伊王島(長崎県)から宗像大社(福岡県)・高千穂神社(宮崎県)を結ぶ正三角形の中心をライン上にある宇佐八幡宮を通り、総社(岡山県)を通り埴岡の里(兵庫県)まで伸びるラインで構成される生命の樹(カバラ)
上記生命の樹のセンターライン上でセフィラの11番目・ダアトに位置する場所が総社(岡山県)であるが、この地こそが魏志倭人伝に記されている投馬国の首都であり、そこへの上り口が福山市の大門(だいもん)です。伊島、生野を底辺とした正三角形の頂点の地点が魏志倭人伝に記されている水行20日で着く港、大門である。
大門町誌「大津野のあゆみ」に残された、鶴島、亀島が記された上古大津野沿岸図
上古大津野沿岸図に記された鶴島、亀島の現在の様子と、惣堂神社。
鶴島の現風景
歴史の中に生きた先人達は、私達に何を教えているか。
純友の乱で、海賊の残党の捕らえられた地が、備前、播磨、そして地上絵群が造形された埴岡の里一帯の但馬であるが、真相を語ってはいないか。
黄金比の十字架と生命の樹と航海航路との関わり
地上絵群がある埴岡の里と、出雲大社と伊勢神宮(内宮)との位置関係
生野から出雲大社、伊勢神宮(内宮)までの距離は同距離である。
室戸岬から出雲大社、伊勢神宮(内宮)までの距離は同距離で、その三点を結ぶと直角二等辺三角形である。
日本で一番最初に作られた稲荷神社は糸賀稲荷神社(有田市)である。その神社から、生野と御蔵洞(室戸岬)までは同距離の関係にある。
卑弥呼の墓の測量図
墓は標高779mの山頂にあり、葺き石で葺きあげられ、墳丘長さ150m 後円部径100m、上円部径50m 高さ15m の帆立貝形古墳、又は前方後円墳 の初期の形の古墳が形成されている。測量図を元に、 卑弥呼の墓を探査レーダーで調べると・・非鉄金属の反応 も捕らえた。
「卑弥呼はすでに死んだ。大いに塚を造った。径(さしわたし)は百余歩」と魏志倭人伝に書かれている墓の径と、上円部径50mは合致する。
卑弥呼の墓が向いてる方向は、香住町菴月山(上古竹野郡)であり、その反対側は糸賀稲荷神社である。
卑弥呼の墓の位置は、応神天皇陵と、六甲石の宝殿白山の宮と白兎神社とを結んだ一直線上に位置する。
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やまいちこく やまいちこく やまいちこく やまいちこく やまいちこく やまいちこく 邪馬台国 卑弥呼
あずきちゃん 竹野郡 竹野地方 埴岡の里 かごめの故郷 モーゼの国 イエス・キリスト 大黒様 大国主の命 モーセ シュメール スメラミコト