR西広島駅 13:30 集合 14名参加
 
   散策会  「西国街道と城西地域

   案内人 :  佐々木卓也さん 指南役

   散策経路 
 ~ 己斐街並~己斐橋~福島橋跡~天満神社~堺町界隈~浄国寺~本川橋~旧中島界隈~広島本通り

  朝から雨でしたが、雨天決行で元気に己斐駅から出発です。
  西国街道を歩きます。
  
 


  己斐の町は西区の表玄関です。
  己斐の地名は福岡県(筑前国)の宗像郡許斐(コイ)村から神社を勧請した、神功皇后が長門にの熊襲征伐
  の折に当地の県主がコイを献上し鯉村になったとかいろいろ諸説があります。
  己斐の街並を歩きます。

 


  瀧の観音への道標(たきのかんのん)
   西広島駅と茶臼山山麓には、北方大塚村に至る里道があり、渓流に沿う谷間に昔から観音菩薩が祀られ
   名水の湧き水点に佇んで瀧の観音様と呼ばれていました。

 


  太田川放水路
 

  山手川が放水路建設で埋められて今はありません。

 


  放水路に架かる己斐橋を渡ると福島町です、その昔「堵殺場」があった。
  福島西国街道。

 

 


  唐人があり、今でも多くの人がいます。

 


 天満町へきました。
 「天満町 林の餅」は年末には必ずローカルニュースでテレビに出ます。

 


  天満町「平尾塗料百貨店」も古くからあるそうです。

 


  街角に「廃屋」を見ました。

 


  福島川跡地 → 福島橋があった。

 


 天満町で有名な「テツムラ漢方薬局」

 


  天満町の要・天満宮に到着です。

 


江戸時代初期に東の広瀬村の出柵地で新開組に属し、普請小屋が所在したため小屋新町と呼ばれて
 いましたが、その後西国街道に沿うた広島城下の西の宿場となる。
 火災が頻発し水害も被り当地の有力者により、広島城下東の尾長天満宮より分霊し、天明8年に当地に
 天満宮が勧請されました。

 由来版、被爆の前後の街並を描いた金属製の地図があります。

 


 


 天満宮前の旧山陽道です。

  


 


  この通りには昔から「質屋」が多く立ち並んでいました。
  奥は交番です。

 


  「元就」(アンガールズ出演)の番組が取材した「畳や」もあります。
   畳の端の「畳の縁」を利用した加工品の販売もしておりました。

 


 
 


  天満川へ出ました。

  続きます・・・