goo blog サービス終了のお知らせ 
不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

神仏の祀りかたの原型が大地に印されていました

2014-11-26 10:46:34 | 邪馬壹国

   メノラーの地上絵の空撮に成功しました

2014年11月26日(水)

日本の一般家庭では、神棚や仏壇に一対の榊をお供えします。

榊とは神様の木と書きますね。

そして毎朝、新鮮な水を朝一番にお供えします。

兵庫県の中央に位置する生野、神河町には鶴と亀や、

龍(玄武)やエジプトの女神ハトホルなどの巨大な地上絵が山を使って造形されていました。

なんとその地上絵郡を拝むように、水平距離で1,8㎞の巨大な榊の地上絵が造形されていました。

下の画像はグーグルアースで発見した当初の画像です。

  

そして、下の画像は、 グーグルアースでフィルムが被せられたり、見えないように細工されてしまいましたので、

証拠保全の為に、上空から撮影した画像です。

  

そして・・下の画像はメノラーを中心にしたイスラエルの国章ですが、このメノラーこそ日本で言う榊にあたるものです。

日本神道とユダヤのハーモニーを垣間見れるようです。

そしてそして・・・、なんと神河町役場から巨大な榊の上部が見えるのですが、その頂上部を超えたところに、

なんとなんと、1㎞ほどの巨大なひょうたんの地上絵も造られていました。

 

そしてそのひょうたんの口からは、神様の息吹とでも申しましょうか、新鮮な水がいつもこんこんと大地から湧きだし・・、

その神様の水は沢となって流れて、 なんとなんと・・・

滝から落ちて、直径3mもありましょうか、大きな壺に満々といつも新鮮な水が溜まり溢れ出す仕掛けで造られていました。

そしてその大きな壺は、地元では亀壺と呼ばれているようですが、おそらくその存在を直接、壺まで行って見た人はほとんど居られないようです。

いわば、幻の亀壺のようです。

 

上の画像をよく見ていただけますでしょうか。

滝の壁面には、大きな大きな女性の横顔が描かれていますが、女神様でしょうか。

私には、アイヌの女性に見えますが、皆さんの目にはどのように映りますでしょうか。

・・・

この我国って、なんと素晴らしい国でしょうか。 よく神様の国と言われますが、本当にそのようですよ。

そして、このことを邪馬壹国の女王卑弥呼様はよ~~くご存じでした。

もう一度、下の写真を見ていただきたいと思います。

 撮影者の靴が映っている左側に伸びる山並みが八幡山連峰ですが、拡大してみると、卑弥呼さんのお墓も、

女王卑弥呼様の祭祀場である八幡山も見えますよ。

 ・・・と言っても、事情を知っている私にしかこれは分かりませんね。

 

上の図は、生野、神河町の地図に、①八幡山を中心に4,3㎞で円を描き、亀甲紋を描いてますが、

生野に鶴と亀、段ヶ峰に龍(玄武)などの巨大な地上絵が造形されていますが、②が女王卑弥呼のお墓です。

神社の造りで言えば、阿吽の獅子にあたるところが、⑫⑬の榊(メノラー)で手水舎が⑭ひょうたんですね。

②の卑弥呼さんのお墓が本殿で、鶴と亀の地上絵がある生野が奥宮で、そしてそこのA,Bに地下神殿があります。

この祀りかたを家の中に持ち込んだ神棚や仏壇が

このような形になります。 そして神社もこれと同じ祀りかたをするように造営されています。

神河町には、卑弥呼さまや奥宮を拝む遥拝の山がキッチリとピラミッドのように一対の榊(メノラー)の中心部に造られています。

神河町を空から眺めたFさんの弁ですが、「一番きれいでした」というピラミッドみたいな三角の山には、

地元古代史研究家の市川慎さんが言われるのには、頂上と中腹に遥拝する立派な磐座が造ってあるとのことですから、

古代からこの我が国の礎を創られた神々にそこから祈りを絶やさなかった時代があったことでしょう。

そのように、重大な意味ある地上絵などがある場所こそが邪馬壹国の女王卑弥呼さんが居たところです。

邪馬壹国とは丹後、丹波、但馬、摂津、大和・・、現在の兵庫、京都、大阪、奈良にまたがるオリオン座にかたどられた国でした。

政体が奈良の巻向で、国体・・つまり女王卑弥呼さまが居られたところが、神河町の栗でした。

 

 

邪馬壹国は兵庫、京都、大阪、奈良、にまたがる国だった

魏志倭人伝に記載されている情報をもとに境界国をなぞると、邪馬壹国(しゃもいっこく)は丹後半島を含む兵庫県但馬、丹後、丹波地方から摂津、大和へとつながった国土であり、行政府の首都が纒向(奈良)であり、女王卑弥呼が住む聖地は、兵庫県の中央に位置する、播磨風土記で表記される埴岡の里、現在の兵庫県神崎郡神河町と朝来市生野町にまたがる地域で、居城はである。

邪馬壹国の女王卑弥呼が居た埴岡の里(兵庫県生野、神河町)・栗への朝見ルートは、高句麗、現在の中国遼寧省鞍山市の道教の故郷、千山から神の故郷、蓬莱()を経由して朝鮮半島に沿いながら現在の釜山あたりから対馬、壱岐、を経由して呼子(佐賀県)に宝船を呼び込みます。ここまでは神で来ますが、お一人の神様は、神を呼子に降ろして定期航路を帰ります。降ろされた神は、陸路、吉 岡 そして津まで宝物を運んで行きます。 津からは神が物部氏の船に乗せられて関門海峡を下して宇佐八幡の神様にご挨拶して、それから瀬戸内へ入り、中国山脈のって山の大門まで20日を要して到着します。ここからさらに10日かかってたどり着く所がの神えびす様の総本社 がある西宮です。ここで検品を済ませ、三つの御竜車に物を乗せて、塚を通り、三田、篠山、春日を経て知山に着き、粟鹿を通って南下し、シオン(聖地)と呼ばれていたイヤ(生野)へとやってきて最終地点である(神河町)へとたどり着きますが、ここが女王卑弥呼の居城でした。西宮からここまで陸路1ヶ月を要した。

女王卑弥呼への朝見ルートは地名に福の一文字が残る、福の神のルートである。

そして卑弥呼のお墓は、779mの山頂にあった。

downwardright 邪馬壹国の国土図と呼子(佐賀県)からの女王卑弥呼の居城までの道程図

   左はイエス・キリストの生命の樹です。

生命の樹(カバラ)の意味することを理解することで邪馬壹国の謎は解けます。

 

邪馬壹国はシャモイッコクと読んで、モーセの律法を第一とする理想国家の建設でした。

その国土設計は、カバラに基づいて設計され、国土はオリオン座に似せて造られた桃源郷でした。

でも、初代大王である大国主の命=イエス・キリストが亡くなると、黄金比率の十字架の縦のライン上に

手厚く葬られました。その場所は十字架の交点の少し北へ上がった所で、現在の加古川市志方町にあります。

  

