かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

神河町長谷には、女王卑弥呼の陵墓に手を合わす場所がありました

2018-05-14 09:33:43 | かごめかごめの真実とは

2018年5月14日(月)

 聖地神河の長谷には、重要なことを伝え教えている犬塚がありましたが、なんと! 卑弥呼さんの陵墓に手を合わす場所も設けられていました。

お地蔵様なのか、観音様なのか、ここで仏様に手を合わすと、見事に遥か向こうの山を越えた場所にある卑弥呼さんに手を合わすようになっています。

あまりにも見事です!

ここ長谷には、恵比寿様に手を合わす見事な遥拝の場所も存在しています。

先人達は、ご先祖様達の言い伝えを守り、祀りごとをづっと絶やさずやってこられたのでしょうが、今は忘れ去られているようです。

もう一度、意味を知って手を合わすと、心の豊かさがきっと違うことでしょう。

こんもりした山の向こうに卑弥呼おばさんの陵墓は在ります。

 


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昨日の神河町の情景です

2018-04-20 05:05:05 | かごめかごめの真実とは

2018年4月20日(金)

 昨日、午前中は、上小田から事務所まで。

午後は、八幡山ピラミッドが綺麗に見える淵から長谷、そして事務所まで。

その情景は、実にすばらしく綺麗なものでした。

今、最高に幸せを実感しています。

神河町の隅々まで自転車を走らせ、町の現状を見るのも後残すこと今日明日と二日間です。

つぶさに見てみたいと思います。

神河町に日本の縮図を見る気がします。

                

                                         

 


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神河町は世界的遺産の宝庫です。 2018第3号  3月31日発行

2018-03-29 10:26:45 | かごめかごめの真実とは

2018年3月29日(木)

 朝刊各紙にビラを入れます。

大山地区にある標高779mのドーム状に見える山、それが卑弥呼の陵墓です。

 

私は昨年の町長選挙に出馬しました。

初めての駅立ちには長谷駅を選びました。もちろん数人しか乗降者が

いないと知ってのことでした。そこで私は忘れることができない大きな

感動を得ることができました。

ホームに上がってきた学生さんに、「君、この山を越えたところに

卑弥呼の墓があるのを知ってるかい?」と尋ねると、「知っています」と

キッパリ答えてくれました。私は長谷駅に立ったことと、

町長選挙を通じて町民の方々に卑弥呼の墓や大国主命の墓などが

あることを伝えようとしたことが間違いではなかったことを実感しました。

卑弥呼の陵墓は、大山地区にある七宝寺から西正面に見える

標高779m地点にあるドーム状の山です。

魏志倭人伝には、「卑弥呼はすでに死んだ。大いに塚を造った。径(さしわたし)は百余歩」と記載されていますが、2012年6月24日に神河町の有志の方々が測量してくれた墳丘長さ150m、高さ15m、後円部径100m、上円部径50m は、魏志倭人伝に書かれている墓の径と合致していますし、そこには山椒がたくさん自生していて、大猿やキジがいたという記述の情景は、現在でも当てはまります。

また、レーダーで地底探査も行いましたが、人工的な山であり、そこからは非鉄金属反応も捉えることができました。

私は、この山に婀月山(あづきやま)と名前を付けました。

そして今この婀月山の表土を取り除いて調査をしていますが、どこをはがしても表土の下から割栗石が出てきます。

何度か学芸員の方に会って説明もいたしましたが、「779mの高い山頂には古墳はありえません」と、聞く耳を持ちません。

でも、考古学者が現況を見れば、それは人工物であり古墳であることはもう一目瞭然です。現代の考古学の常識を覆す大発見が神河町大山にあるのです。

実は女王卑弥呼は、南小田の山頂にある大国主命などの墓守が主な役割でした。政治政体が奈良巻向で、国事国体は、播磨国風土記に記された埴岡の里なのでした。

魏志倭人伝の記述内容は100%正しいものです。

比叡山延暦寺根本中堂でご本尊様に手を合わせると、南小田にある大国主命に手を合わせるようになっていると前回書きましたが、実は、卑弥呼の陵墓も全く重なります。そして・・、姫路城の天守に刑部明神が祀られていますが、ここで手を合わせると、見事に卑弥呼の陵墓に手を合わせるようになっています。 つまり、姫路城は卑弥呼の陵墓に手を合わせるように築造されているということです。陵墓の麓にも刑部さんが祀られていますが、ここで手を合わせても卑弥呼に手を合わせるようになっています。偶然でしょうか。

