2019年6月21日(金)
藤原鎌足の墓は、最初は鎌足公古廟でした。 でもそこから大阪府交野市の交野山のとある場所に移されました。
法隆寺の夢殿で手を合わせると、その場所に手を合わせるように法隆寺の建築配置がなされました。
鎌足公の二男の不比等君は、時の天皇たちに信頼された様子ですねぇ。
私には、和気清麻呂とどこか人間性がダブルところがあります。あくまでも陰で支える有能な行政マンというところでしょうかぁ・・。
不比等君の墓は、計算されつくした場所である京都府南丹市八木町神吉です。
そして不比等君の長男、藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)の墓は、奈良県五條市小島町にあります。
不比等君の墓は、子である武智麻呂の墓からピッタリと磁北に位置しているのは、これも後から亡くなる武智麻呂が磁南の場所を選定したと推測できます。
いえいえ、これは藤原三代の約束事だったと私は思えます。
鎌足君から親子三代それぞれの三つの墓を見つめていたら、「オリオン座の三ツ星ベルト」に見えて仕方ないので眺めていると、日本列島にオリオン座が浮かびあがりました。
親子三代、かみなり三代と言われたとか言われなかった・・とか。
実は、不比等君のお墓へ行くと決めたのは、前日の15日(土)の午後、なんの前触れもなく突然、「ドド~~~ン!」と一発、ものすごい大きな音を轟かせて雷が落ちたようでした。
その大音響で、「明日行きます!」と決心したのでした。
オリオン座の重要な拠点として、物部神社 弥山 八伏山 御前崎の駒形神社 長野県松本市の弘法山古墳が浮かび上がりました。
このオリオン座からするとオリオン大星団は、尾張や三河となります。 古代からこの地方は重要な拠点であったことを教えているようです。
・・と思っていたところへ、全く知らない方から一通の封書が届きました。
その中には、村山浅間神社のことが書き記してありましたが、これはもう間違いなくメッセージと捉え、オリオン星人の頭を村山浅間神社にして描いてみました。
こちらのオリオンは、大神山神社奥宮と馬路村が重要ポイントです。
んん~~んこちらでもOKです。・・というより、二つとも正しいように思います。
静岡県富士市の渡辺様、情報をありがとうございました。感謝いたします。
いずれにしても、藤原三代 オリオンの三ツ星ベルトは間違いなさそうです。