魏志倭人伝に書かれた20日で着く港は、

伊島(徳島県)から生野(兵庫県)まで伸びる黄金比の十字架の縦のラインを底辺とする、

正三角形の頂点にあたる場所で、現在の広島県福山市の大門でした。

大門は社の総本社である総社宮への入り口の門にあたる重要な場所でした。

そこには鶴島、亀島がありました。

その風光明媚な港から10日で着く港が、福の神を祀る戎神社本宮がある西宮が、最終港であり始発港でした。

左は西宮市の市章です。 西宮市の市章の中の文字は、西という字です。

西宮市の市章はユダヤと表していて、日が沈む西の方角にはユダヤの国があることを教えていて、

そのユダヤの地からたどり着く最終港であり始発港が西宮ということです。

陸路一ケ月のルートは、そこ西宮から宝塚、三田篠山、春日を通って福知山、そこから粟賀を通って栗ま

ででした。現在の神河町栗です。

現在は姫路から上がればすぐですが、卑弥呼さんの時代は隣国、投馬国は通れませんから一ケ月を要しました。

       

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女王卑弥呼の墓 保存その2

2014-11-22 13:45:02 | 邪馬壹国

                           女王卑弥呼の墓 保存その1       

墓の掘削調査状況 

2012年9月19日(水)~21日(金)

一日目

 

 

二日目

 

三日目(21日金)

 

 表面より2mほど岩を砕いたところから、無垢の弧帯石らしき不思議な石が出現

 

この石は方位磁石が狂うほどに磁化している。(4ガウスを検知)



表土20㎝ほどの黒い土を取り除くと、山肌は栗石の葺石で覆われている。

土木、建築の現場で、基礎工事をするときに敷き並べられる割った石の事を、栗石(ぐりいし)と呼びますが、その語源は、卑弥呼が暮す栗、お墓の造営工事が大規模に行われたことに由来します。

卑弥呼の墓が向いてる方向は、香住町菴月山(上古竹野郡)であり、その反対側は日本で一番最初に造られた稲荷神社の糸賀稲荷神社である。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女王卑弥呼の墓 保存その1

2014-11-22 13:40:09 | 邪馬壹国

    女王卑弥呼の墓 保存その2

 

   お墓の調査記録をユーチューブにまとめました。

 

魏志倭人伝 邪馬台国の会HPより

18 栽培植物と繊維

禾稲(いね)、紵麻(からむし。イラクサ科の多年草。くきの皮から繊維をとり、糸をつくる)をうえている。蚕桑し(桑を蚕に与え)、糸をつむいでいる。細紵(こまかく織られたからむしの布)・絹織物、綿織物を(作り)だしている。

26 植物

その木には、
(おそらくは、たぶのき)
・杼(こなら、または、とち)
・豫樟(くすのき)・(ぼけ、あるいは、くさぼけ)
・櫪(くぬぎ)
・投(東洋史学者の那珂通世氏は「投」を「被」の誤りとし、「杉」とする。苅住昇氏は、「かや」とする。あるいは「松」の誤りか)
・橿(かし。苅住昇氏は、「いちいがし」とする)
・烏号(やまぐわ。苅住昇氏は、「はりぐわ」に近い「かかつがゆ」とする)
・楓香(かえで)
がある。

その竹には、
・篠(しの。めだけ、ささの類)
・やだけ
・桃支(がずらだけ。苅住昇氏は、「しゅろか」とする)
がある。

・薑(しょうが)
・橘(たちばな。または、こみかん)
椒(さんしょう)
・みょうが
があるが、賞味することをしらない。

27 存在する動物

猴(おおざる)・黒雉(きじ)がいる。
48 卑弥呼の死
卑弥呼はすでに死んだ。大いに冢つかをつくった。径(さしわたし)は百余歩・徇葬者(じゅんそう)のは百余人であった。あらためて男王をたてたが、国中は不服であった。こもごもあい誅殺した。当時千余人を殺し(あっ)た。

・・・・

墓は標高779mの山頂にあり、葺き石で葺きあげられ、墳丘長さ150m 後円部径100m、上円部径50m 高さ15m の帆立貝形古墳、又は前方後円墳 の初期の形の古墳が形成されている。測量図を元に、 卑弥呼の墓を探査レーダーで調べると・非鉄金属の反応 も捕らえた。

「卑弥呼はすでに死んだ。大いに塚を造った。径(さしわたし)は百余歩」と魏志倭人伝に書かれている墓の径と、上円部径50mは合致する。又、この山には山椒がたくさん自生していて、猿も きじ もいてる。

卑弥呼の墓の西麓、栗集落に今でも残る神護石と大量の石群

             

        

墓の頂上部の概況

頂上部には、重要な各方位を教える方位磁石が狂う石が並べられている。

                    

卑弥呼の墓の測量図

 

      


探査レーダーで地中調査

 第一回目調査      

 概要  調査日 2012年6月14日

     調査場所 北緯35,109763  東経134,766841

     使用探査機 ROVER-C/Ⅱ 地下ロケーター ドイツ製

   

 

    

第二回目調査   調査日 2012年7月9日

        

 調査結果

人工的な山であり、非鉄金属反応も捕らえた。(詳細はデータ参照)

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

邪馬壹国 保存その3

2014-11-22 10:44:28 | 邪馬壹国

伊王島(長崎県)から宗像大社(福岡県)・高千穂神社(宮崎県)を結ぶ正三角形の中心をライン上にある宇佐八幡宮を通り、総社(岡山県)を通り埴岡の里(兵庫県)まで伸びるラインで構成される生命の樹(カバラ)

 上記生命の樹のセンターライン上でセフィラの11番目・ダアトに位置する場所が総社(岡山県)であるが、この地こそが魏志倭人伝に記されている投馬国の首都であり、そこへの上り口が福山市の大門(だいもん)です。伊島、生野を底辺とした正三角形の頂点の地点が魏志倭人伝に記されている水行20日で着く港、大門である。

 大門町誌「大津野のあゆみ」に残された、鶴島、亀島が記された上古大津野沿岸図

 上古大津野沿岸図に記された鶴島、亀島の現在の様子と、惣堂神社。

 鶴島の現風景

       

 亀島の現風景

         

 惣堂神社

     

歴史の中に生きた先人達は、私達に何を教えているか。

 純友の乱で、海賊の残党の捕らえられた地が、備前、播磨、そして地上絵群が造形された埴岡の里一帯の但馬であるが、真相を語ってはいないか。

黄金比の十字架と生命の樹と航海航路との関わり

    

地上絵群がある埴岡の里と、出雲大社と伊勢神宮(内宮)との位置関係

生野から出雲大社、伊勢神宮(内宮)までの距離は同距離である。

室戸岬から出雲大社、伊勢神宮(内宮)までの距離は同距離で、その三点を結ぶと直角二等辺三角形である。

 

