ひろしま歴史街道散策くらぶ(30-1月)に参加する~!
平成30-1/18(木) 13:30 JR古市橋駅集合 17名参加。
散策会 「出雲石見街道と旧沼田郡南郊」
散策経路
~古市橋跡~恵美須神社~安神社~勝想寺~安芸津彦神社~熊野神社~
投石(いぼ)地蔵~蓮光寺~
案内人 佐々木卓也 指南役
JR古市橋駅に集合し、古代出雲石見街道を散策しました。
古市橋駅は「旧安川」が埋め立てられて橋も川も今はありません。
古代「出雲石見街道」通称「武田通り」を歩きます。
「出雲街道=可部方面・長楽寺方面」の分かれ道です。
画像の「道標」は現在は、安神社に有ります。
街道筋の旧家の「鏝絵」の家です
「まちや」も沢山ありました。
◎ 安神社
ご祭神 : 須佐之男命
始めは現在の祇園中学校付近の松尾山にあり、出雲の国から須佐之男命の神を勧請し、
祇園社として祀られました。
正安元年(1299)の祭礼日に、厳島神社の平員家は銀山城を攻め、その時に社殿は
焼かれました、
当社の御旅所の現在地に御神体が移され、危うく難を逃れ、武田、毛利、福島
浅野の各氏により崇拝されました。
「狛犬」は200年の歴史がありひび割れていましたが、シンボルはありました。
「拝殿」で先生が「祝詞」を挙げて本年の会の発展を祈念しました。
「祇園坊柿」の発祥の地として2世の苗木が植樹されています。
「本殿」は「伊勢神宮」を移築されているそうです。(?)
神域を感じる隠れたパワーースポットです。
境内の古木「クスノキ」は歴史を感じます。
「ムクドリ」らしき野鳥も居ました。
「武田通り」を歩きます。
◎ 安芸津彦神社
ご才神 :安芸津彦神 安芸津姫神
元、青原にあり、当地の地名は「帆立」と言い、厳島神社の所有する北部山県郡内の
荘園の倉敷地として、その積出港として中世より栄えました。
武田氏の庇護の下で祭神は16で安芸の国内の主要神で、明治5年(1872)には
現在の社名となり、熊野、安の諸社と繫がります。
「下祇園駅」で少休憩です。
◎ 熊野神社
ご才神 ; 伊邪那岐の命・伊邪那美の命で
和歌山県の熊野速玉大社の御分霊を祀っています。
天文年間(1532~1555)で、16代銀山城主の武田光和の創建と思われる
「被爆建物」
「石燈籠」には「灰状穴」があります。
「旧毛利通り」を行きます。
(出雲石見街道の東の裏道です)
民家の「ロウバイ」が咲いています。
「大下家」福屋の社長宅。
◎ 勝想寺 → 浄土真宗本願寺派
永禄元年(1558)に僧無庵により開基され、元禄7年(1694)に勝想寺
となりました。
境内墓地には「八木用水」の生みの親の桑原卯之助の墓があります。
熊野神社に行く街道筋に、呉服商として栄えた桑原家の旧家があり、当時の賑わいを
連想させます。
「本堂」に上がらせて頂きました。
「桑原卯之助」の墓所。
◎ 恵美須神社
ご才神 :事代主命
安神社の摂社で通商の守護神となっています。
これより「福島通り」江戸時代の出雲石見街道、真っすぐに伸びています。
八木用水を開いた「桑原卯之助」の子孫宅。
街道の旧家、「鏝絵の家」→ 大正時代?
「被爆」?かと思える窓。
◎ いぼ地蔵
昔、武田光和が武田山から石を投げたら地蔵となったと言われる。
一説には神社の力石ともいわれています。
ここにある松の葉で人に出来たイボを突いたところ、それが取れ綺麗になり信仰が
生まれました。
◎ 栗原貞子邸 → 「うましめんかな」で有名な原爆詩人
◎ 蓮光寺 → 浄土真宗本願寺派
創建は、弘安6年(1283)で、初めは天台宗で、明応5年(1496)浄土真宗
に改宗され、慶長4年(1599)からは蓮光寺と称した。
元は寺町にあり寛永7年(1630)現在地に移設されました。
その際に記念に植えられた松が「蓮華松」で、県内でも有数の名木として知られる。
昭和29年(1954)にn広島県指定の天然記念物となりました。
「本堂」に上がらせて頂きお参りしました。
※ 蓮光寺にお参りし、最終解散場所の「安芸長束駅」に 到着しました。
お天気も良く、よく歩きました。
「武田通り」「毛利通り」「福島通り」と祇園の町をぐるぐる回った様に思えました。
歴史散策くらぶの「テーマ」である「歩けば歴史が見えてくる」 旧街道の散策でした。
午後、16;35 10500歩、6kmの今日のスマホの歩数計です。
足が疲れましたが、皆さんお疲れ様でした。
-END-
平成30-1/18(木) 13:30 JR古市橋駅集合 17名参加。
散策会 「出雲石見街道と旧沼田郡南郊」
散策経路
~古市橋跡~恵美須神社~安神社~勝想寺~安芸津彦神社~熊野神社~
投石(いぼ)地蔵~蓮光寺~
案内人 佐々木卓也 指南役
JR古市橋駅に集合し、古代出雲石見街道を散策しました。
古市橋駅は「旧安川」が埋め立てられて橋も川も今はありません。
古代「出雲石見街道」通称「武田通り」を歩きます。
「出雲街道=可部方面・長楽寺方面」の分かれ道です。
画像の「道標」は現在は、安神社に有ります。
街道筋の旧家の「鏝絵」の家です
「まちや」も沢山ありました。
◎ 安神社
ご祭神 : 須佐之男命
始めは現在の祇園中学校付近の松尾山にあり、出雲の国から須佐之男命の神を勧請し、
祇園社として祀られました。
正安元年(1299)の祭礼日に、厳島神社の平員家は銀山城を攻め、その時に社殿は
焼かれました、
当社の御旅所の現在地に御神体が移され、危うく難を逃れ、武田、毛利、福島
浅野の各氏により崇拝されました。
「狛犬」は200年の歴史がありひび割れていましたが、シンボルはありました。
「拝殿」で先生が「祝詞」を挙げて本年の会の発展を祈念しました。
「祇園坊柿」の発祥の地として2世の苗木が植樹されています。
「本殿」は「伊勢神宮」を移築されているそうです。(?)