また、卑弥呼の陵墓から、伊勢神宮内宮までの距離と、出雲大社までの距離とは、どちらもおおよそ193㎞で等距離です。 偶然でしょうか。 いえいえそうではありません。 これは緻密な設計の上での位置決めがなされているということです。

神河町は素晴らしい世界的歴史遺産の町なのです。

これらの歴史遺産を表に出すことで、ガイド業、民泊業などを通じて雇用の創出や、町だけでなく、我が国の活性化にも貢献できるものと私は思っています。

他から何をしてもらうかでなく、自分がこの町のために、この国のために何ができるかを、ビジネスを通して実践してみたいと思います。

神河町は誇りある素晴らしい町です。ご要望がありましたら聖地神河ひろばで、または、各地区の会館で映像を見ていただきながらご説明させていただきます。

どうぞ、お気軽にお声かけしてください。


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恵比寿様を崇める遥拝の場所がありました

2018-03-19 07:19:37 | かごめかごめの真実とは

 2018年3月19日(月)

 17日の聖地神河ひろばでのセミナーには沢山の方々に来ていただきました。

ありがとうございました。

武部さんの話から、犬塚がある長谷へと皆さんで行くことになりました。

そしてその場所は、やはり重要な場所でした。

意味ある岩、意味ある磐座。

私は見つけました。

恵比寿様を遥拝する岩を・・!

凄い場所です!!


 

 

 

 


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魏志倭人伝に登場する女王卑弥呼の陵墓は、神河町大山にあります

2018-03-08 16:44:38 | かごめかごめの真実とは

2018年3月9日(金)

魏志倭人伝に書かれていることは100%正しいものです。

帯方郡からの航路は、仁川から仁川です。

そして陸路を通って卑弥呼の居城がある(神河町長谷)まで1ヶ月を要しました。

女王卑弥呼への朝見航路は、七福神様達に会うためのルートでもありました。

神河町大山にある七宝寺から見える卑弥呼の陵墓です。

卑弥呼の陵墓の基盤は強固な岩山です。

その岩肌に無理やり植林していましたから、木が大きくなって、木々が倒壊してしまっています。

岩肌を痛め、山を痛めてしまっています。

卑弥呼の陵墓から、出雲大社までと伊勢神宮(内宮)までの距離は、おおよそ193㎞と同距離です。

これは偶然ではありません。 この三点は、大いに関係があるものです。

上の図面は、測量図です。

山頂部におおよそ墳長150m、後円部の底辺が直径100m、上円部直径50m 高さは15mの前方後円墳、又は帆立貝形古墳の様相です。

黒い表土の下からは、どこの場所からも栗石が顔を出します。

元Jリーガーの内藤さんです。

前方部は鉄塔建設などもあったせいか、栗石がむき出しです。

前方部から後方部を見た情景です。

大きくなって倒れた木々が沢山あります。

考古学の学芸員の方々は、「779mの山頂に古墳などあり得ません」と言われます。

はたしてそうでしょうか。

卑弥呼の陵墓は、強固な岩山の上に15mほど栗石を積み上げて築造されています。

その栗石の上に無理して植林されていますから、木が大きくなればなるほど、強風に耐え切れず全ての木が倒れて行きます。

倒れた木の根っこは全て、栗石を抱きかかえて倒れています。

このことは、卑弥呼の陵墓が傷つき破壊されていることを物語っています。

 

今、地元から許可をいただき表土を取っていますが、どこの表土を取り除いても栗石が出てきます。

卑弥呼が陵墓を築いたのは1800年ほど前です。

木々の枝葉が土に還る厚みは、一年に0,01mmですから、凡そ18cmもの黒い表土を取り除くと、割栗石が出てきます。

陵墓の東面は風あたりが強いですから、それらのところは、栗石がむき出しにもなったりしています。

今、元Jリーガーの内藤さんが表土を丁寧にはがす作業を行っています。

私も先日行いました。

どの場所も、どの場所からも栗石が顔をのぞかせます。

倒木もあったりしますが、できるだけ広い面積の表土をはがしたいと思っています。

「私も手伝いたい!」という善意の応援隊が増えれば増えるほど、卑弥呼さんのお墓であることの立証が早まるでしょう。

私もできるだけ山に登って作業をしたいと思っています!