日本で一番最初に作られた稲荷神社は糸賀稲荷神社(有田市)である。その神社から、生野と御蔵洞(室戸岬)までは同距離の関係にある。

卑弥呼の墓の測量図

墓は標高779mの山頂にあり、葺き石で葺きあげられ、墳丘長さ150m 後円部径100m、上円部径50m 高さ15m の帆立貝形古墳、又は前方後円墳 の初期の形の古墳が形成されている。測量図を元に、 卑弥呼の墓を探査レーダーで調べると・非鉄金属の反応 も捕らえた。

「卑弥呼はすでに死んだ。大いに塚を造った。径(さしわたし)は百余歩」と魏志倭人伝に書かれている墓の径と、上円部径50mは合致する。



卑弥呼の墓が向いてる方向は、香住町菴月山(上古竹野郡)であり、その反対側は糸賀稲荷神社である。

卑弥呼の墓の位置は、応神天皇陵と、六甲石の宝殿白山の宮と白兎神社とを結んだ一直線上に位置する。

 

yamaitikoku  yamaitikoku yamaitikoku  yamaitikoku  yamaitikoku Yamaitikoku  yamaitikoku

やまいちこく やまいちこく やまいちこく やまいちこく やまいちこく やまいちこく 邪馬台国 卑弥呼 

 

 

 

 

 

あずきちゃん 竹野郡 竹野地方 埴岡の里 かごめの故郷 モーゼの国 イエス・キリスト 大黒様 大国主の命 モーセ シュメール スメラミコト 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

邪馬壹国 保存その2

2014-11-22 10:36:57 | 邪馬壹国

 生野の資料館に残る古い絵図(二つの御林)

  

 カゴメ紋の中心点である八幡山1と、ABCD 2 との関係図

 

 伊勢神宮から生野へ伸びる生命の樹(カバラ)

  

一直線に並ぶ地上絵

 地上絵発見の動画

  

地上絵発見の動画(天皇陛下への手紙)  その1

地上絵発見の動画(天皇陛下への手紙)  その2

 

 古代エジプトの女神ハトホル(人の顔)

 

 

  

 

 鶴 と 亀

 

  龍(玄武)

 

 

日本三奇の一つ、高砂市の石の宝殿の巨石の謎解明

石の宝殿の巨石が位置する場所は、伊勢神宮から石の宝殿(生石神社)に伸びる生命の樹(カバラ)の王冠にあたる場所である。

 

そして又、その石の宝殿の巨石がある位置は、伊島(徳島県)から生野町の古い絵図に残る絶峯御林まで伸びる黄金比率の十字架の交点に位置している。

  

 




そしてその石の宝殿の巨石は、キッチリと神武天皇陵と出雲大社の方角に向けて造られている。

 

          




そしてこの石の宝殿の巨石は、伊勢神宮(内宮)と物部神社(島根県大田市)を結んだライン上にもピタリと位置している。

 

伊王島(長崎県)から宗像大社(福岡県)・高千穂神社(宮崎県)を結ぶ正三角形の中心をライン上にある宇佐八幡宮を通り、総社(岡山県)を通り埴岡の里(兵庫県)まで伸びるラインで構成される生命の樹(カバラ)

 上記生命の樹のセンターライン上でセフィラの11番目・ダアトに位置する場所が総社(岡山県)であるが、この地こそが魏志倭人伝に記されている投馬国の首都であり、そこへの上り口が福山市の大門(だいもん)です。伊島、生野を底辺とした正三角形の頂点の地点が魏志倭人伝に記されている水行20日で着く港、大門である

きちゃん 竹野郡 竹野地方 埴岡の里 かごめの故郷 モーゼの国 イエス・キリスト 大黒様 大国主の命 モーセ シュメール スメラミコト 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

邪馬壹国 保存その1

2014-11-22 10:26:10 | 邪馬壹国


                   
                   かごめかごめの真実とは

 

 

邪馬壹国は兵庫、京都、大阪、奈良、にまたがる国だった!

魏志倭人伝に記載されている情報をもとに境界国をなぞると、邪馬壹国(しゃもいっこく)は丹後半島を含む兵庫県但馬、丹後、丹波地方から摂津、大和へとつながった国土であり、行政府の首都が纒向(奈良)であり、女王卑弥呼が住む聖地は、兵庫県の中央に位置する、播磨風土記で表記される埴岡の里、現在の兵庫県神崎郡神河町と朝来市生野町にまたがる地域で、居城は栗である。

邪馬壹国の女王卑弥呼が居た埴岡の里(兵庫県生野、神河町)・栗への朝見ルートは、高句麗、現在の中国遼寧省鞍山市の道教の故郷、千山から神の故郷、蓬莱()を経由して朝鮮半島に沿いながら現在の釜山あたりから対馬、壱岐、を経由して呼子(佐賀県)に宝船を呼び込みます。ここまでは神で来ますが、お一人の神様は、神を呼子に降ろして定期航路を帰ります。降ろされた神は、陸路、吉 岡 そして津まで宝物を運んで行きます。 津からは神が物部氏の船に乗せられて関門海峡を下して宇佐八幡の神様にご挨拶して、それから瀬戸内へ入り、中国山脈のって山の大門まで20日を要して到着します。ここからさらに10日かかってたどり着く所がの神えびす様の総本社がある西宮です。ここで検品を済ませ、三つの御竜車に物を乗せて、塚を通り、三田、篠山、春日を経て知山に着き、粟鹿を通って南下し、シオン(聖地)と呼ばれていたイヤ(生野)へとやってきて最終地点である(神河町)へとたどり着きますが、ここが女王卑弥呼の居城でした。西宮からここまで陸路1ヶ月を要した。

女王卑弥呼への朝見ルートは地名に福の一文字が残る、福の神のルートである。

そして卑弥呼のお墓は、779mの山頂にあった。

 邪馬壹国の国土図と呼子(佐賀県)からの女王卑弥呼の居城までの道程図

  

 

高句麗にあった千山から、千ヶ峰の麓の卑弥呼の居城への上陸地点までの海路図

 

 

女王卑弥呼の居城が、埴岡の里の栗である証。

 グーグルマップの3Dで、旧約聖書にある生命の樹(カバラ)の法則に則り発見された、八幡山を中心に半径10km内に山を使って造形された壮大な地上絵群との位置関係図

 

1・・八幡山(カゴメ紋の中心点)  2・・卑弥呼の墓 3・・男性シンボル              4・・女性シンボル  5・・鳥  6・・鳥  7・・亀  8・・奴婢  9・・大亀

10・・龍(玄武) 11・・

A ・・絶峯御林(イエス・キリストを祀った地下神殿)

B ・・古城山御林(モーゼを祀った地下神殿)

C ・・生野に残る古地図の二つの御林と、卑弥呼の墓を教える三角形が交わった点

D、E、F ・・ 人工的ポイントの山

12 13 ・・メノラー(神の木)

14 ・・ ひょうたん

・・・

1 八幡山

                     


2 卑弥呼の墓 (婀月山)

           
 

3 男性シンボル



4 女性シンボル

   