神域を感じる隠れたパワーースポットです。
境内の古木「クスノキ」は歴史を感じます。
「ムクドリ」らしき野鳥も居ました。
「武田通り」を歩きます。
◎ 安芸津彦神社
ご才神 :安芸津彦神 安芸津姫神
元、青原にあり、当地の地名は「帆立」と言い、厳島神社の所有する北部山県郡内の
荘園の倉敷地として、その積出港として中世より栄えました。
武田氏の庇護の下で祭神は16で安芸の国内の主要神で、明治5年(1872)には
現在の社名となり、熊野、安の諸社と繫がります。
「下祇園駅」で少休憩です。
◎ 熊野神社
ご才神 ; 伊邪那岐の命・伊邪那美の命で
和歌山県の熊野速玉大社の御分霊を祀っています。
天文年間(1532~1555)で、16代銀山城主の武田光和の創建と思われる
「被爆建物」
「石燈籠」には「灰状穴」があります。
「旧毛利通り」を行きます。
(出雲石見街道の東の裏道です)
民家の「ロウバイ」が咲いています。
「大下家」福屋の社長宅。
◎ 勝想寺 → 浄土真宗本願寺派
永禄元年(1558)に僧無庵により開基され、元禄7年(1694)に勝想寺
となりました。
境内墓地には「八木用水」の生みの親の桑原卯之助の墓があります。
熊野神社に行く街道筋に、呉服商として栄えた桑原家の旧家があり、当時の賑わいを
連想させます。
「本堂」に上がらせて頂きました。
「桑原卯之助」の墓所。
◎ 恵美須神社
ご才神 :事代主命
安神社の摂社で通商の守護神となっています。
これより「福島通り」江戸時代の出雲石見街道、真っすぐに伸びています。
八木用水を開いた「桑原卯之助」の子孫宅。
街道の旧家、「鏝絵の家」→ 大正時代?
「被爆」?かと思える窓。
◎ いぼ地蔵
昔、武田光和が武田山から石を投げたら地蔵となったと言われる。
一説には神社の力石ともいわれています。
ここにある松の葉で人に出来たイボを突いたところ、それが取れ綺麗になり信仰が
生まれました。
◎ 栗原貞子邸 → 「うましめんかな」で有名な原爆詩人
◎ 蓮光寺 → 浄土真宗本願寺派
創建は、弘安6年(1283)で、初めは天台宗で、明応5年(1496)浄土真宗
に改宗され、慶長4年(1599)からは蓮光寺と称した。
元は寺町にあり寛永7年(1630)現在地に移設されました。
その際に記念に植えられた松が「蓮華松」で、県内でも有数の名木として知られる。
昭和29年(1954)にn広島県指定の天然記念物となりました。
「本堂」に上がらせて頂きお参りしました。
※ 蓮光寺にお参りし、最終解散場所の「安芸長束駅」に 到着しました。
お天気も良く、よく歩きました。
「武田通り」「毛利通り」「福島通り」と祇園の町をぐるぐる回った様に思えました。
歴史散策くらぶの「テーマ」である「歩けば歴史が見えてくる」 旧街道の散策でした。
午後、16;35 10500歩、6kmの今日のスマホの歩数計です。
足が疲れましたが、皆さんお疲れ様でした。
-END-
鏝絵が残っているということは相当古い歴史のある場所なんですね。
昨日、早々と確定申告を終えました。
昨日、南税務署であった竈神社の氏子と話をしていたのですが、
同神社は300年経ち老朽化が激しいので建て替える計画があり、
目下資金集めをしている最中だと申しておりました。
以上、ご参考までに。
歴史街道散策は古代の街道ですので、教えて貰わないと分かりませんね~。
旧家も祇園には良く残っていると思います。
鏝絵は大正時代のものだそうです。
確定申告はもう済みましたか。
まだ申告用紙が来ていませんが…
寄付をされたのでしょうか❓
因みに田舎の神社には亡き父親と叔父が狛犬を寄付しています。