大国主命亡き後78年も続いた倭国大乱後の新たな国家建設は、政治政体が巻向で、国事国体はでした。

国事国体を司ったのが女王卑弥呼でした。

土木・建築の現場で、基礎工事に使う石のことを今でも「栗石(ぐりいし)」と言いますが、語源はここにあると私は思っています。

表土を全て取り払って栗石を出せば、学芸員も一般の方々も古墳であることを信じてくれるのでしょうか。

そうであれば・・やらなければなりません!


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戌年に犬塚の謎が解ける!?

2018-02-16 10:09:18 | かごめかごめの真実とは

2018年2月16日(金)

下の岩は何に見えますでしょうか?

どうも犬をイメージして造られているようです。

場所は、市川町美佐です。

神河町長谷にある犬塚は、コンパスグラスで155度に手を合わすようになっていました。

その地点は、通称犬寺とも呼ばれる真言宗の法楽寺のすぐ西手にある230.5mの山頂点でした。

その場所から長谷の犬塚までと同距離のところで、しかも1:1:√2の直角三角形を描くポイントに存在していました。

そしてその犬岩が教える方向に、当日目指す山であり古代の王家の人の墓がありました。

登り口さえその犬岩はキッチリと教えていました。

それから・・です!

その犬岩と犬塚と・・、もう一点、大矩に近い直角三角形のポイントが、なんと! 

なんと! 犬塚と犬寺の法楽寺と、その同ポイントが、大事な大事なポイントとなる2:1:√3の直角三角形と同ポイントでした。

そのポイントは、雪彦山の南に位置する、イエス終焉の地とイエスの亡骸を葬った、神河町南小田の上にあるイエス・キリストの墓を結んだライン上にある十字架の山の少し南の地点でした。

地理院地図のコンターラインも不思議な形をしています。

前々から気になっていた場所でしたが、どうやら行くときが来たようです。

またまた武部さんに同行願わなければならないようです。

美佐 ・・ ミサ  ミサにモミの木です。 何やら~~~怪しい雰囲気のエリアです。

 

 


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犬塚と犬寺が教えるものとは・・

2018-02-02 05:05:05 | かごめかごめの真実とは

2018年2月2日(金)

 今年は戌年ですが、もう早いもので一ヶ月が過ぎましたぁ。

神河町長谷に、犬塚がありま~~~す。

兵庫県を流れる川、市川のほとり神崎郡神崎町粟賀にある法楽寺は、昔から通称「播州犬寺」と呼ばれている高野山真言宗の古刹です。縁起によると、大化年間(645年~649年)法道仙人の開基とあり、次のような伝説が伝えられています。
昔々播磨の国の神崎に、牧夫長者という豪族が住んでおりました。牧夫には子がなく、白と黒二頭の犬をわが子のように可愛がっていました。牧夫長者は皇極天皇の2年(643年)11月、蘇我入鹿の軍に従って出陣した勇者でした。
牧夫の留守の間に妻は下僕と密かに通じ、牧夫を無き者にしようと謀りました。言葉巧みに牧夫を狩に誘い、山の中におびき出した下僕は、木の上に登り弓矢で牧夫太夫を狙います。謀られたと悟った牧夫は覚悟を決め、二匹の犬に言いました。「もはやこれまで、私はここで死ぬ身だが、骸が残って人々の嘲りのもとになるのは忍びない。私が死んだらお前たち、私の骸を残らず食べてくれ。」
これを聞いた白黒二匹の犬は、たちまち木の上に飛び上がると、下僕を噛み殺してしまいました。これを見て喜んだ牧夫太夫は、妻を離縁し二匹の犬を養子として自分の跡継ぎとしました。やがて二匹の犬は天寿を全うして亡くなりましたが、これを悲しんだ牧夫長者が二頭の愛犬を祀った寺が、現在の法楽寺と伝えられています。
 