 6 鳥(鶴) ・ 9 大亀 

 

10 龍(玄武)

 

12  メノラー(神の木)   12,13 一対のメノラー

  

13  メノラー(神の木)  2014年8月27日 空撮に成功

14 ひょうたん

 勾玉

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竹野神社が邪馬壹国の創建を語り継いでいました

2013-02-02 11:53:42 | 邪馬壹国

丹後半島に竹野神社があります。一年前に「大事な神社ですから急いで行きなさい!」と教えられて行って、その時、立派な門に彫られた彫刻や、拝殿の上に掘られた鶏に、「何なんだろう・・この意味は??」と思っていた疑問が解けました。

Dscf5104Dscf5105_2

Dscf5106Dscf5107_2Dscf5108Dscf5109Dscf5112

Dscf5110Dscf5111_2

行った時、「神社の裏山に鹿が現れました!」と、神様の言葉をあなたに伝えるだけですという翼さんが言ってたことも分かりました。

私はこの二年半で沢山の神社やお寺などを走らされましたが、このような彫刻を見たのは初めてでした。我が国の歴史において、重要にして重大な神社であることが分かりました。

魏志倭人伝に書き記されたこの国の呼び名は、邪馬壹国ですが、この読み方を私には、「シャモイッコク」と読みますと教えます。

邪馬・・しゃも  これを右から読むと もーしゃ  モーシェ  モーセ だと。

 しゃも(軍鶏)

Sya1

邪馬壹国は、モーシェの思想を第一とする国であり、イエス・キリストが造った国である。 と教えます。 

イエス・キリストはイコール、神武天皇であるとも教えます。

立派な門に掘られている ぶどう は、イスラエルの11番目の部族のエフライム王を表していますし、狐は、イエス・キリストを表しています。

イエス・キリストを祀った稲荷神社には狐が奉られています。

そして、伊勢神宮から生野へ伸びる生命の木(カバラ)のセンターラインにある千ヶ峰の先は、中国遼寧省鞍山市の千山ですが、ここに祀られている額の長いお爺さん(仙人)が、実は モーシェ(モーセ)でした。お爺さんはひょうたんが付いたヘビの杖を持っていて、その下には、仙人の使いである、鶴と、我が国に農耕を教えた三束の粟を加えた鹿が居ました。

Dscf3439Dscf3440_2

そしてお爺さんの下には、8福神が祀られていて、その中で一番偉いと言われる神が、実は日本でいう大黒様です。中国では、呂洞ヒン(リョドウヒン) (ヒンという字は、うかんむりに兵と書きますが、私のPCにはありません)で、仙人を除いて、8福神の中で一番偉いという云われです。

皆さん、大黒様が被っている頭巾の紋様にご注目ください。 見えますでしょうか。

 

アルファでありオメガである」とこの方は言っておられます。

Dscf3443

 

Dscf5111

Dscf5107

Dscf5105

Dscf3440


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユダヤ起源は日本神道にある

2013-01-30 20:22:41 | 邪馬壹国

 イスラエル国家 と 君が代 と かごめかごめ

神社や神棚などに見られる、日本神道の原形が直径20km内に地上絵で造られています。

Img1301826300001Kamidana_49938961003421

そして、この巨大な地上絵の神殿を北にして拝みます。

つまり、この神殿から南に位置する、淡路島を取り囲むダビデの星の中心点から「神を見る」「神を拝む」ということで、山を使って、1,2kmの「ヤサカの勾玉」が造られています。

Dscf8207Dscf8206_2Img1301949520001Img1232030180001

日本書紀と日本語のユダヤ起源  ヨセフ・アイデルバーグ著 久保有政「訳」

Img1301929170001_2

そして、イスラエルの国章であるメノラーと榊は、共に 主(ス)の神様を表現し、その生命の木である1,8kmほどの一対の巨大なメノラーの地上絵が造られていることも、日本神道に源を見ることができます。

 イスラエルの国章とメノラーの地上絵

Emblem_of_israelsvg1Photo_11

・・・

 グーグルマップの3Dで、旧約聖書にある生命の樹(カバラ)の法則に則り発見された、八幡山を中心に半径10km内に山を使って造形された壮大な地上絵群との位置関係図

Dscf8201

1・・八幡山(カゴメ紋の中心点)  2・・卑弥呼の墓  3・・男性シンボル              4・・女性シンボル  5・・鳥  6・・鳥  7・・亀  8・・奴婢  9・・大亀

10・・龍(玄武)  11・・

A ・・絶峯御林(イエス・キリストを祀った地下神殿)

B ・・古城山御林(モーゼを祀った地下神殿)

C ・・生野に残る古地図の二つの御林と、卑弥呼の墓を教える三角形が交わった点

D、E、F ・・ 人工的ポイントの山

12 13 ・・メノラー(神の木)

14 ・・ ひょうたん

・・・

1 八幡山

Dscf6246Dscf5342_3Dscf5549_2


Dscf5334

2 卑弥呼の墓

Dscf5263_2Dscf5351_2Dscf5332Dscf5345


3 男性シンボル

Dscf6145_4

4 女性シンボル

Dscf6163_6

 6 鳥(鶴) ・ 9 大亀 

Photo_7

10 龍(玄武)

Photo_9

12  メノラー(神の木)   12,13 一対のメノラー

Photo_11Photo_17

13  メノラー(神の木)

Photo_15

14 ひょうたん

Photo_16


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古事記の完全解明がなされたようです

2013-01-29 01:11:00 | 邪馬壹国

「古事記を素直に解釈すると、隠岐の島が始まりでした」と、古代史研究家の市川慎さんからの電話が入りました。(2013年1月28日(月、朝)

 

今、市川さんは何者かにせかされるように、我が国の隠された歴史を紐解いています。

 

さぁ、ますます「かごめかごめの真実 」が明らかになって行きます。

 

「シュメール人のルーツが日本です」「ユダヤの人達の故郷は日本です」と、市川さんもその証を今、執筆中です。  さぁ・・ますます、我が国の天皇は、世界のスメラミコト(天皇)であったことが明かされていきます。又、一刻も早くその原形に戻さなくてはなりません。

 

平和を愛する大和魂の復活です。 日本民族が大和魂に目覚めてこそ、争いのない世界平和が訪れます。

 

その扉が、2月3日より開かれます。 新たな第7ステージの扉がギギギギ~~~ッと、開かれて行きます。  頑張れ 市川慎さん!

