2019年5月2日(木)
明日5月3日(金・祝)、奈良興福寺の中金堂前庭にて藤原不比等公1300年御遠忌法要が執り行われます。
興福寺は、藤原不比等所縁の寺ですが、田舎を離れて奈良県大和郡山市で会社務めした関係で、休日には興福寺あたりをよく散策したものでした。
その興福寺での明日の法要に見えない存在から誘いを受けたようです。 不思議な感覚です。
私は最初の頃のセミナーで、「歴史上の人物に会わせてもらえるとしたら、藤原不比等君に会ってみたい」と、よく皆さんに言っていたものでした。
そのような思いからか、藤原不比等君はどこに眠ったか、どこにお墓を造ったを私に教えてくれたようです。
藤原不比等の墓は、京都府南丹市の標高610mの地点です。
35度6分41.55秒 135度35分44.30秒
35.111541,135.595638 ズーム:18
UTMポイント:53SNU54278557
標高:610m(データソース:DEM10B)
天皇家が祀る天照大神の墓は、奈良県山添村にある神野山の王塚であり、大国主命=イエス・キリストの墓は、兵庫県神崎郡神河町南小田山中にあるハートの丘を隣接して設けている前方後円墳である。
そのことを高野山の弘法大師廟から手を合わす先に、京都府南丹市の鎌ヶ岳にある藤原不比等の墓に手を合わすことで、天照大神にも、イエスにも祈りが届く霊ラインの仕掛けがなされていました。
当然、このことを空海様もご存知でしたし、空海様を高野山に導いたスポンサーは、
藤原不比等君であり藤原直系の第五十代桓武天皇でしょう。
神野山(天照大神の墓)から不比等君の墓までと、高野山の弘法大師廟までの距離は、共に61㎞で、三点は綺麗な二等辺三角形を描きます。
天皇の最大の務めは、国民を代表してこの国の礎となった神々大王が眠るお墓を守り御霊を祀ることである。
昨日の一連の儀式もちゃんと先祖の神々は見て居られたことでしょう。