播州犬物語」の登場人物は「牧夫長者(マイブチョウジャ)」。
白・黒の二匹の犬が、「牧夫長者」暗殺計画を悟って、助けたという物語。
 
私はこの犬の話、何度か聞いていますが、正直言って何かスッキリしない話です。
美談とも思えませんし、どちらかというと人間の・・と言いますか、男と女のいや~~なものが残る気分が悪い話です。
この話が今に残る理由は一体何なのだろう・・??と思っていました。
 
先日、神河町長谷にある犬塚に武部さんと偶然にして立ち寄ることになり、コンパスグラスで計測したりして導き出された答えは、下記の図形でした。
犬塚で手を合わす方角には、法楽寺がありますが、この二点から導き出される三角法での2:1:√3の重要なポイントは、雪彦山の南に位置するポイントです。
そしてその図形が教える重要な地点から、次々に重要な古代王家の方々のお墓の位置が三角法で教えられます。
 

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播磨稲日大郎姫命は、卑弥呼の孫娘である

2017-12-08 18:56:59 | かごめかごめの真実とは

2017年12月9日(土)

下の図は、神河町にある重箱石が教える古代王家の方々のルーツと墓の位置を割り出す基本図の一つです。

詳細は省略します。

下図は、秦河勝の墓と播磨稲日大郎姫命の陵墓から割り出される、近親者の墓の位置図です。

秦河勝の墓とされている生島は、代々、秦氏のご先祖様たちが眠る大事な島と言うことでしょう。

上は播磨稲日大郎姫命の姉の墓である。

このポイントから、秦河勝の墓である赤穂の生島までと、神河町の南小田の上にあるイエスの四男で第四代懿徳天皇の墓までは同距離。

そして、このポイントから播磨稲日大郎姫命の陵墓までと、神河町の長谷にある卑弥呼の息子に安栖里から嫁いできたお嫁さんの墓とは、1:1:√2の直角二等辺三角形である。

私には、秦河勝のご先祖様を辿れば、播磨稲日大郎姫命の姉に繋がり、ルーツに懿徳天皇がいることを教えている。

播磨稲日大郎姫と景行天皇との間に、女、女、男が生まれ、その男の子が応神天皇でしたから、応神天皇と秦河勝のご先祖様はいとこ同士ということでした。

ですから、歴史の上でも、応神天皇の代に19万の民を従えて秦河勝のご先祖様が日本へとやってきたことは納得がいくし、又、秦河勝のご先祖様達、秦氏は京の都の建設に多大な貢献をしていますが、晩年は赤穂に移り住み、お墓が兵庫県赤穂市の生島にあることも理解できます。

彼ら古代王家の人達は、どんな政変劇があっても、その先祖の大事な大事なご先祖様たちが眠る、女王卑弥呼や大国主命=イエス・キリストの墓に辿りつくように、この大地に、そして山頂に三角法を駆使して造っていました。

崇める という字は、このことを教えていますし、

祟る という字も又、このことを教えています。

御霊は、山の上に祀られていると言うことです。

特に神河町の方々は、朝な夕なに山に向かって手を合わされることを望みます。


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ONさんへのメール

2017-11-23 10:43:01 | かごめかごめの真実とは

2017年11月23日(勤労感謝の日)

 ON

  ツアーは、楽しめていただけましたでしょうか。

私も皆様と共に、思い出のひと時を過ごさせていただきました。

深く感謝しています。

選挙の結果は結果として、そのことで、新たなスタートを「聖地神河」で始動することにしました。

寺前駅(神河町のメインの駅)の東裏手に広い敷地がありまして、そこに平屋の建物があり、そこで毎月、17日~21日まで「福神祭り」を行うことにしました。

今まで、神戸の我社を拠点に活動していたものを「聖地神河」の、しかも一番良い立地に構えることができました。

これも、2週間だけの選挙戦で、全町民の10%の方々が、私の名前を書いてくれたことで、そのような動きとなりました。

地元の方々が先ずは世界の聖地であることを知っていただくための活動を強めたいと思います。

今まで以上に気合を入れて頑張ります!