 

・・・

 

 隠岐の島から我が国の国土設計はなされました。

 

2012年9月6日(木)

 

隠岐の島の大満寺山へ登り、やはりそこからは想像していた通りの、私には人工的山が視界に飛び込んできました。一つは、方角から四国の足摺岬、もうひとつは対馬でした。

 

神戸に帰り地図上に線を引くとどうでしょう、正三角形を二つ組合せた奇麗な菱形の図形が描けました。

 

PhotoPhoto_2Dscf6902Dscf6901Dscf6900

 

Dscf6890Dscf6877Dscf6927

 

Dscf6919

 

Img9091747260001

 

ガイドの野津さんに4:00頃、春日橋のバス停で見送られてポートプラザ前に着いたのは丁度夕方の5:00頃でした。夕食までにはまだ時間があるので、タクシーで玉若酢命神社、水若酢神社へと案内してもらいました。目的は、その神社の近くに古墳群があるとのことで、その日のうちに御霊にご挨拶をすることにしました。

 

玉若酢命神社

 

Dscf6943Dscf6944_3Dscf6946Dscf6948Dscf6947Dscf6952_2

 

Dscf6952

 

Dscf6950Dscf6961Dscf6958Dscf6953Dscf6959Dscf6955Dscf6960Dscf6956Dscf6954

 

水若酢神社

 

Dscf6962Dscf6971Dscf6973Dscf6969Dscf6967Dscf6966

 

Dscf6974

 

Dscf6974_2Dscf6975_2Dscf6964

 

Dscf6963Dscf6972_3

 

夕食の時間前にはお風呂に入って汗を流すこともでき、丁度7:00には夕食の席に着くことができました。前日は相部屋での食事でしたが、この日は別の部屋に通されて私一人のはずなのに、何か大勢さんの宴席によばれているような不思議な感覚でした。山の精霊や御霊さんたちにご挨拶も終わっての安心感からなのか、御霊さんたちに「ようこそ遥々おいで下さいました、どうぞどうぞ!」とビールを勧められたせいなのか、一人のはずなのに、大びん2本も飲んでしまいましたぁ。 そこへ・・

 

「今日、タクシーに乗られましたか!?」とご主人。

 

「はい、乗りましたが・・」と私。

 

電話に出ると、「隠岐の島のこといろいろ話が聞けるかも・・」というお誘いで、「じゃ~8:30に来てください!」とお願いして、行ったお店ではピンクの物体を出してパワーバランスや味比べの実験に「何ですかぁこれ!」と、これだけで時間が経ってしまい、そうしているとお客さんがドド~~ッ!と増えてきたのでおじゃますることにして、女将さんに地図を書いてもらったお店に行ったら又、同じことをやっていましたね。

 

「大西さんですか、じゃここに立ってもらえますか」と、隣のダンディな男性にカウンターの中かな眺めているチイママに向かって立ってもらってパワーバランスをやっている私でした。

 

「おお!! 何コレ!?」 と、たわいもない遊びで時間が過ぎ去った隠岐の島の夜でした。

 

大西さん、ありがとうございました!

 

翌朝、どうしても気になって仕方なかった伊勢命神社へ松浜のご主人にお願いしてレンタカーを借りて行くことにしました。

 

伊勢命神社

Dscf6976

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国生み神話の淡路島に、巨大な勾玉の地上絵発見!

2013-01-24 20:36:38 | 邪馬壹国

2013年1月23日(水)

国生み神話の淡路島。 その淡路島を囲むカゴメ紋(ダビデの星)の中心ポイントの山の形が気になり、「何の形なんだろう!? 何なんだ!?」と見つめていて、・・ハッと気がつきました。いつも私がキーケースに下げている、石上神宮でいただいた勾玉(まがたま)の形でした。

中心ポイントには、天皇家の三種の神器の一つの勾玉が、山で1,2kmの大きさで造られていました。

さぁ大変です、神様の神様、大の主(ス)の神様、天照主日大神様(男)がいよいよお出ましになられる気配です。 

ところで、淡路島に洲本(スモト)という地名がありますが、このことをキッチリと教えているのでしょう。

いや~~ここも、見事に守られてきました。 川で二重に取り囲み、難攻不落の山城のようでもあります。この場所から神河町にある卑弥呼の墓をキッチリと眺め、拝むことができます。又、福山の大門も見通せます。

でももっと不思議の一致と言いますか、この勾玉が指し示す方角にキッチリと熊山遺跡(岡山県)があり、その延長線上には、1996年に加茂岩倉遺跡で大量の銅鐸が発掘されたことで有名になった島根県安来市加茂町にある貴船神社や賀茂神社がある城山に行き着きます。

賀茂族とヒスイの勾玉と、女王卑弥呼と淡路のシオン山とに、大いに関係がありそうです。

出雲と卑弥呼と伊勢神宮の関係、邪馬壹国の真相を、天照主日大神様がキッチリと教えています。

もう天皇家も含めて、この我が国の本当の歴史を国民に、そして全世界に知らしめなくてはなりません。 我が一国の天皇という認識を改め、我が国の天皇は世界人類のスメラミコト(天皇)であると言わなければなりません。

天照主日大神様も天照大神様もそう言っておられます。

そして・・「整えよ!」 との御神託です。

そうそう、昨年の5月のことですが、「胎児が生れようとしているけど、死にかかっている」と神様が私に言われるので、飛んで行って、「おお・・これが代代受け継がれてきた王権の印、勾玉かぁ」と見つめ、白っぽくカサカサに見えた八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)に、丁寧に丁寧にピンクのテラファイトでパワーを与えると、白っぱかった勾玉がみるみる深みのある濃いグリーンに生き返りました。いつも鈍感な私ですが、この時だけは、テラファイトをかざした後に、そ~~っと両手を勾玉に近づけると、ビリビリジリジリと手のひらに伝わってきました。 それはそれは見事な大きな勾玉でした

「この三種の神器と全く同じものが卑弥呼の墓の中にもう一組みありますわよ」と、昨年6月に生れ出た卑弥呼おばさんの御霊が私に言うのですが、そんな気がしてきましたぁ

ああ・・、この情報を世間が黙って無視し続けて行くと、男神、女神、両方の天照大神様が、ちゃぶ台をひっくり返すような気もするこの頃ですが・・、そうなるともう手が付けられなくなるんですがぁ・・・

Img1241110040001_3

Img1241110040001_2

Img1232030180001

Img1231725190001元ひとつ 安藤妍雪著

Img1231831360001_2

Dscf8207

Dscf8206_2

 現地調査

2013年2月3日(日・節分)

淡路島のダビデの星の中心点に造られた、1,2kmの巨大な勾玉の重要ポイントに到達したのは、12時前五分でした。

計算し尽くされたように、12:00丁度から、そこから卑弥呼が眠るお墓がある北の方角に向かって私は祈りはじめました。

そこで私は なぜか涙がとめどもなくこぼれ落ち、感情の高ぶりを押さえることができませんでした。それは不思議な不思議な体験をしました。

それから、尾根伝いに高場へと又登って行きましたが、もう人工的な山である気配バチバチで、嬉しくて仕方ありませんでした。貯水池のなごりのような窪んだ場所と岩との間の空洞、巨大なメノラー(神の木)の残骸らしき所から、芽吹いた10本ほどの一群の御神木と、その周りの石積後の配置をかすかに残す石群。

谷底に崩れ落ちた均一的な大きさの石群と、自然にほど遠い積み上げられた石が覗く山肌など、それは自然の造山活動に見られない山の情景でした。そしてそれをハッキリ裏付けるのが、地図上に遺された等高線からも、それを知ることができます。

淡路島の入り込んだ山奥に、ひっそりと巨大な勾玉の地上絵は原形を留めていました。

さぁこの場所は、古墳なのでしょうか。それとも難攻不落の山城でしょうか。

いやいやそれとも、世界の大事な秘宝を隠した、地下要塞があるのでしょうか。 ミステリーです

  ここが淡路島のシオンの山です!

