2019年10月31日(木)
醍醐寺はイエス・キリストの墓を教える寺院で、その大事なことを教えるのが、二つの荒神社でした。
そして不思議なぐらいにそこから浮かび上がるのが、笠山荒神社から奈良県吉野郡にある立里荒神社(たてりこうじんしゃ)までと同距離にある法観寺八坂の塔が浮かび上がりました。
笠山荒神社と立里荒神社と矢坂の塔は二等辺三角形を描きます。
そして立里荒神社と矢坂の塔とイエス・キリストの墓は直角三角形を描きます。
そしてこれは偶然でしょうか。
笠山荒神社とイエスの公的陵墓の二点の中点から円を描くライン上に醍醐寺五重塔も八坂の塔も存在しています。
そしてこの円のライン上に藤原不比等の墓もあります。
イエスの公的陵墓と笠山荒神社と藤原不比等の墓は、40度50度90度の綺麗な直角三角形を描きます。
立里荒神社は、重要なことを教えるベンチマークでしたが、笠山荒神社も又、重要なベンチマークポイントでした。
立里荒神社と藤原不比等の墓と直角三角形を描くポイントには応神天皇の墓がありました。
そしてイエス・キリストの墓の東に位置する場所に藤原不比等の墓があり、そこから直角に南に行った場所に高野山弘法大師廟でした。
藤原不比等の墓は、日本の最高神、天照大神の墓である神野山の王塚から弘法大師廟までの同距離に造られていましたね。
空海さまが高野山を開かれてから、月に一度は立里荒神社に登ってお祈りを欠かさなかったのは、第五十代桓武天皇の墓が立里荒神社の真北に位置していたからとのことだけしか私の頭にはありませんでしたが、ここにきて一気にそのポイントの重要性が浮かび上がりました。
これらのことから見えてくるのは、藤原鎌足から藤原不比等へと託された、藤原家のご先祖の御霊を守り崇めるという強烈な信念が、藤原直系である桓武天皇にも引き継がれたことを読み解くことができます。
このことを纏めるには時間も必要ですが、どうもゆっくりしてもいられない状態が見えてきたようです。
かごめかごめの唄の、「夜明けの晩」が近づいているようです。
日月神示の地響きがする暗黒の闇が近づいているような・・。
荒神さんは、大変ご立腹の様子ですからねぇ・・。
綺麗です! 実に見事な配置図です!!