これからも よろしくお願いいたします。

 

            上森三郎

 鳳凰や龍の雲が、生野、神河にはよく出ますよ。 見れて良かったですねぇ。

 
To: 上森三郎
Subject: 楽しいツアーありがとうございます。

11月16日~17日のツアに参加させていただきましたONといいます。

素晴らしい場所素晴らしい体験をさせていただきましてありがとうございました。

本当に楽しいひと時でございました。

じつは生野銀山に入る手前で撮った上空写真に不死鳥様とおぼしき姿が写っておりました。確認のために遅らさせていただきます。

町長選挙は残念な結果ではございましたが、これからでございますでしょうから世界平和のためにますますご活躍されますよう願っております。

自分も微力ではありますができる限りのことをさせていたさきたいと思っております。

ありがとうございます。  写真送信は初めてでうまくいくやら????

神河町在住で、「いつもブログを見ています」と教えてくれた11月17日生まれの藤原さん、 いよいよ本格的に神河町でセミナーを開催していきますよ。

長谷駅で男子高校生に、「君、この山を越えたところに卑弥呼の墓があるのを知っているか」と私が聞いたら、「知っています!」と明るく答えてくれました。

そして、寺前駅では、近づいてきた男子高校生に、即座に上岩の山を指さして、

「君、あの山がメノラーって知ってるか」と聞くと、

「知ってます!」とキッパリ答えたので、

「メノラーだぞ」と言うと、誇らしげに

「知っていますよ、私は寺前の人間ですよ!」と、誇りを持って強い口調で言ったことに驚きとともに強い感動を覚えました。

今回の町長選挙を活用しての行動が、私が思った以上に急速に浸透していることにビックリしている私です。

・・・それで、

間髪入れずれ、この熱が冷めないうちに活動したいと思います。

もう全国的には多くの方々が「聖地神河」のことを知っていますが、地元の方々が知らないでは話になりませんから、

毎月、大黒さま=大国主命=イエス・キリストの月命日である17日、そしてこの日は卑弥呼が入定した日でもありますし、卑弥呼が入定して亡くなった日である21日まで、七福神ならぬ九福神様たちをお祀りする祭りごとを毎月したいと思っています。

又、21日は御大師様の日でもありますから、 毎月17日~21日は、私は神河町で映像をお見せしながら皆さんと語らいたいと思っています。

祭りの仕方は、神河町の有志の方々と共に自然の形で作り上げて行けたらと・・思っています。 ヨロシク!!

 

                             上森三郎

 


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聖地神河・・・情報は発信されました

2017-11-20 11:00:49 | かごめかごめの真実とは

2017年11月20日(月)

 「神河町長選挙を活用して、地元とマスコミを通じて情報を多くの人々に発信せよ!」・・これが神様からの指令でした。

この任務は十分に果たされたと思っています。

活動中、長谷の駅で高校生に、「君、この山を越えたところに卑弥呼の墓があるのを知ってるか」と尋ねると、「知っています」と答えてくれました。

又、寺前の駅では、

突然、上岩の山を指して、「君、あの山がメノラーって知ってるか」と聞くと、「知ってます!」ときっぱり答えるので、「メノラーのこと知ってるの」と再び問いただすと、「知ってますよ、寺前の人間ですから」と、誇らしげに答えてくれた瞬間、驚きと嬉しさと、「やってよかったな~」という思いがはじけました。

若者がもうこの町に素晴らし遺跡や陵墓があることを覚えてくてれいることに感激しています。

「やって良かった!」と実感していますし、ですから当初の目的は達成したと思っています。

これもひとえに、遠くからボランティアで多くの方々にお手伝いしていただいたり、地元のこころある皆さんの応援があったればこそと深く深く感謝しています。

そして、私を除いて966人の方々が私に一票を投じていただいたことに、正直、朝目覚めて、つくづく改めて驚きました。

だって、今までだ~れも知らないところで突然、町長選挙に立候補したわけですから、本当にびっくりするとともに、これからの活動に自信をもって取り組みたいと思っています。

皆さんに、深く深く感謝いたします。 「ありがとうございました!」

聖地神河、 ・・・ 世界の「聖地神河」  神河町は素晴らしい町です。 ますます大好きなりました。

 

 


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見ていてくれる人がいる、卑弥呼さまもイエス様も遠くの山から私を見守ってくれている

2017-11-04 04:04:52 | かごめかごめの真実とは

2017年11月4日(土)

 神河町役場で記者会見した翌日2日には、人生初めての駅立ちを龍神様がいてる長谷駅でしました。

そして3日の昨日朝6:30からは、卑弥呼さんの陵墓が見えて、大国主命=イエス・キリストの墓も見えるというポイントの交差点近くに立ちました。

もちろん、このような車の往来の激しい場所に立つことも初めてでした。

卑弥呼さんとイエス様と私が三人一体になってるようで、何か交信しているようで、それはそれは幸せな時間でした。

そこからは、柿の実のオレンジ色があざやかに秋の風情を添えてほほ笑んでいたり、

・・何々、なんなん??