Dscf8243Dscf8244_2Dscf8248Dscf8247Dscf8250Dscf8251Dscf8255Dscf8257Dscf8258Dscf8260Dscf8263

Dscf8264Dscf8265_2Dscf8267

Dscf8270_2Dscf8272Dscf8275_2Dscf8276Dscf8277Dscf8279

Dscf8280Dscf8281Dscf8287_2Dscf8285Dscf8289Dscf8297

Dscf8291Dscf8304Dscf8305Dscf8306

Dscf8308Dscf8307_2Dscf8313

Dscf8310Dscf8309Dscf8319

Dscf8318_2Dscf8315_2

Dscf8206Dscf8207

Photo_2


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥宮に位置する聖地、生野の調査

2013-01-20 19:09:35 | 邪馬壹国

       生野の絶峯御林

Dscf5261

不思議なモニュメント的な岩の存在

Dscf2912_2Dscf2915_2Dscf2914Dscf2918Dscf2919Dscf2920

     亀と私
Dscf2913

     亀 ・・この石はどんな乾燥状態でも目から涙だ滴るようにできている
Photo_4

Dscf4385

            
Dscf4384

        人工的に造られている
Dscf4373

Dscf4395

             鶴
Dscf4497

          ライオン
Dscf6228

         調査風景

Dscf2660_4Dscf2793Dscf2795Dscf2796Dscf2945Dscf2944

Dscf2943Dscf2995Dscf2981Dscf2980Dscf2982Dscf4393

Dscf4392Dscf5164Dscf5163Dscf5166Dscf5167Dscf5171


Dscf2986_2Dscf5169Dscf5170Dscf5172Dscf6240Dscf6241


Dscf6242Dscf6243Dscf6256Dscf6258Dscf6260Dscf6261


Dscf6293Dscf6291Dscf6290Dscf6298Dscf2941


          反射鏡

Photo_2

          反射鏡側面Dscf6223


Photo_3

 聖地を守る龍の親子のモニュメント

Dscf5529Dscf5532_2
    

         龍の子供の顔

Photo_5

       龍のお母さんの顔
Photo_6

  お母さんと子供が仲良く並んでいいる   

Photo_7
     

          優美な龍

Photo_8

 聖地を守る川は人工的に造られている

Dscf5541

031_2


025

奥宮である聖地は、四方を水で囲んでいる

中央の四角い部分が聖地である。その聖地は、鶴と亀がキスしている状態を造っている。ここをクリックして上空から3Dでみてください 

Photo_9

人類的世界遺産の保護をお願いした

 天皇陛下への手紙(説明のDVD)・・ここをクリックしてくだい
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

邪馬壹国は、始まりの国であり満たされた壺である

2013-01-20 12:09:00 | 邪馬壹国

邪馬壹国は兵庫、京都、大阪、奈良、にまたがる国だった!       

魏志倭人伝に記載されている情報をもとに境界国をなぞると、邪馬壹国は丹後半島を含む兵庫県但馬、丹後、丹波地方から摂津、大和へとつながった国土であり、行政府の首都が纒向(奈良)であり、女王卑弥呼が住む聖地は、兵庫県の中央に位置する、播磨風土記で表記される埴岡の里、現在の兵庫県神崎郡神河町と朝来市生野町にまたがる地域で、居城は栗である。

邪馬壹国の女王卑弥呼が居た埴岡の里・栗(兵庫県生野、神河町)への朝見ルートは、高句麗、現在の中国遼寧省鞍山市の道教の故郷、千山から神の故郷、蓬莱()を経由して朝鮮半島に沿いながら釜山あたりから対馬、壱岐、を経由して呼子(佐賀県)に宝船を呼び込みます。ここまでは神で来ますが、お一人の神様は、神を呼子に降ろして定期航路を帰って行きます。降ろされた神は、陸路、吉 岡 そして津まで宝物を運んで行きます。 津からは神が物部氏の船に乗せられて関門海峡を下して宇佐八幡の神様にご挨拶して、それから瀬戸内へ入り、中国山脈のって山の大門 まで20日を要して到着します。ここからさらに10日かかってたどり着く所がの神えびす様の総本社 がある西宮です。ここで検品を済ませ、三つの御竜車物を乗せて、塚を通って、三田、篠山を通って春日から知山を通り、粟鹿を通って南下し、シオン(聖地)と呼ばれていたイヤ(生野)へとやってきて(神河町)へとたどり着きます。西宮からここまで陸路1ヶ月を要します。 女王卑弥呼の祈り場は、ユダヤの二人の大王が祀られた、絶対の王様イエス・キリスト(絶峯御林)とモーゼ(古城山御林)を見つめる、ヤハウェの神を祀る八幡山 が祈りの場であり山門でした。

女王卑弥呼への朝見ルートは福の神のルートでした。

そして卑弥呼のお墓は、779mの山頂にありました。

Img1161513200001

Photo_6 Photo_2

Img1161513500001

 

Dscf8201

1・・八幡山かごめの中心点)  2・・卑弥呼の墓  3・・男性シンボル              4・・女性シンボル  5・・鳥  6・・鳥  7・・亀  8・・奴婢  9・・大亀

 

10・・龍(玄武)  11・・

 A ・・絶峯御林(イエス・キリストを祀った地下神殿)

 B ・・古城山御林(モーゼを祀った地下神殿)

 C ・・ユダヤの大王二人と卑弥呼の墓を教える三角形が交わった点

 D、E、F ・・ 人工的ポイントの山

12 13 ・・メノラー(神の木)

14 ・・ ひょうたん

 

Photo_3

Dscf4126_6伊勢神宮(内宮)から鶴と亀や龍(玄武)などの地上絵が造形された生命の樹(カバラ)の王冠にあたる場所が埴岡の里であり、そこは伊島(徳島県)から生野・埴岡の里まで伸びる黄金比率の十字架とダビデの星が見事に出合います。

PhotoImg2132042180001_2

この埴岡の里にある八幡山が現代の神社で言えば本殿であり、鶴と亀が地上絵として造形され、生野銀山の資料館の中に展示された絵図に書き記されている、モーゼを祀る古城山御林と、イエス・キリストを祀る絶峯御林の場所が奥宮にあたります。

そしてそれら本殿、奥宮を、長さ1,8kmほどの巨大なメノラー(神の木)の地上絵で飾っています。手と口を清める為の生命の水は、ひょうたんの口から流れ出ています。

こここそが、日本神道の原点であり、原始ユダヤの本来の聖地であり、シュメール人の故郷です。

これだけの壮大なスケールで高精度な測量技術と山々に人の手を加えて造形できる技術や、計り知れない労力を注ぎこめる魂を持った人々とはどのような人々でしょう。

いえいえこれを創ったのは私達のご先祖様です。 これぞ大和魂なのです!

私達日本人は、海を渡ってこの国土に流れ着いたのではありません。この地球上で絶対にして一つの、「私は有りて有る者」と謙虚な言い方をなされる神との交信ができるスメラミコトこそが天皇なのです。 スメラミコトとはこの地球上の人々の為に世界平和を祈り、その儀式を世界の人々の代表として司るのが天皇なのです。この天皇に仕えるのが大和魂を持った日本人なのです。

遠い遠い昔、そのことを伝え広げるために先人達は、海を渡り、山を越え砂漠を越えてまで、世界中に伝道に出かけたのです。 そしてまた、この日本の地に帰って来たのです。

ですから、世界の指導者は皆、日本にやってきました。 モーゼもイエス・キリストもこの日本に帰ってきて、この日本の礎を築きました。

絵空事ではありません。

日本書紀を編纂した藤原の不比等君や空海様達は、そのことをよ~~く御存じでした。 でも、十字架にかかって死んだはずのイエス・キリストが、母なる御霊の日本に帰ってきて、出雲の国を起こし、理想のモデル国家として、邪馬壹国を創ったと、どうして書けましょう。 そう言いたかったけれど、この国を守る為に神武天皇としてうまく紀元前の神話の世界に残してくれました。

大黒様は大国主の命であり、イエス・キリストであり、イコール、神武天皇です。

この視点に立って歴史を視れば、何も矛盾なく腑に落ちます。

神武天皇を神話の世界に残してくれたように、出雲地方の大社造りの建築物や、神社の神紋や奇怪な神事などにもその暗号を残してくれていました。

でも、イエス・キリストが106歳でこの世を去ると、我が国は80年ほど覇権争いで大乱の時代が続きました。そこで、兵庫県但馬の上古野地方に暮していた「あずき」ちゃんが、鳥取県馬の山と三重県の松阪地方、丹後半島と徳島などに勢力を持つ豪族たちによって、9歳で女王として共立されます。卑弥呼の役割は、この国の礎を創った、モーセやイエス・キリストの墓守と、世界のスメラミコトとしての役割でした。でも、安定の時代は永遠に続かないもので、豪族達もこの世を去り代替わりしていくうちに、共立された意図も薄れて行き、不満を募らせる人達が現われます。

紀元前722年に崩壊した北イスラエルの10部族の人達がこの日本に帰化してきて、永永と続く天皇の元でウガヤ王朝を樹立し神武王朝へと続きますが、遅れて帰ってきた南イスラエルのユダの王家の血を引く人達が王権を奪い取る企てを図ります。

北と南に分裂したとき、王様に仕え、祭祀を司るレビ族は、両方に仕えましたが、このレビ族こそが、この我が国の国土設計をし、他の部族達を指揮しこの国の礎を造った物部氏でした。

でも、神武天皇(イエス・キリスト)の血を引く女王卑弥呼にゆさぶりを掛けた物部氏も企て事にはまってしまいました。 レビ族のまつろわぬ運命でした。

女王卑弥呼は、自分から永遠の眠りに着くお墓として、絶対の王様イエス・キリストとモーセのお墓と、祈りの場である絶対の神ヤハウェを祀る八幡山の頂点との延長線上に並ぶように、宇宙の法則であるピタゴラスの定理の三角形の頂点にその位置を決めました。 その場所は標高779mの山頂にあり、葺き石で葺きあげられ、墳丘長さ150m 後円部径100m、上円部径50m 高さ15m の帆立貝形古墳、又は前方後円墳 の初期の形の古墳が形成されています。 卑弥呼のお墓を探査レーダーで調べると・・非鉄金属の反応も捕らえました。

71歳の世界に帰った女王卑弥呼の墓は、人類的世界遺産である地上絵群の中心部に位置し、朝日が輝き、夕日に照らされています。このことを早急に立証し、卑弥呼が何を成したかを世界中の人々に知らしめ、日本民族がいかに優秀で、平和を愛する御霊を持っているかを立証しなくてはなりません。

南の王家の血を引く馬の山生まれの第10代祟神天皇と第11代垂仁天皇は、疫病や天変地異に「祟り」をみます。そこで祟りを鎮める為に、お社を造りますが、大きな祟りにはより大きなお社として伊勢神宮(内宮)を造って女王卑弥呼を祀りました。そして又、竹野地方から神武天皇の血を引く13歳の姫君を「卑弥呼の宗女」という形で、王権を継承したのが神功皇后でした。でもこれも最初から祟りを鎮めるための企てですから、神功皇后の御霊を鎮めるために伊勢神宮に外宮として祀りました。かぐや姫の物語は、但馬の竹野地方から生まれ、王権を持ったお姫様の物語ですが、このように神話や物語として今の私達に真実をそっと教えています。

何一つ心にやましい事が無ければ、「祟り」という言葉も浮かびません。

でも、過去の過ちや争いをいつまでも根にもって引きづってはなりません。その時々、立場立場でこの国をより良き方へと導きたいと強く思った人間が成した行動でした。

10代先祖を遡れば、1024人の御先祖様が居られ、その又先へと辿れば、皆な同じご先祖様達にたどり着きます。自分の魂が輪廻しているとすれば、過去、意図しないところで人をあやめたり、あやめられたり、企てたり企てられたりしていることでしょう。

元は一つです。

このような観点に立ち、互いが過去の全てを受け入れ、世界人類が手を取り合うことです。

この世は、もう新たな第7ステージへと入っています。

そして・・最後に・・

我が国が祀る天照大神とは、アブラハムの父である、父祖テラを大神として神代から祀っています。

もちろんそれ以前から我が国には大神様が祀られてきています。

シュメール人の故郷も日本です。

もうそろそろ、この日本から人類的神宝である聖櫃アークや聖杯が現われる時が来ることでしょう。その時、その出現した地こそが元々の聖地ですから、その場所で人類平和の為に祀らなくてはなりません。

その合意ができない間は、出現はしないでしょう。

世界平和の為に、一刻も早く女王卑弥呼の墓の立証から段階を踏んで、その神宝の出現を待ちわびる私です。

・・・

  私からのお願い!