私の真上上空にカラスがやってきて、ぐるぐるグルグル何度も円を描いて飛んでいます。

丸、〇、まる・・「正解です、正解!」と、教えているようでしたね。

通り行く車の中にいる人に、丁寧に私は挨拶していました。

んん・・実は、その人に乗っておられるご先祖様たちに私は挨拶をしていました。

その方々はその昔、イエス様と卑弥呼さんたちと一緒にこの国の礎を築かれた方々と思えば、それはそれは、

「おお~~久しぶりです、お元気でしたか」

「ああ~~久しぶりねぇ、おはよう!元気でしたかぁ」と、会話しているような、そのような異次元空間に浸っていた私でした。

そうしていると、交差点の向こう側に止まった車からクラクションが鳴らされ、大きく手を振ってくれる男性や、目の前を通り過ぎる車の中でお辞儀されている人や、手を振っている人の仕草が瞬間、見て取れたりして・・、嬉しくて涙がこぼれたりもしました。

本当に嬉しくて、ハンカチでふいたほど涙がこぼれたりしました。

私は知らなくても、向こうからは私を見ていてくれる人がいる。 

車の中から手を振ってくれる。 会釈してくれる人がいる。遠くからでも大きく手を振ってくれる人がいる。クラクションを鳴らしてくれる。

見ていてくれる人がいる。 卑弥呼さまもイエス様も遠くの山から私を見守ってくれている。

遠くからボランティアでビラをポスティングしに来てくれている人達がいる。

ああ~~今、私は幸せです。この上なく幸せな幸せなひと時でした。 感謝、感謝、・・・皆さまに感謝しています。

・・

 ところで・・、カラスが教えてくれたのは、・・実は、大変な重大なことでした。

「ハヤク、ヤマヘ イキナサイ 早く、大嶽山へ登りなさい!」と。

そしてそこへ行くと・・!!何~~ぃ!! やっぱり・・・これは重大なことですよ! 大変なことですよ~~! ・・つづく

・・

今日は東京でのセミナーです。

今、聖地神河で起きている重大なことを皆さんにお伝えしたいと思います。

町行政が取返しのつかない人類的世界遺産を次々に破壊している現状を知っていただきたいと思っています。

あれれ!上の写真には大嶽山と、そこには電波塔が見えますよ。

そこに数時間後に登って重大なことを知るとは思ってもみませんでした

上は、イエス様と卑弥呼様の山が見える交差点です。

上は、遠くに見えるイエスの陵墓の山です。

台形に見える山の左手の尖ったところがイエス・キリストの墓で、右手の丸いようなところがハートの山です。

卑弥呼の陵墓である婀月山は、ま~るくドーム状に見える特徴的な山です。

 

 


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私の初めての駅立ちは、長谷駅

2017-11-03 04:40:22 | かごめかごめの真実とは

2017年11月3日(金)

2日AM6:45 私は一人で長谷駅に立ちました。

清々しい空気を思いっきり吸い、幸せに浸りました。

こんな体験ができる人生を送れるなんて・・、今、幸せを実感している私です。

誰もいない駅。 見渡せば、それはそれは素晴らしい景色も一人占めなんですから・・。

バスは何度かやって来てターンしても誰ひとり降りる人はいません。

バスは駅までやってきますが、乗っている人は一人も見えません。

空の状態でやってきて、Uターンして空で帰っていくバス。

なにか、トトロに出てくる猫バスみたいな、異次元に入りこんだようで、不思議な感覚でした。

その長谷駅から遠くを眺めると、帽子をかぶった男性と、宇宙を見つめる巨大な女性の顔の岩が遠くに見えました。

思いもよらない発見がそこに見えました。

そして・・、山の尾根を越えて動いていく、一筋の霧といいますか、雲といいますか、まるで生きている蛇か龍のようでしたぁ。

ホームに上がってきた男性に、「不死鳥のあしあと」を開いてその人面岩を見せて、「向こうに見える岩がこの人面岩なんです」と、ちょっと興奮気味に話している私でした。

そして、「この駅の上の山を越えたところに、邪馬台国の女王卑弥呼の墓があるんですが、聞いたことがありますか」・・、と聞いてみると、「聞いています」と答えてくれた生野高校の男子生徒。

もう私は嬉しくて、ちょっと興奮気味でした。

来る人来る人に、興奮気味に話している自分を、どこか客観的に見ている自分をも同時に感じている私でした。

いつしか気がつくと、上空にはエネルギー体の雲が現れたかと思うと、その後には龍に見える雲も現れて、思わず右手を軽く龍の雲に振っていました。(どこかで誰かが見ていたら、 かわいそうにぃ・・と思われるでしょうね)

 感動の初体験の駅立ちでした。

卑弥呼の墓に初めて上ったのが、この長谷駅の裏からだったのを今でも忘れることはできません。

私には、この長谷という地区が実は思い出の場所でもあるところなのでした。

・・ですから、「お久しぶりですぅ」と、龍神様が現れたのかもしれません。

                                              

 


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イエス・キリストの墓の入り口にある太田ダムの水位が変動しだしました

2017-06-07 10:49:12 | かごめかごめの真実とは

2017年6月7日(水)

  関西電力が福井県の高浜原発3号機を1年3カ月ぶりに再稼働させたニュースが新聞・テレビで報道されていますが、

神河町にある太田ダムの水位と、その下にある長谷ダムの水位が変化を見せだしました

時間と共に水位が変化します。

神河町にある太田ダムと長谷ダムは、高浜原発でできる電気エネルギーを、大量の水をくみ上げたり、落としたり、くみ上げたりとして調整を行う原発ダムシステムですね。

太田ダムには、いつも満々と水を蓄えていてほしいものですね。

そして、イエス・キリストの墓への入り口を閉じるのではなく、解放してほしいものです。

 

3日(土)PM5:00の太田ダムの水位です。

4日(日)PM4:00の太田ダムの水位です。

4日(日)PM4:30の長谷ダムの水位です。

 

 

 

 


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臨済宗妙心寺派の方々もその昔、重要な秘密をご存じでしたね

2017-05-27 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2017年5月27日(土)

 神河町長谷にある祐泉寺 (臨済宗 妙心寺派)の方々も、その昔、この地がいかに大事な場所であるかをご存じでしたね。

 

 

 

 


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世界の聖地となる神河町にある長谷ダムと太田ダムは、高浜原発の再稼働とともに水のある情景を変える

2017-05-21 11:29:35 | かごめかごめの真実とは

2017年5月21日(日)

2017年5月20日(土) 世界の聖地となる神河町にある長谷ダムと太田ダムの情景です。

司法判断などで停止を余儀なくされた関西電力高浜原発4号機が再稼働し、近く発電を始め、6月中旬にも営業運転に移行するとの新聞報道。

3号機は7月からの営業運転を目指しているとのことです。

高浜原発からの送電線を国土地理院地図でたどると、この神河町にある長谷ダムと太田ダムに来ます。

そしてその先には、完全な山の中にある関西電力山﨑実験センターへと続いています。

大河内発電所の概要には、

【昼間】上部ダムから下部ダムに水を落として発電します。【夜間】ゆとりある時間帯の電気で水をくみ上げます。

と書かれています。

そして現在、長谷ダムは干からびた状態だということは、原子力発電の事情によるものと考えられます。

ですから、高浜原発の再稼働とともに、干からびた長谷ダムも太田ダムも水を満々と蓄えて情景を変えることでしょう。

長谷ダムが見下ろせる場所に不動明王が祀られていました。

太田ダム入り口の駐車場前で太陽光発電の工事をやっていましたが、立て看板を見ると、完成が半年以上も遅れていますね。

建築工事の仕事に携わったものとして、半年以上も工期が遅れるということは考えられないことです。

これも原発の裁判の状況など何やら大きな絡みがありそうですね。

太田ダムの赤い地肌が痛々しくも印象的です。

自然と人間の営みとの調和は、なかなか難しいものなのでしょうか。


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