 

この事実を知った一人の方が10人の人達に、そしてその人が10人の人達へとスピードを持って早急に伝えていただくことで、世界平和の実現をより近づけることができます。宗教の垣根を越えられます。

私たち世界人類のご先祖様達が、想像もできないほどの偉業を成し、その遺産がこの日本に遺されていました。

もう一度書きます。

日本が祀る天照大神とは、アブラハムの父祖御テラを大神として祀っています。

卑弥呼は単なる日本の女王ではありません。世界のスメラミコトだったのです。

一刻も早く卑弥呼の墓の立証をすることで、その先の立証が成され、世界が一つになれます。 

 日本の天皇は、世界人類のスメラミコトなのです。

争いのない平和な地球を希求する人達の行動を見守ります。

     ありがとうございました。  

Saburou Uemori 

 

Photo

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八幡山

2013-01-19 15:44:42 | 邪馬壹国

半径10kmの中に、規則正しく山を使って地上絵が造形されているが、その中心ポイントが八幡山である。

 八幡山の山頂には、十六方位石や、方位磁石が定まらない石組が置かれている。

 八幡山を説明した動画(古代歴史研究家、市川慎さん作成)

 八幡山ピラミッド 1

 八幡山ピラミッド 2

 八幡山ピラミッド 3

 生野町の古城山御林の麓、びわまる公園より視た八幡山

       中央右手の尖った山                        

Dscf5257

          中央の山 

Dscf5258

 いろいろな方面から観た八幡山

Dscf5307_2Dscf5311_2Dscf5314Dscf5334Dscf5336Dscf5342Dscf5343Dscf5549Dscf5552Dscf5555Dscf6246Photo_2

 卑弥呼の墓から観た八幡山

PhotoPhoto_4


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女王卑弥呼の墓

2013-01-19 11:20:30 | 邪馬壹国

       ここをクリックしてください!   

   お墓の調査記録をユーチューブにまとめました。

魏志倭人伝 邪馬台国の会HPより

18 栽培植物と繊維

禾稲(いね)、紵麻(からむし。イラクサ科の多年草。くきの皮から繊維をとり、糸をつくる)をうえている。蚕桑し(桑を蚕に与え)、糸をつむいでいる。細紵(こまかく織られたからむしの布)・絹織物、綿織物を(作り)だしている。

26 植物

その木には、
(おそらくは、たぶのき)
・杼(こなら、または、とち)
・豫樟(くすのき)・(ぼけ、あるいは、くさぼけ)
・櫪(くぬぎ)
・投(東洋史学者の那珂通世氏は「投」を「被」の誤りとし、「杉」とする。苅住昇氏は、「かや」とする。あるいは「松」の誤りか)
・橿(かし。苅住昇氏は、「いちいがし」とする)
・烏号(やまぐわ。苅住昇氏は、「はりぐわ」に近い「かかつがゆ」とする)
・楓香(かえで)
がある。

その竹には、
・篠(しの。めだけ、ささの類)
・やだけ
・桃支(がずらだけ。苅住昇氏は、「しゅろか」とする)
がある。

・薑(しょうが)
・橘(たちばな。または、こみかん)
椒(さんしょう)
・みょうが
があるが、賞味することをしらない。

27 存在する動物

猴(おおざる)・黒雉(きじ)がいる。
48 卑弥呼の死
卑弥呼はすでに死んだ。大いに冢つかをつくった。径(さしわたし)は百余歩・徇葬者(じゅんそう)のは百余人であった。あらためて男王をたてたが、国中は不服であった。こもごもあい誅殺した。当時千余人を殺し(あっ)た。

・・・・

墓は標高779mの山頂にあり、葺き石で葺きあげられ、墳丘長さ150m 後円部径100m、上円部径50m 高さ15m の帆立貝形古墳、又は前方後円墳 の初期の形の古墳が形成されている。測量図を元に、 卑弥呼の墓を探査レーダーで調べると・非鉄金属の反応 も捕らえた。

「卑弥呼はすでに死んだ。大いに塚を造った。径(さしわたし)は百余歩」と魏志倭人伝に書かれている墓の径と、上円部径50mは合致する。又、この山には山椒がたくさん自生していて、猿も きじ もいてる。

卑弥呼の墓の西麓、栗集落に今でも残る神護石と大量の石群

Dscf5367Dscf5368_2Dscf5369Dscf5371Dscf5372Dscf5373


Dscf5376Dscf5377Dscf5378Dscf5380Dscf5381Dscf5387


Dscf5388Dscf5389Dscf5390Dscf5397Dscf5400Dscf5401Dscf5409

墓の頂上部の概況

頂上部には、重要な各方位を教える方位磁石が狂う石が並べられている。

Dscf6051Dscf6049_2Dscf6002Dscf5754Dscf5765Dscf5778

Dscf5844Dscf5777Dscf5993

卑弥呼の墓の測量図

Img1182109410001

Dscf5990_2Dscf5991_2Dscf5992Dscf5850


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

邪馬壹国は、始まりの国であり満たされた壺である  続き

2013-01-18 16:16:30 | 邪馬壹国

12  メノラー(神の木)   12,13 一対のメノラー

Photo_11Photo_17

13  メノラー(神の木)  2014年8月27日 空撮に成功!

Photo_15

14 ひょうたん

Photo_16

 

 生野の資料館に残る古い絵図(二つの御林)

Photo_3

 カゴメ紋の中心点である八幡山1と、ABCD 2 との関係図

Photo_24Img1172136400001_4

 伊勢神宮から生野へ伸びる生命の樹(カバラ)

Photo_3

一直線に並ぶ地上絵

Photo4

地上絵発見の動画

地上絵発見の動画(天皇陛下への手紙)  その1

   地上絵発見の動画(天皇陛下への手紙)  その2

 

 古代エジプトの女神ハトホル(人の顔)

Photo_18

 

 

Photo_20

 鶴 と 亀 

Photo_7

  龍(玄武)

Photo_9

 

日本三奇の一つ、高砂市の石の宝殿の巨石の謎解明

石の宝殿の巨石が位置する場所は、伊勢神宮から石の宝殿に伸びる生命の樹(カバラ)の王冠にあたる場所である。

Photo_21

そして又、その石の宝殿の巨石がある位置は、伊島(徳島県)から生野町の古い絵図に残る絶峯御林まで伸びる黄金比率の十字架の交点に位置している。

Img1101213540001


そしてその石の宝殿の巨石は、キッチリと神武天皇陵と出雲大社の方角に向けて造られている。

Dscf5188Dscf5189_2Dscf5191


Dscf5192Dscf5202Dscf5183


Dscf5184Dscf5200Dscf5197


そしてこの石の宝殿の巨石は、伊勢神宮(内宮)と物部神社(島根県大田市)を結んだライン上にもピタリと位置している。

 

Imgx171659360001

 

Photo_23

伊王島(長崎県)から宗像大社(福岡県)・高千穂神社(宮崎県)を結ぶ正三角形の中心をライン上にある宇佐八幡宮を通り、総社(岡山県)を通り埴岡の里(兵庫県)まで伸びるラインで構成される生命の樹(カバラ)

PhotoImg4142136380001_2

 上記生命の樹のセンターライン上でセフィラの11番目・ダアトに位置する場所が総社(岡山県)であるが、この地こそが魏志倭人伝に記されている投馬国の首都であり、そこへの上り口が福山市の大門(だいもん)です。伊島、生野を底辺とした正三角形の頂点の地点が魏志倭人伝に記されている水行20日で着く港、大門である。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする